今日は、日野の「コンテッサ1300」です。
現在はトラック等のメーカーとして認知されている同社ですが、以前、一度だけ、乗用車を製造・販売しています。
それが、「コンテッサ」で、排気量と世代により、次の2つのモデルがあります。
・コンテッサ900(1961~1965年)
・コンテッサ1300(1964~1967年)
この車はそれまでに提携していたルノーの技術を参考にしており、駆動方式はRR形式を採用しています。
トヨタとの提携により、日野は乗用車からは撤退する訳ですが、この様な魅力的な車の後継車がないのは寂しいものです。
トヨタ車をベースに復刻車などを設定すれば面白そうな気がするのですが。。。
今日は、日産の「プレジデント」。
トヨタの「センチュリー」と並ぶ、日本を代表する高級車です。
写真は、その初代モデルの2つのタイプ。
初代は1965年~1990年の長きに渡り、販売されました。
そのため、マイナーチェンジによる改良が随時、施され、外観の変化も大きいです。
搭載されるエンジンはV8-4L(1973年より4.4L)と直6-3L。
当時の日本車では、V8エンジンは希少なものでしたから、その高級度合いは、現在より上でしょうね。
現行の「プレジデント」(3代目)は、「シーマ」の上級モデルになってしまい、少し寂しい気がしますが、法人営業がある以上、何らかのモデルが必要なのでしょう。
今後は、このクラスもEcoを考慮したものとなるでしょうが、その部分で、「シーマ」とは「格」が違うモデルとして、君臨して欲しいと思います。
今回は「日産・チェリー」です。
元々は、日産と合併する前のプリンス自動車で開発された車で、合併後に発売、そして、2代を経たのち、「パルサー」と名前を変更しました。
現在の車種では、欧州仕様の「アルメーラ」を経由して、「ブルバード・シルフィ」の遠縁ということにもなります。
さて、「チェリー」ですが、写真の車両は初代のモデル。
1970年から1974年にかけて販売され、エンジンは直4-OHV の1.0L または1.2L 。
ボディタイプは、2ドアセダン、4ドアセダン、3ドアクーペ、3ドアライトバンとバラエティも豊かでした。
レースなどにも出場していたので、一部グレードでは、スポーティなイメージもあったようです。
今は一切、聞かない、この車名ですが、その血筋は脈々と受け継がれているのですね。
「日本自動車博物館」からの車のご紹介の第62回目。
本日も日産車ということで、「フェアレディZ」の2つのモデルをご紹介。
まず、写真の上段は、初代のS30型(1969~1978年)の中のDOHCエンジン搭載モデル。
グレード名は「Z432」です。
このエンジンは「スカイライン2000GT」に搭載されていた「S20」という形式の直6で、「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」から「Z432」と呼ばれたとのこと。
そして、写真の下段、こちらは2代目モデル(S130型)の「280Z」というグレードで、1978~1983年に販売されました。
その名の通り、直6-SOHC-2.8Lエンジンを積んでいます。
後に北米では、このターボモデルも発売され、初代に続き、大ヒットとなりました。
それにしても、初代→2代目のデザインは、見事なキープコンセプトであることが分かります。
日産は、ヒットした世代のモデルチェンジではキープコンセプトを行い、ヒット車と、そうでもない車の発売を繰り返す、という風に言われることがありますが、そのキープコンセプトの考え方は、この頃から出来てきたような気がしますね。
現行の「フェアレディZ」ですが、日産の中でも歴史ある車名を引き継ぐ、数少ない車となってしまいました。
この車は、将来に渡って、存続し続けて欲しいと思います。
今日は、日産の「パルサー・エクサ」をご紹介。
これは、「2代目パルサー」(1982~1986年)のクーペ版のグレード名で、リトラクタブル・ヘッドライトを採用する等、ベース車とは印象が大きく異なっています。
当時は、このライト形状が流行っていたようで、他メーカーでも採用されることが多かったです。
一方、現在は、ほとんど見られないですが、これはライトをアップした際の空気抵抗の増大や、突起物が衝突時に危険であるから。
また、成型技術の向上により、様々なデザインのヘッドライトが作れるようになったことも大きいですね。
ただ、以前、こういうライト形状の車(プレリュード)に乗っていた私としては、ギミックとして、完全になくなってしまうのは寂しい気がします。。。
「日本自動車博物館」からの車のご紹介の第60回目。
今回は、昨日に引き続きの「シルビア」ですが、その3代目のモデル。
1979年から1983年に販売され、ベースは当時、まだFRだった「サニー」です。
ボディタイプは、2ドアクーペと3ドアハッチバックがあり、これに直4の1.8L、もしくは、2Lのエンジンが搭載されました。
また、この車の名前は知らなくても、「何か見た覚えがある」という人もいらっしゃるはず。
それは、この車の兄弟車である「ガゼール」のオープンカー仕様が「西部警察」に登場していたから。
それだけ、見栄えがする車だったということでしょう。
この後、「シルビア」は、4代目のS12型~7代目のS15型に至るまで、スタイリッシュ、かつ、FR形式をまもり続けました。
今は、休止状態となっていますが、復活するなら、別のスタイルを携えてのことになりそうです。
唯一、トヨタ&スバルのコラボFRが大ヒットすれば、従来通りのパッケージもあるかも知れませんが。。。
「日本自動車博物館」からの車のご紹介の第58回目。
今回は、ホンダの「ライフ・ステップバン」です。
今でこそ、「ライフ」、「ステップワゴン」と2つの車種名が使われていますが、後者のイメージの出発点は、こちらの車にあります。
販売は1972~1974年、356ccの軽自動車です。
また、軽のトールワゴンとしては、スズキの「ワゴンR」が最初であるような気もしますが、それは、ここ最近のブームの中でということになり、日本初という意味では、こちらが先です。
逆に長い間、忘れ去られていた、このパッケージを、スズキが復活させたと考えれば、同社の時代を読む力は素晴らしいものだと思います。
さて、こちらの車ですが、愛嬌あるデザインも相まって、レストア等を行いながら乗り続けているオーナーさんも多いようです。
以前、ホンダがスポンサーを務める車関連の番組でも登場していた気がします。
確か、池沢さとし氏がボディ側面にイラストを描いてらっしゃったような。。。
「日本自動車博物館」からの車のご紹介の第57回目。
今回は「スカイライン特集」にしてみました。
というか、博物館の中にそういうコーナーがありましたので、そこから、ここ最近は見かけない世代の車をご紹介します。
写真の車ですが、上段左~右の順に以下の通りとなります。
- 初代・プリンス・スカイラインスタンダード(1957~1963年)直4-1.8L
- 初代・プリンス・スカイラインスポーツ(1962~1963年)直4-1.8L
- 2代目・日産プリンス・スカイライン2000GT-A(1963~1968年)直6-2L
- 2代目・日産プリンス・スカイライン2000GT-B(1963~1968年)直6-2L
- 3代目・日産・スカイライン2000GT(1968~1972年)直6-2L
- 4代目・日産・スカイライン2000GTX-E(1972~1977年)直6-2L
- 5代目・日産・スカイライン2000GT-EX(1977~1981年)直6-2L
- 6代目・日産・スカイライン2000RS-XターボC(1981~1985年)直4-2Lターボ
この中で最も有名なのは、「GT-R」との関係もあって、3代目(写真:下段左)でしょうね。
「GT-R」とのデザインの共通性も多いです。
これは、となりの4代目における「GT-Rとの印象の差」とは異なりますね。
私的に好きなデザインは「鉄仮面」と呼ばれた6代目のターボ車(後期型/1983年~)。
歴代で最高の出力を手に入れ、高速化もしていきますので、空気抵抗を考慮したデザインへと変わりました。
当時の一般的な車のデザインから考えると、これは、かなりアグレッシブで、衝撃もあったのではないかと思います。
最近の「スカイライン」は北米市場を意識した、大排気量の高級車へと変わってきていますが、走りに対する情熱は失っておらず、好ましいことですね。
日産車の中には歴史ある名前を使わなくなったものもありますが、「スカイライン」については、今後も存続していって欲しいと思います。
今日は、少しレアな車です。
「くろがね・ベビー」。
まず、メーカーですが、正式には「東急くろがね工業」という社名。
1957年~1962年にかけて、独自で自動車を製造販売していましたが、それ以降は「日産キャブライト」のエンジン生産をきっかけに「日産工機」となり、現在に至ります。
この車は1960年発売で、ボディサイズは全長2995mm、全幅1280mm、全高1665mm。
エンジンは水冷直列2気筒OHVの356cc、18ps/4500rpmです。
当時は軽自動車には空冷エンジンが積まれていることが普通であったため、革新的、さらに、日本初のリアエンジン採用のキャブオーバー型の軽トラック/ライトバンでもあります。
このパッケージは現在でも採用されており、早い時代にこれを見極めたことは日本の自動車業界に大きな影響を与えました。
その精神は、今も日産工機として、日産車に活かされています。
今日は「スズライト・フロンテ」です。
まず、「スズライト」というメーカーですが、現在の「スズキ」ですね。
当時は「鈴木さんの軽自動車」から、「スズ」+「軽(ライト)」で、この様な社名であったようです。
車の方は、1965年から発売され、全長2995mm、全幅1295mm、全高1380mm のボディに、空冷2気筒の2ストロークエンジンが搭載されます。
このエンジン、排気量:360cc から、22ps/5000rpm、3.1kgm/3500rpmを発生しました。
また、スズキは軽自動車という制約された空間で、効率よく乗車スペースを確保するため、早くからFF方式を採用しており、この車も当然、そのパッケージとなっています。
こういった車の成功が、今の軽自動車の構成の基本的な考え方につながっていったと考えると、感慨深いものがありますね。
今回は前回の「トヨタ・クラウン」からの流れで「クラウンエイト」をご紹介しましょう。
この車、「2代目クラウン」の時に上級車種として設定されたもので、そのボディーを前後左右に拡大したうえで、V8エンジンを搭載しています(1964年)。
エンジンはオールアルミ製のOHV-2.6Lで、115psを発生します。
この車での経験を元に、「センチュリー」が作られました(1967年~)。
同じ手法は、「8代目クラウン」の際にもあり、V8-4Lを搭載した「4000ロイヤルサルーンG」が設定された後、「クラウン・マジェスタ」へとつながっていきます。
このあたりは、トヨタの技術の集合体とも言える「クラウン」においても、様々な試行錯誤が行われていることが伺えます。
そう言えば、私が以前、乗っていた「アリスト」も「クラウン・マジェスタ」と関係がある車ですから、次の派生車種にも期待をしたいところです!