tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

安物買いの意欲失い

2005年04月23日 19時15分36秒 | Weblog
もともと普通の本屋で買い物をする頻度が減ってきて、古本屋での購入が多くなったことは前にも話したが、最近、特にひどくなった。とはいえ、新刊書だけを扱う本屋へいく回数が減ったかと言うとそうでもない。古本屋で本を買うには、あらかじめその本の情報を知らないとだめで、現物を眺めて、情報を仕入れにいく場所になっている。すなわち本屋で情報を手に入れといて、古本屋でみかけたらラッキーという構図である。

勿論、そうそうすぐに古本屋に落ちてくることは少ないのだが、そこは世の中うまくいったもので(たまたま私の周りだけの話か?)、大阪のミナミについこの間出された本が古本として持ち込まれる、まさしく「穴場」的古本屋が存在する。出版されてすぐの本は価格も高いのが相場だが、その本屋は、とにかく回転効率を上げたいのか、価格も文芸書なら半分近くまで下がることがある。おまけに、定評のある専門書もかなり下がる。

例えばマートン『社会理論と社会構造』(みすず書房)という本があるが、この本は長く版元品切れとなっていて、とにかく入手できない。大学の図書館も一度貸し出されたら、なかなか戻らないものだったが、2年ほど前、復刊された。

ところが、復刊されたその本、定価8800円と私にとってみれば天文学的数字がついていた。この本も出されてそれほど経たないうちに、この古本屋へ持ち込まれて、4000円の値段がついた。半額であるから比較的良心的だが、やはりまだ高かったと思う。ちなみに私はこの本の改訳前のもので化粧箱入りを3000円で手に入れた。

出たすぐに買わなくとも、内容やタイトルを覚えておいて少し待てば、こうして安く手に入るから、だんだんと普通の本屋における購買意欲が薄れてきた。しかし、本質的に本屋で見かけた(そして欲しいと思った)本のすべてが、必ずしも古本屋に並ぶとは限らないから、金銭的に得をしていても情報的に損をしているのかもしれない。

特にパソコン関係の本は、本当にすぐに並ばないし、出てすぐくらいに買って勉強して、その技術を使った方が自分の利益になる。・・・にも関わらず、「ああ、まあいいか」と思ってすぐに棚とか平台に戻してしまう。

そういえば、古本屋という「場」そのものが、私にとって強制的な購入執行装置となっていることもある。どういうことかというと、古本屋で見かけたら、すぐに買わないと次はなくなっているということもあり得るからだ。意外とこの種の損も何度か体験しているから、なおさら普通の本屋以上に買ってしまう。

今の私には、本屋で2000円以上買うことは「清水の舞台から飛び降りる」行為になってきている。
いや、マジで。

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