tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

書評:松田素二 「呪医の末裔』(講談社 2004)

2005年12月26日 14時42分51秒 | カルチュラルスタディーズ/社会学
(副題:東アフリカ オデニョ一族の二十世紀)

恩師、松田素二先生の最近作である。先生は中学か高校生のころ、友人との会話から、次のような疑問にぶつかった。「フランスやイギリスの歴史が盛んに研究されている半面で、なぜアフリカの歴史がほとんど紹介されていないのか」と言う内容である。この若き日の先生の疑問に対して、友人は次のように喝破した。「アフリカ人は固有の文字を持たないから、歴史を記述できない。したがってアフリカには歴史が存在しない」と。

しかし、実際にはアフリカにも歴史があって、それは欧米重視の学者の偏見にも近い意図から取捨選択されていたのである。また欧米の歴史観を通じてもたらされる、アフリカ人像は「野蛮な人々」のイメージであった。先生はこのイメージを打破し、本来の姿を伝えるべくアフリカの歴史を伝える本を編んだ。『新書アフリカ史』という本である。新書にして596ページというボリュームは、「アフリカに歴史が存在する」ということを伝えるのに十分な量であった。

しかし、この本はマクロな視点で歴史を捉えることを目的とした結果、先生が本当に考えている、というよりも研究の中で実践している方法を追及するには不満の残る部分があった。彼は研究者的マクロな視点よりも、地元の人々と会話をするような、ミクロな視点を重視するのである。しかし、ミクロな視点を重視するから、研究のスケールにダイナミックさを書くという意味ではない。むしろ、個人の小さなひとつひとつの行動が、マクロな「歴史」へつながることもあるのだ。

本書は、アフリカ・ケニアに在住するひとつの家族の歴史について追った内容となっている。その始まりは、実に百年前にまでさかのぼる。しかし、その始祖ともいえる人物に彼はインタビュー調査を行ったわけではない。その子供たちや、孫たちを中心にインタビューを重ね、構成していった。

確かにケニアはイギリスに支配された土地であった。そこには植民地的収奪も確かにあったが、彼らがただ、力を前に屈服していたのではない。むしろ支配を受けることによる困難を、その支配の力を逆に利用することで、乗り切った部分もあることを明らかにしている。たとえば、白人の強制労役に対して、これを逃れるべくキリスト教の宣教師の修行を行ったとか、兵役に対して、自ら志願して、軍隊の中でもより安全な技術者的ポジションに付くとか、そうした白人の技術を習得することで、のちのち工業化していくケニアで非常に役に立ったとか。白人のサーバントという白人でもないが、黒人のエリートである意識を根付かせられる過程などが描かれている。

その半面で、この一族の開祖が持っていた原始宗教を土台とした呪術に拠る医術(誰かに呪いをかけられている故に、病気や怪我をしたりするから、取り除くと言った)という、いかにも「アフリカの神秘性」の部分にも深く言及しているが、それは彼がこの部分に関心を持つのではなく、むしろオデニョ一族をはじめとする、ケニア人の日常的な生活の一光景であることを伝えている。それを非文明的な文化だと断じれる人間がどこにいようか。

植民地支配は、村の中という非常に狭い共同体の中で一生を送るというライフコースを崩壊させ、都市や白人農園に出稼ぎに行くという新たな習慣を根付かせた。しかし、今日首都ナイロビという都会へ出て行っても、仕事がなく、農村へ帰っても暮らしが難しいという非常に困難な状況に多くのケニア人が直面していることも書いてある。アフリカだから、広大な土地を耕せば誰でも暮らせると言うのは、日本人の無理解からくる浅はかな知恵であることに気づくだろう。実際のところ、日本人の無理解と偏見はここまで進んでいるのだ。それを欧米のせいだと責任を転嫁するのは、もう間違いであり、ただ自己責任を全うしていない人間であることを自ら証明することにもなる。

今日、こうしたエスノグラフィーがどのような方法で書いても、欧米的な学問に依拠した「偏見」であると批判され、それが文化人類学への逆風となっているが、本書は、そこにとらわれることなく、同じ人間の異なる生き方を追いかけると言う視点で書かれた一級のエスノグラフィーであることは間違いないであろう。