ROOM 402

日々多くを思うものですがその思いはすぐにきえて忘れてしまうものです。忘れられない想いや日々の出来事を書き綴ります。

可能性の魔

2007年08月27日 | WEBLOG

努力すればなんでもできる。頑張ればなんでもできる。
もはやそういう限界を見まいとする思考は危険だと思います。
私も子供のころからそのように言われて育ってきましたし
最近までそうかもしれないなぁと思ってましたが
今では考えを改めることにしました。
努力してもダメなものはダメなのですよ。

宝くじのCMで三億円が六本も当たる!と云われて
みんな自分に可能性があると思ってしまう。
しかし、その可能性は限りなく小さい。
「努力すればなんでもできる」という思考法も宝くじと同じ感覚で
オレも頑張れば望みがかなうと考えたりウチの子も努力すれば
希望の学校に行けると親が一方的に自分の希望を子供に押しつけてしまう。
テレビやマスコミでも成功した人とか何かの賞を受賞した人とか
お金をもうけた人とかの言葉に必要以上に光をあてすぎる。
そのため現実以上に努力の可能性がインプットされてしまう。
しかし、私はもっとみなさん現実的になるべきだと思う。
希望がないというのではないが、世の中の人の多くは
楽観的に生きるためにも可能性ばかり見すぎているのではないか。
それより自分はどのような限界を持っているのかを見極め
その上で可能性を見出していかなければきっと挫折する。
自身の限界をよくよく見極めること、
そこからプラスを見てみると案外プラスの多さに驚くかもしれない。
もしかすると北朝鮮にうまれていたかもしれないわけだし、
食べ物に不自由しないで生活できるだけでも幸運なことです。
大地震がいつ起こるかもしれないし、人間は万能ではありません。
それぞれがバラバラな限界と可能性を持って生きている。
ある時期プラスだったことが後年マイナスになったり、
現在マイナスなことが将来プラスになることもある。
もっときめ細かく現実的に生きることのほうが
難しくもあるのですが正しいのではないでしょうか。
しかし現実的に生きるというのがナカナカできないんですけどね。

ただ今までのようにやみくもに「努力すればなんでもできる。
頑張ればなんとかなる。」とはもう考えないことにしました。
この思考法は自分でわざと限界を見まいとする考え方です。
こうして自己催眠をかけて困難なものを突破する方法は
若いときならいいのですが今や余計に自分を不幸にするだけでしょう。
年齢とともに思考法もより柔軟により現実的に変えていかないと
いけないのですね。その思考法の変換のことを年をとると言うのでしょうかね。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
時間 (鎮目 浩二)
2007-08-27 09:20:41
I氏の”限界”は私には”時間”と思えてならないのです、既に40歳を超え体力も知力も衰えた私には限界も勿論ありますが時間の無さも同時に起こっているように思えます。今回の怪我を通じて何か神様でもが「お前は働くな」と言われた様な気がしました、言い訳がましいのですがたった2日働いただけで怪我をした事が単なる不幸だけではない様に考えたのです。
勿論一時的な事ですが今後また復職出来るかも今は白紙状態、でも当然働かなければ食っていけないので仕事を探すつもりですがこの歳になると”年齢”と言う大きな限界があるのです。
I氏の言わんとしている”限界”とは次元が違いますが一つの限界だと痛感しています、早く仕事を探して老いの準備をしなくてはなりませんからね。
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Unknown (402)
2007-08-27 10:39:24
次回の職選びはくれぐれも慎重にしたほうがいいと思います。確かに「時間」もときとして考えないと
いけない概念ですよね。
まだまだ暑いですが、涼しく感じるころは
もう今年も終わりです。なんとも早い一年です。
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