酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

藤沢便り 江の島の裏側で

2011-06-10 12:40:51 | 藤沢便り
江の島で、ライフセーバー見習いとして活動しております年下君です。
この春無事高校生となりましたが、本人部活動には入っておりません。
運動部からはお誘いもあったようですが、江の島で泳ぐことが、彼の部活動のようなものとなっております。
普段は片瀬西浜を拠点として活動しているようですが、時たま、江の島まで、出かけるようです。
夏本番ともなりますともう「真っ黒くろのすけ」となっております。
遊びと、酔漢は思っておりましたが、「救急救命士一級」を取得したらしく。
「公営プールで監視員ができる」とそう申しておりました。
競泳を断念した経緯がございますが、水泳の方向を見つけたようです。

先週土曜日。
彼の所属するクラブと市が主催して、「江の島周辺の磯の生物観察会」が、催されました。
市内の小学生を江の島の磯まで連れて行き、「磯の生物を見せる」というものです。
「おやじは得意そうだなぁ」
「だてに海育ちじゃない。まぁ得意分野だ」
「ふーーん・・(あまり信用していない様子)どの辺でやった?」
「野蒜(現東松島市)に宮城県立『松島野外活動センター』ってのがあって、そこの講習を受けた。去年の夏に『月浜』に行ったろ?その影の岩場で遊んだんだ」
「どんなのがいた?」
「まぁ、俺はヤスでもって岩陰に隠れている魚専門にねらってだな。たき火で炙って・・もちろん喰った!」
「おい!観察会じゃなかったのかよ!」
「まぁ、食える魚。磯の中には(潮溜まり)大きいのはいないけどな。ネウ(アイナメ)なんか結構食えた!」
「野生児の集まりか?キャッチ&リリースって知ってる?」
「海に離す?もったいない。食える魚はしっかり食う。俺の主義だ」
「なんか、昭和の時代なのか、塩竈だからなのか。やってる事がワイルドだよな」
「お前たちは?」
「俺たちは観察したら、全員で海に離すんだ。これが江の島の自然を守ることにつながる」
「・・・・・・・」
そうなんです、僕ら小学生のころは「海は食べ物の宝庫?」的な発想が主でして、「生物多様性」とか全く考えてもみませんでした。
ですから、当時の観察会でも、講師の先生はこう言っておりました。
「これは毒があるから食べられません。ですが、こちらは食べられます」
と言った話が主流でして。
「どこに住んで、どういう生物なのか」という事については、あまり話していなかったような気がするのでした。
「違う!それはきっと親父がそういう事に興味がなくて、単に食えるかそうでないかという事が頭の中を占めていたからだ」
と、指摘を受けました。
「そうかなぁぁ」と古い記憶を掘り出してみても「そんな事なかったよなぁ」です。
(以前、花山少年自然の家のくだまきで、佐藤和吉先生の植物の話でも結局は「食えるか否か」だったような・・)

江の島の自然観察会は、盛況だったそうです。地元テレビの取材もあったそうですが、彼はウミウシを使った実験を子供達の前で行ったそうです。
「おいウミウシって食えるか」
「またこれかよ!って、食えるらしい・・」
万事こんな会話です。

江の島の裏側は最近まで「立ち入り禁止」だったそうです。
崖崩壊の危険があるからだそうです。
ですが、最近は観光できるようになりました。
彼らが観察会を行ったのも、丁度写真のあたりだそうです。

写真です。
おそらく昭和はじめ。
横須賀鶴久保小学校の遠足風景です。(尋常小学校時代か国民学校か、分かりかねますが)
叔父が写っております。父の兄ですが、酔漢、本人を特定できません。
場所は「江の島」です。
当時、どうやって行ったのか、父からは聞いてません。
自分の息子と叔父が同じ場所で写真を撮っている。
そんな事を考えてしまいました。

新しいカテゴリーを作ってみました。
コメントを下さる「ゴエモン様」は、藤沢から塩竈へ住まいを変えられておられるそうです。
今は酔漢の実家そばにお住まいだとか。
そのコメントに「藤沢の様子も知らせてください」とございました。
不定期ではございますが、住んでいる地域、故郷とを結ぶ細い糸がございましたら皆様へお届けしようかと思いました。

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6 コメント

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Unknown (ゴエモン)
2011-06-12 14:28:46
早速、ブログに藤沢の話題を取り上げて頂きありがとうございます。
私は、平成4年に藤沢の住人になりました。偶然ですが、酔漢様の現住所の近くに住んでいました。遊行通(国道467)から2本、西側に入った通りで藤沢橋には歩いて30秒で着いてしまいます。
境川の脇は自転車が通れて市民病院までの通勤は10分もかからなかったと思います。
藤沢には誰一人、知り合いがいなくて暇を持て余しニックネームにしている雑種の犬を飼いました。この犬は遊行通沿いのペットショップ(今もあるのかは?)の店先にベビーベッドに入れられ飼い主を探していた犬でした。
大家さんの敷地にある一軒家を借りていたので、犬はOKだったのです。
大家さんも何気に訛っていたのですが「いずい」だけは通じませんでした。そして「いずい」が標準語でないことを知ったのもこの頃でした。
色々、思い出がある藤沢ですが、酔漢様のブログでまた甦ってきました。
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ゴエモン様へ (酔漢です)
2011-06-13 09:21:00
藤沢でもご近所。この頃には団地におりました。
ペットショップは、2年前になくなりました。
交差点の角ですよね。
市民病院は年下君が小児科、眼科にお世話になりました。
近所、近所で、ニアミスにしても、珍しいですね。遊行通りは、電線が地下化されて、歩道も広くなりました。
平成4年と言えば、長男誕生の年。
「おんべ公園」は散歩道でした。
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Unknown (takeda)
2011-06-14 20:21:09
月浜、懐かしい。
大昔、浜の向かいの無人島に3日くらい放置され、台風とバッティングして、死ぬかと思いました。
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Takeda様へ (酔漢です)
2011-06-16 09:12:36
思い出しました!
あの無人島のような場所を地図で探しますと、少しばかり(引き潮のとき)陸続きだったと確認できるのでした。ですが、船からでないと、あの海岸にはいきつくことはできません。
地元の人が楽しむ(岩だらけでしたが)ビーチだったのかと思います。
台風直撃の話。
年下君に話しましたら、「とてもまねできない」と言っております。
この経験はオーストラリアでもいきていた?
そうそう、この次の記事ですが、釜石のしんぺい君は、愛車「カワサキZⅡ」を津波で流されたそうです。
返信する
野蒜 (ひー )
2011-06-17 23:20:49
野外活動センターはこの震災でどうなってしまったものか?
仙石線のダメージが大きいところでもありましたね。
ルートが変わると聴きますが何処を通るようになるのか?
救急救命士 1級とは凄いですね。どんな項目があるのか 調べて見ようかな?

そうそう江ノ島は、危険の看板がありましたよ。
気をつけて進みましたがね 、何せ神社があったものですから。
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表記が違いました (酔漢です)
2011-06-21 17:13:14
救急救命士ではないです。
これ持ってたら救急車のスタッフだそうです。
すみません。知識ないまま記事にしました。
彼がもっているのは「人命救助の自治体が発行しいるもの」だそうです。が、高校の先生も彼より一級下だそうで。校内では彼含めて数名だそうです。
片瀬でこの夏から実際に監視員をするそうです。
上記の写真地域はいまだ立ち入り禁止でした。
これも合わせてお知らせします。

誤記多くすみませんでした。
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