酔漢のくだまき

半落語的エッセイ未満。
難しい事は抜き。
単に「くだまき」なのでございます。

祖父・海軍そして大和 大和を生みし者達 八

2009-08-24 07:52:49 | 大和を語る
起工式が昭和12年(1937年)12月4日。それより3日前、西島は偽装主任から船殻主任へと移動を命ぜられます。
呉海軍工廠の中で船殻工場は造船部に所属します。(呉海軍工廠ですから他には、総務部 砲熕部 水雷部 製鋼部 などなど・・・)
そして、その造船部中には更に製図工場、艤装工場、船渠工場、船具工場、器具工場など十の工場と四十五の班があり6060名もの人達が働いているのでした。

くだまきからは少し離れますが、船殻工場の大方の流れは次のようになります。
工場内、現図場で原寸の図を描きます。(1/50図から原寸大の形状などを正確に描いていくのです)原図場は長さ150m幅25mもあって黒板のようであったと聞きました。
(物の本を読んでおりまして、こう書いてあったのですが、自身では想像できずにおります)一号艦がでかいので、1/50とか1/20などと縮小された図面が船殻に届くわけですが、原寸大数十ミリとかのボルトだの鋲などは豆粒大で正確には捉えられません。現図工(現図を描く担当者)だけでも、150~160名ほどいたと記録されております。
10月、現図がほぼ完成いたします。
この作成された展開図に基づいて型取りし、実物大の木型を作ります。木型は甲板工場へ持ち込まれ、鋼板上切断するための線引きをします。この際、アセチレンガスで消えないようにハンマーとのみでもって線刻するのでした。
それを、次にアセチレンガスで切断して各部材の形を作り、熔接、鋲打ちで組み上げていく。
船殻工場の流れです。
一号艦に限らず、材料が無ければ艦は出来ません。

「甲板の生産能力か。工事予定を船殻で決定しても、甲板が間に合わなければ・・」
辻は西島の苦悩の側にいました。
「船殻工事と艤装工事の同時進行ですね。これだけ複雑な艦の上にこれまでの手順とはまるで逆。しかも・・主任、私はこれが一番の問題点だと考えるのですが」
「辻君、なんだね?」
「機密保持が、今のまんまですと各部門の連係すらとれないのではないかと、相互の関連性や作業手順までも統制しなくても」
「実際、各部門やメーカーでは、何を作っているのか教えていないのが実情だ。だが、設計部でも話しておったが、機密保持は全てに優先すると・・」
「西島主任。では、今までのままでいいのかと・・」
「各部門へは、与えられた作業を急がせるよう指示を。特に甲板制作は急がせるように、伝えてくれないか」
「解りました」

たえず工事の進捗をチェックし、計画とすり合わせ、日程の狂いを速やかに発見できなければ、完成期日が間に合わないどころか、予算も超過してしまいます。
西島自身が強力なリーダーシップを発揮し工廠内の各部門やメーカーに対して絶えずプレッシャーを欠ける必要があるのでした。
実際西島は数十万点にもおよぶ部品の一つ一つを材料統制という形で管理し、能率曲線という形で作業の問題点を早期に発見し、これまでどんぶり勘定に近かった重量の統制や各コスト面においてきめ細かい管理徹底を行ってくるのでした。

「ブロック建造は、一号艦では・・使うのですか」
「当然だよ。早期艤装を行う意味でも必要だし、平賀さんのいうところのD鋼でなければ、電気熔接は積極的に行うつもりだ。いや、使わなくては、一号艦は約束の日までに完成しないことになる」
工廠3年目、東大を卒業したばかりの若手技術者、中村常雄は西島の熱い思いを聞いておりました。
「中村君、グラフのチェックを宜しく頼むよ」
「工数の徹底管理ですね」
「その通りだよ。そうでなければ、これだけの複雑な艦は完成しない。だってそうじゃないか。いいかい、『あそこが少し遅れているから人を回せ』だの『そこは引き上げだ』だの現場の担当者が勘に頼ってやっているんじゃ、収拾もつかなくなる。工員の数は一緒なのに作業の内容が毎日変わるんだよ。それじゃ工数がいくつあっても足りないじゃないか。『那智』の時もそうだった。結局は工数オーバー。しかも平賀さんがあれほど『軽量化』と言っておきながら、実際は一千トンも重量オーバーしている。あの二の舞だけは後免だね」
「一週間ごとにチェックでいいでしょうか」
「船殻工事が順調に進めば他の工事はなおさら順調に進むに違いないだろう」
西島はスタッフ全員を集めて話をします。
「工数や金額は工事量、生産量そのもので変わるものではありません。能率の違いによって変わってきます。造船工事でも生産量が正確に把握できれば、工数の統制が可能となります。造船の工事が複雑だから、工数が変動するからと言っていたのでは、全てが狂ってしまいます。これまでのやり方では通用しません。この艦が完成しません。もう一度言います『生産量がわからない』というこれまでの見方自体が間違っているのです。生産量は工事をその重量、数量、個数、枚数、長さ、面積、容積でのみ表現してください」
実際西島はA140図面においての検証結果として
リベット予定数量 6百9万72本(完成時実際 6百15万3千30本)
熔接全長 34万7564m (完成時実際 34万3422m)
水圧試験の区画数 1682区画
上記をベースにして船殻工事の工数、進捗を把握していくのでした。

「西島主任、一週間ごとに曲線をグラフにするのですが、異常値はどのようにして図るのでしょうか」
「いくつかの曲線は互いに影響しあうものなんだよ。だからグラフそのものに均衡してなくてはならないんだ。ある工事が進みすぎた場合や遅れた場合、そのグラフがだんだん崩れていくのがわかるのさ、地道な記入だがこれであらかたの問題点がわかるんだよ」
ですが、全ての工程の把握と隅々まで工廠内を知り尽くしてなければ、その修正は不可能でした。この事ができるのは呉海軍工廠内、西島一人でございました。

「おい、大将が来たぞ!お前何かやったのか?」
「いや、覚えが無い」
カーキ色の制服に軍帽。二本筋の腕章。遠くでもわかるあの足音!です。
一瞬にして現場に緊張感が走ります。
「何をしておるかぁぁぁ」
工場内に西島の声が響きました。
「勝手な事をするなとあれほど言っておいたのに、貴様、何様のつもりで、こんな指示を出したのだ!」
現場監督は弁明することも許されず、ただ西島の言葉を聞いているだけでした。
西島はその能率グラフを見て、問題のありそうな現場を中心に視察に来るのでした。西島にとっては問題はすでに把握済みだったのです。
中村常雄は戦後このように証言しております。
「カーブの異常は我々でも解るようになって来るのですが、西島さんはその奥を見ておりました。わずかな傾斜も見逃しません。そしてこのカーブがおかしいのは我々の視点とは別の現場で起こっている問題だと見抜く。現場を隅々まで知り尽くしておりませんと出来ないことです」

だが、現場の問題には誠心誠意取り組み、工員達の信頼は他の主任クラスよりぐんを抜いていたのも事実です。

瀬戸内の夏。日照りが日常の土地柄。水不足になるのも毎年の事です。
昭和13年の夏は、ことのほか暑い日が続きました。
山の中腹にある工廠官舎です。玄関先に大きなバケツが積み上げられております。

「おい大将のとこまで水が行ってないんじゃないか」
「大将のとこは高台だ。一丁水を持っていくか」

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3 コメント

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喘息症状が治りません・・・ (クロンシュタット)
2009-08-28 06:19:18
作業工程の「科学的」把握・分析・管理。
今もって永遠の課題ではあります。
「頂上」でも相当のパワーをかけて取り組んでおりました。

社内で主導しておりましたSさん、K君。
なぜか「肩たたき」(リストラという表現は避けますね)に遭い早々に退社してしまいました。
矛盾と憤りと虚無感と。それだけが残された経験があります。
現実は、改革の前に経営あり、なのでしょうが。

高校の文化祭には、これまた強烈な鉄息子の次男と出かけます。

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まさしく (酔漢です)
2009-08-27 11:12:06
話の結果はトヨタ看板方式でした!ひー様に先を行かれました。部品調達過程が一緒です。トヨタより40年前に同じ発想に驚きましたフォードのテーラー方式とも共通します。
祖父は通信筒にいたはず。バイタルバートでは厚い甲板で覆われていたはずです。
ですが、250ポンド一発で全滅。構造上の観点からその原因を知りたくて、現在に至っております。
お付き合い、ありがとうございます。
水は、西島がどんなに厳しくても工員達に慕われていた事をお知らせしたく、紹介したエピソードです。
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Unknown (ひー)
2009-08-26 12:43:39
造船の工程などは全く無知なので、大変だな~と思いました。
それに数字の大きさに驚きます。
時間に追われる作業…論外ではありますが、今のトヨタのような…失礼!
最後の水…どんな役割が待っているか?
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