循環型社会って何!

国の廃棄物政策やごみ処理新技術の危うさを考えるブログ-津川敬

伊平屋裁判の背景

2008年05月04日 | 廃棄物政策
豊富な情報と素早い更新ぶりで知られる「東京23区のごみ問題を考える」ブログで沖縄県島尻郡伊平屋村(いへやそん)が溶融炉(ミニ高炉)の開発業者に敗訴した記事が紹介されております(08年4月22日と08年5月2日付)。
 その経緯についてですが、伊平屋村で採用予定の機種が同じ島尻郡の渡名喜村(となきそん)と座間味村(ざまみそん)にも導入されています。ところがトラブルや不具合の連続で、しかもごみピットもつくっていない実態に伊平屋村の西銘真助村長が危惧を持ち、仮契約を解除したことが裁判ざたになったのです。座間味ではどんな状況だったのか。筆者が現地の議員や環境衛生課長に取材したメモを以下紹介しておきます。なお小生の関連記事が3月5日の「どっこい生きてたミニ高炉」と同月24日の「座間味村のコークス問題」にも載っていますので参照してください。

◆マトモに出滓できない
 慶良間群島のひとつ島尻郡座間味島村(島)は2003年9月、㈱還元溶融研究所(社屋所在地・千代田区丸の内1-8-2)の小型シャフト炉(4トン/日)を03年11月に導入し、稼動させた。1日8時間のバッジ(間歇)運転で、通称ミニ高炉と呼ぶ。
 以下、座間味村の議員から提供された資料などにより、現地でなにが起きたのか、その経緯を整理しておく。
 なお座間味村(ごみ計画収集人口1,074名)に先立つ同年3月、同じ慶良間群島の渡名喜村(人口478名)にもミニ高炉が入っていた。こちらは同じ8時間運転の2トン炉である。
「2003年11月の稼動開始当初、1ヶ月おきの操業だったが、燃料であるコークスの価格高騰や操業経費が嵩むなどの理由で村は05年10月からごみを一定量溜めてから焼却するようになった」(沖縄タイムス2007年12月20日)。
 座間味村に先立つ同年3月、同じ慶良間群島の渡名喜村(人口478名)にもミニ高炉が入っていた。こちらは同じ8時間運転の2トン炉である。
「2003年11月の稼動開始当初、1ヶ月おきの操業だったが、燃料であるコークスの価格高騰や操業経費が嵩むなどの理由で村は05年10月からごみを一定量溜めてから焼却するようになった」(沖縄タイムス2007年12月20日)。
 このことについて座間味村環境衛生課長・金城英隆氏は電話で以下のように話す。「私が異動でここ(環境衛生課)へきたのは2005年4月のことですが、バグフィルターや炉材などが腐食し、コークスもグングン上がった時期でした」。
 処理は遅れに遅れ、しばしば炉が止まる。05年10月になってようやく運転準備ができたのだが、そこへ電気系統のトラブルが起き、炉内温度が下がった。当初の触れ込みとかなり違ったと金城課長はいう。
「まともに出滓できない。温度が下がれば炉の内部でスラグが固まってしまうのです」。

◆コークスを無断発注
 同じシャフト炉でも超小型のバッジ炉というところに技術上の無理があった。一度運転に入ったら24時間動かさないと安定出滓できないのがシャフト炉である。
ごみを溜めるだけ溜めて溶融処理するにはそれなりの理由があった。新日鉄のシャフト炉ならごみ1トン当りに要するコークス量は平均で60キログラム。ごみに水分が多ければ80~90キログラムになる場合もある。だが金城課長によれば座間味村も渡名喜村もごみを1トン処理するのにコークス400~450キログラムを要したという。
座間味村の宮里清之介村議によると機器の運転委託先は05年10月まで開発メーカーの還元溶融研究所であった。しかし委託費の折り合いがつかず研究所は混乱のうちに引き上げた。同年10月以降、操業に向けて㈱サンワという企業の社長に村長が相談をかけ、12月からは同社が運転を引き受けることになったが、開発メーカーでないため不具合への対処に難渋したという。
 金城課長もいう。
「困ったのは修理点検できる技術者が島(村)に常駐できないことです。業者側から二人でやってきたのですが、頼りになる60代後半の技術者は体調を崩して帰ってしまい、もう一人は30代後半の電気技師でしたがトータルな点検整備には荷が
重かったのです」。
07年に入り、プラントを点検したら「ガス燃焼室の点火プラグがない」という。だが離島の悲しさで取り寄せに時間がかかる。とりあえず港の近くに村の工務店があるからその類似部品で当座をつないだが、別にモーターの不具合も見つかった。
 それ以後の時系列が煩雑にわたるので割愛するが、炉そのものは2ヶ月に一度、偶数月に運転していたという。そこにトラブルの連続で、ごみは溜りに溜まった。
「座間味村で06年4月13日を最後に家庭から集めたごみが焼却されていないことがわかった。住民からは『ハエやネズミの発生が心配』『何か月も前に捨てたごみがそのままなのはプライバシーの面からも心配』との声も上がっている。仲村三雄村長は『税金をムダなく使うために計画調整している。ほったからかしているわけではない』と説明している」(琉球新報2006年8月16日)。ちなみに仲村村長は在任3期目の63歳。農業化学が専攻で元沖縄県の幹部職員だった。

◆ごみの船出
 まる4ヶ月分溜まったごみは約312トン(写真)。村では生ごみを別途処理しているためその混入は少ないが、弁当の残りカスや汚物からの臭いが8月の炎天下、悪臭となって周辺に広がった。仲村村長は「金さえかければ毎日焼却できるができるだけごみ処理費用は安く抑えたい」とやや不穏当な発言をしている。その仲村村長がもうひとつ理解しがたい行動をとった。すなわち村議会の了承を得ることなく村長のハンコだけでコークス500トン、金額3,250万円の契約を行なったのである。トンあたり6万5,000円だった
 ことが発覚したのは本年(08年)1月15日だが、現物はすでに昨年4月からすでに一部搬入済みであった(実際に搬入された量は105トン)。
 頭へきたのは座間味村議会(8名)である。07年12月28日、御用納めの慌しい中、緊急全員協議会を拓き、村長に対する辞任要求を全会一致で決めた。しかし村長はこれを拒否した。「悪いことをしたという思いはない。それよりも去年から稼動していない炉が再稼動したとき、コークスの在庫が足りなくなる。そこで業者にストックをお願いしただけ」とまったく悪びれる気配はなかった。
年が開け、全員協議会は3度にわたって行なわれたが、2月18日の不信任決議案は4:4の同数だった。しかし決議成立要件の3分の2を満たさず、結果として否決となり、村長の首は辛うじてつながった。
 結果として村長の怪我の功名であった。前記のように本土でもトンあたり6万円、7万円の声が起こる中、6万5,000円はまずまずの買い物といえる。
 村長の辞任要求を最後まで取り下げなかった前記宮里村議も「現段階(08年4月)ではトンあたり6万5,000円に運搬費1万1,000円(博多ー那覇)を加えても入手できるかどうか不透明」という。  金城課長によれば「いま片端から業者に電話を掛けまくっていますが、まずとりあってもらえない。ようやくM鉱山が話に応じてくれましたが、いまだに売るとはいってません」とのことである。
 溜まりに溜まったごみ650トンのうち400トンは沖縄本島の那覇・南風原クリーンセンターに焼却依頼し、4月18日、金城課長は感慨深げにその船を見送ったという。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。