余談ですが。
シルバー・バーチの言葉にこういうものがあります。
《その昔「この世を旅する者であれ。この世の者となるなかれ」という教えが説かれましたが、死後の生活への信仰心に欠ける地上の人間にはそれを実践する勇気がありません。》(『シルバー・バーチの霊訓』第4巻、19頁)
これについて、訳者の近藤千雄氏は、次のような注釈をされています。
《この世にありながら、この世的な俗人になるなというイエスの訓えであるが、聖書にそっくりそのままの言葉は見当たらない。モーゼスの『霊訓』の中でも引用されているところをみると、地上の記録に残っていないだけで霊界の記録には記されているのであろう。オーエンの『ベールの彼方の生活』の通信霊の一人が「われわれがキリストの地上での行状を語るときは霊界の記録簿を参照している」と述べている。》
モーゼズの『霊訓』の該当個所と訳注。
《イエスが弟子たちに申したであろう――「この世を旅する者であれ。この世の者となる勿れ(2)」と。
訳注(2)Be in the world, but not of the world. 身はこの世にあっても“この世的”人間になるな、ということ。この通りの言葉は聖書に見当たらないが、多分ヨハネ17の場面で実際に述べたのであろう。》『霊訓』30節
「Be in the world, but not of the world.」が“旅する者……”というのは、そうとう意訳というか超訳ですが、まあ……
管見でもこういう表現は聖書に見つかりません。
ただ、『トマスによる福音書』には、次の言葉があります。状況描写なしです。
《イエスが言った。「通り過ぎて行く者でありなさい。」》(42)
こちらの方が「この世を旅する者であれ」に近いかもしれませんね。
トマス福音書は1945年に発見されたもので、モーゼズはもちろんその存在を知りませんし、バーバネルもたぶん知らないでしょう。
まあ、こういった知恵の言葉は、イエスだけでなく他の人も言ったかもしれませんが。
「Be in the world」の方は、「世にいなさい」という意味が一応あるわけで、「通り過ぎていく」というより現世肯定的ニュアンスがあるような感じがします。
ちゃんとこの世を生きなさい、でもこの世のみの存在となってはいけませんよ、と。
でも、現世ばかりにとらわれがちな魂にとっては、「この世は通り過ぎていくものだよ」という諭しは、常に必要なのかもしれません。
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Be in the world, but not of the worldを
グーグル検索してみると、↓みたいなのが出てきますね
http://www.bible-knowledge.com/in-world-not-of-it/
英語ニガテなんで、よくわかりません(笑
近藤千雄氏の翻訳が全体として本質を踏み外していことは無いだろうと思っていますが、意訳超訳のみならず、誤訳もそこそこあるんだろうなと
>ちゃんとこの世を生きなさい、でもこの世のみの存在となってはいけませんよ、と
こっちの訳のほうが、いいですね
英語の方までググってませんでした。
ご指摘の記事ですが、長々しい本文ではなく、
コメントの方に出典議論がありました。
一人は「これはブッダの言葉だ」と言い、
一人は「諺だろ」と言っています。
このままの形は聖書にはないようですね。
ま、いろいろな人が言いそうなことではあります。
よろしければ新ブログの方もご愛顧ください。
コメントもお待ちしてます。