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「除霊」問題の難しさ (1)

2011-10-07 00:15:57 | 高森光季>スピリチュアリズム霊学

 九州で「除霊中に少女が死亡」という事件がありました。痛ましい事件です。
 (時事通信)「滝行」で女子中学生死亡=傷害致死容疑で僧侶ら逮捕-熊本

 あまり擁護するつもりはないし、火中の栗を拾うのもちょっと何ですが……
 ただ、唯物論、霊否定の「権威」の尻馬に乗って、「霊だの除霊だの言っている頭がおかしいやつだからこういうことが起こるんだ」と嘲罵している人たちには、「ちょっと待ってくれ」と言いたくなります。

 現実には、「未浄化霊による憑霊ないしは霊障と“見える”現象」は、稀ではありますが、起こっています。
 その中には「妄想」「精神病の一表現」だと思えるものも多いことは確かですが、すべてがそうだと言い切ることはできません。
 スピリチュアリズムの霊信では、「低級霊の害悪」があるとはっきりと言っているものもあります(インペレーター、カルデックなど)が、そういった「霊の実在のネガティブな面」について、あまり触れようとないものもあります(シルバー・バーチ、マイヤーズ通信など)。言及を避けているのは、「教育的な配慮」なのかもしれません。
 しかし、いろいろな情報を総合すれば、「未浄化霊による憑霊ないしは霊障」は、あることはあると言わざるを得ません。
 そして、現実に、「周囲の一般人(特に強硬な否定論者でない人)が“霊障”だと思ってしまうような現象」が、ぽちぽちと起こっています。

 唯物論者は、「霊」などという考え方があるからそういう出来事が起こるのであって、この世からそういった“迷信”を駆逐すれば、そういうことはなくなると主張するかもしれません。そして、ぜひともそうしたいと猛烈に願っているのでしょう。
 しかし、そういった考え方やイメージは、文化の中にしっかりと組み込まれています。いくら駆逐しようとしてもできるものではない(まあ、そんなことをしたら人間は人間でなくなるだろうと思いますが)。
 そして、そういった考え方をしていなかった人、あるいは否定的だった人が、「現象」を見て、「これは霊障ではないか」と思ってしまうことも往々にしてあるわけです。特に、思い当たる節があり(当人が心霊スポットに肝試しに行ったとか)、通常の治療(精神科医など)をしても効果がなかったという場合、周囲は(あるいは当人自身)困り果てます。
 そうした際に、助けをどこに求めるか。
 既成宗教は、なかなか取り合ってくれません。特に最近の仏教は「霊魂否定論者」が優勢となっていますから、歓迎しないでしょう。神道も型どおりのお祓いくらいはしてくれるでしょうが、それ以上の関与はほとんどできない(知的にも信仰的にも能力的にも)でしょう。

 そういった人々のニーズを満たしているのが、「新宗教」と言われるものです。新宗教は、もちろん「群れる歓び」や「信じる安心」を与えるものでもありますが、「除霊」はきわめて重要な「売り」としてあります(全部ではないですが)。
 そういった新宗教の多くは、教祖が霊能を持っていて、除霊なども行ない、それによって多くの人の支持を勝ち取っていくわけですが、教祖が死去したり、組織が大きくなったりしていくと、そうした「技能」は発揮しにくくなります。霊能は血縁継承とか技術による習得が困難なものだからです。
 そうした中で、見よう見まねでやったり、無理やりなことをしたりすると、今回のような事件が起こる。断言はできませんが、あの教師も、父親も、「何とかしたい」という純粋な動機だったのではないかと思います。ただ、ふさわしい能力を持っていなかった。そしてそれなのに強引なことをしてしまった。無知・無謀だったということでしょう。殺人ではなく、過失致死ということです。

 ちなみに、本山が「わが宗には除霊という概念はありません」という声明を出していますが、それは表向きそれを言うことは控えているということで、裏では(悪い意味ではなく)それなりの対応はしていたのではないでしょうか。どういう言葉で表現するかはともかく、宗教的修行をしていれば、まさしく「魔が差す」「魔に憑かれる」ということがあるのは、重々理解しているだろうからです。そして助けを求めてくる人に、どうにかして対応しようとする姿勢は持っているでしょう。

 ですから、あんまり「ぶっ叩く」のは控えた方がいいように思います。万が一、あなたの親しい人がそうなったら、どうしますか。どうやっても向精神薬やカウンセリングで治す、と突っ張りますか。
 (この項、続きます)


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