今度、どこ登ろうかな?

山と山登りについての独り言

唐倉山・大嵐山

2005年11月30日 | 山登りの記録 2005
平成17年6月7日(火)

 去年、御神楽岳に登って以来行けなかった会津の山。前回この方面を考えたが、何しろ和名倉で頭が一杯になっていたので、長年の登りたい山候補最右翼の大嵐山だったが、見送っていた。奥秩父は一段落したし、やはり静かで他の山域と雰囲気の違う会津の山に行きたいな、ということで今回は会津行きとなった。
 
 大嵐山は随分昔から知っていた。尊敬する川崎精雄さんの著作の中にも登場していて、はっきりとした登山道ができる前から登ってみたいと思っていたのだが、なかなか果たせず。ここ数年は、機会があったら行こうと狙っていたにもかかわらず、天候等のせいで「おあずけの山」になっていた。この山の下にある湯ノ花温泉にも久しぶりに行ってみたい。でも、大嵐山だけではやや時間が余ってしまう。せっかく行くのだ、登りたくて登れない会津の山は沢山あったから、ドレにしようか?本命の大嵐山の近くで、あまり時間がかからない、その上面白そうな山は…と候補を上げていくと、この辺りでは少数派の岩場のある山、唐倉山を選んだ。唐倉山は次々と岩場が出てきて面白そうだ、往復コースタイムで2時間半くらいだから、大嵐山の前座で丁度いいだろう。
 
 会津への道も行くたびに良くなっていく。川治温泉から山王峠手前の三依までの間、鬼怒川上流の男鹿川沿いの道はかつては渓谷にへばりついてカーブも多く時間がかかった。竜王峡から五十里ダム辺りの道は改良工事が進み、トンネルや橋が架けられて昔日の面影は無い。山王峠から田島に下り、昔ここも凄い峠越えだった駒止峠もトンネルであっという間に抜けて南郷村に入る。山口というを起点とする林道が唐倉山登山口に繋がるはずだ。深夜の奥会津の車も通らない国道を、どこかなあと捜しながらゆっくり走った。
 
 唐倉山への矢印がある小さな看板が出ている入り口を見つけ、農家の庭先を通り抜ける様な道がそのまま林道八久保線で、渓流沿いに暗い道を進むが、ここもちゃんと舗装してあった。唐倉山登山口の茅場の広場には林道から鋭角に入る、こんな急なところはステップワゴンでは曲がれません。一度少し先まで行って、Uターンして一段上の作業小屋跡地の広場に着いた。時間は午前1時、家を出てから3時間半だ。距離にして180キロあるから、いくら夜中とはいえ、一般道をこの時間では普通は無理だが、何しろ会津は信号も無い街も無い、道はがら空き、その上整備されて走りやすい、だからこそか。
 会津の山の中は真っ暗で、明かりが少ないから星の数も多くて、天の川まで見える星空だった。真っ黒にシルエットになって、唐倉山らしい山体が見えた。車の外に出ると、今晩は結構冷えているようだ。登山道入り口には、大きな看板が建っていて「伝説の山・唐倉山」の説明が書いてあった。道も不明瞭で危険な山だそうだ…(どうも、このところ登る山はみんなこんな注意書きがある山ばかりだな、と思うのだった)。5時に起きることにしてアラームをセット、シュラフに潜り込んだ。真っ暗な森の奥から、トラツグミのヒーヒー啼く声がしていた。久しぶりだな、ぬえの声を聞くのは。さすがは会津の山奥だ。

 眠りが浅いのか、或いは寒さのせいか、何度も目が覚めてしまった。最近は車でぐっすり眠って、快調に朝を迎えることが多かった。アラームは5時だったが、4時に目が覚めて周囲は明るいし直ぐそこに唐倉山が大きく見えているから、じゃあ起きて登ろうかな。とはいうものの寒い、まだ眠くて起きられそうもない。またシュラフを被って寝た。何度も目が覚めた、というよりもう眠れなかった。イマイチ身体が動かないが、夕べ買ったいなり寿司をほおばった。大したもんじゃないが、結構うまいと思ったので大丈夫登れそうだ。
 
 夜露で下草はぐっしょりになっている、茅場の先ほんの直ぐそこに唐倉山があるが、森に入るまではその濡れた下草がうるさそうだ。こうして見上げた唐倉山は、すっかり樹木に覆われて、岩山の片鱗も見えないのだった。どうも違うみたい…ただの藪山に見える。葉が落ちた秋から葉が出る早春までが、岩山であるようだ。とにかく、支度をして歩き出す。ウグイスやホオジロやツツドリやセンダイムシクイやコマドリ等が賑やかだ。湿地や水が流れている辺りからはカエルの声も盛んだった。直ぐに濡れた下草でコンバースの例の靴は水が浸み込んできた。分かっていることだが、ここのところ長歩きにはこの靴ばかり履いている、軽くて足への負担が少ないメリットを考えれば、トレッキングシューズでは無いのだから仕方がない。茅場を過ぎると栗等の雑木林に入るが、いきなり不明瞭な笹藪になってしまった。道を失って、のっけからこれかよと思ったが、直ぐにまた明瞭な踏み跡に出た。踏み跡自体は、その後は明瞭だったが生い茂る草に隠れ気味だった。
 
 しばらく藪を辿ると、つるっとした岩壁に行く手をふさがれた。この岩は表面がつるつるして、川原の石ころの様だ。乾いていればフリクションが良く効きそうだった。たぶんこれが旛岩という岩であろう、踏み跡は右手に付いていて滑りやすい急な泥斜面を登っていくのだった。早朝から大分汗を搾らされる、ものすごい急な坂だった。そうして、長く続いているこの岩が切れている所から上に出た。そこが尾根で、ここもまたつるっとした岩で裸岩という名が付いているらしい(でも、これは帰ってきて後で知った)。裸岩だか何だか知らないけれど、この先に出てくる岩にも別に名前は書かれていなかった(ほとんどの岩には名前が付けられているらしい、というか付けられていたと言う方が正確かな)。岩の上に上がると、もう素晴らしい眺めが広がった。幾重にも重なった山並みの向こうに、まだべったりと雪を付けた山が見える、それは会津駒と三ツ岩岳だった。今回ちょっぴり三ツ岩岳に変更しようかと思ったのだが、今年は雪が多いからまだ無理だろうなと思い計画のまま大嵐山にして正解だった。西に会津駒で南にはこの後に登るその大嵐山が二つくらい向こうの山並みの上にちょこんと頭を出していた。
 
 ここからは岩稜になる、とは言ってもそう大層なものではなく、黒滝山の馬の背のナイフリッヂをこじんまりさせて、そこに藪を貼り付けた様な具合だった。旛岩からずっと、びっしりと覆っている樹木に隠れ気味だけれど、背の丸い岩の連なりは頂上近くまで続いていた。踏み跡は薄かったが、真新しい赤ペンキのマークが点々と付いていてコースに問題は無かった。御柱岩(おんちゅういわ)というこの山一番の不思議な?岩が直ぐに出てきた。50センチ真四角立方体の、長さ数メートル柱材状の岩がばらばらと横倒しになっている。傍らには真新しい飾り物が立っていた。まだこの山には山岳信仰の名残があるようだ。リッヂを尚も登っていくと、ギャップになっていたので飛び超した。そこから踏み跡と赤ペンに導かれて北側を巻き、直登の厳しそうな岩場の上に出る。巻き道から下を見たら沢のツメの部分にまだ雪が残っていた。たかだか1,000㍍そこそこの山に6月になってもまだ残雪がある、今年の雪の多さはここでも例外ではなかった。黄色いウツギの花や、アオダモの白い花などが見られた。岩尾根沿いには五葉松が多く、基本的には周囲の樹相はナラやその他の広葉樹の雑木だった。最後の岩(とびつき岩)は少し登りにくかったが、それを越えると後は藪を少しで狭い頂上だった。まあ、岩場と言ってもこんなもので、ザイルなんか持ってきても邪魔なだけだろう。もう少し楽しませてくれないかな…ちょっと拍子抜け。

 頂上も、この季節では低い木々に囲まれて、余り眺めは良くない。木の葉が落ちてしまった季節がベストだろう。北側は駒止湿原のテーブルマウンテンが大きく、直ぐ下に国道401号線が見える。ここを走る車のエンジン音が大きくここまで届いてくる、意外に人里の山であることがここでも分かる。東や南は樹木が邪魔でほとんど展望なし。早朝曇っていた空に青空が広がり、夏の様な日差しが照りつけるので、時間はまだ6時半だというのに暑いような感じだ。結局登山口から1時間10分程で頂上に立った。この時期多雪山地の山は恐ろしいほど飛来するハエ類がうるさいが、まだ朝だというのに、既にはらうのも大変なほど虫だらけだ。携帯の電源を入れると、意外にもエリアになっていたので、妻に電話した。あまりに朝早く電話してきたのでびっくりしたと言った。
 
 唐倉山の山頂には明神岩?という高さ1メートル程の石塔の様な岩があり、三角点が二つもあった。普通の三等三角点と少し離れて「主三角点」と旧字体で刻まれた標石がある。こんなの見るのは初めてだ。(これは国土地理院の前身である陸地測量部のモノではなく、旧農商務省山林局という役所が昔建てたモノらしい…「主」と「次」があるそうだ)。朝起きてからいなり寿司を食べたが、残りのいなり寿司とカレーパンを半分食べた。またおなか一杯。山頂は展望もそれ程でもなく、虫がうるさいし、次の大嵐山もあるから早々に退散した。下り道は初めははっきりした道だったが、降りるにつれて藪に埋もれがちだ。しかし、赤ペンキは点々とあるので問題無し。落っこちるような急な下りで、茅場と、停めてきたステップワゴンが点になって見えていた。唐倉山の南面は岩脈状の岩がいくつもあるが、樹木に覆われてよく見えない。やはり葉が無い時期に登った方が面白いのだろう。下りは40分で戻ってきたから、一周して1時間50分だった。朝から結構汗をかくのは夏の様な陽射しが暑いからだ。直ぐにまた次の大嵐山に向かう。
 

 林道を下って南郷村の集落に出た。丁度時間的に通勤、通学の時間帯だった。村の小学生が沢山歩いている、旗振りのばあちゃんがいた。唐倉山から良く見えた大博多山に登ってみたかった。確かこの辺りが登山口だったと思うが、残念ながら今回の予定に無いので資料も無く、ついでにという訳にはいかないのだった。

 南郷から伊南村に入り、空いた道を舘岩に向かう。湯ノ花温泉入り口を右折してひなびた温泉に着いた。10年以上前に泊まって以来だが、当時のイメージが重ならず、どこに泊まったかも思い出せない。大嵐山入り口の林道が見つからずに、湯ノ花温泉街を通り過ぎてしまった。また、引き返し共同浴場「湯端の湯」を確認し、どうにか「大嵐山」の小さな看板がある林道入り口を見つけた。昔の温泉はそのままな様だが、道路が変わってしまったために温泉の雰囲気も違って見えた。
 
 林道は少しばかりで終点になる。終点は車を回せるスペースがあり、車5,6台は停められそうだ、福島ナンバーの車が1台そこに停まっていた。 平日でも登る人はやはりいるのか。大嵐山・湯ノ倉山登山口の看板があった。もう、支度はしているままなので、直ぐにザックを背負って出発する。時刻は8時40分で、11時くらいには着けるのではないかと思う。道は林道終点から一段上がって、そこにある古い林道を少しつめ、自然に山道になる。初めは杉や落葉松の植林の中だったが、直ぐに雑木になり、ブナも混じるようになる。余り太い木はない、相当な巨樹の切り株がすっかり枯れて所々に残っているから、以前は斧の入らない原生林であったのだろう。唐倉山で既にかなり汗をかいた、大分晴れて夏の日差しが暑いから登り初めからもう汗をかいている。樹林帯だからいいようなものの、遮るものが無ければダウンするくらいの暑さを感じる。虫のうるささといい、この暑さといい、やはり会津は標高が低いから秋がベストだなとあらためて思った。
 
 ウグイスやコマドリ、ツツドリ、センダイムシクイ等の鳥の鳴き声とエゾハルゼミやカエルの声など、実にこの森の中は賑やかだった。渓流沿いに緩やかに登っていくが、湯ノ倉山分岐を過ぎるとだんだん傾斜がきつくなって、細いながらブナ林の中を行く様になる。ニリンソウの群落があったり、オオカメノキの白い花があったり、ミツバツツジが咲いていたりと目を楽しませるものも多かった。ややジグザグに登るようになると、水流も消え笹の切り開きの中をますます急になり、暑くてたまらない。思いの外、尾根まであえぎあえぎ、予想よりきついなと感じた。暑さのせいだろうが、つくづく暑さには弱いなあと感じるのだった。タムシバが盛りを過ぎてはいたが、白い花を優雅に見せていた。ここでは春と夏の花が一緒に咲いているのだった。沢の源頭部の窪みに雪が残っていた。
 
 やっとのことで尾根に出ると、木の間越しに会津駒と三ツ岩岳が見えてきた。東側の展望も開けて、七ヶ岳がきれいに並んで見え、荒海山と手前に土倉山が望めた。尾根はシャクナゲの盛りだった。和名倉に勝るとも劣らない見事なアズマシャクナゲがあでやかに咲き誇っていた。しかし、この尾根はガイドブックにあるように結構アップダウンが多くてきつかった。目の前に大きく山頂部が見えてくると、足元には可憐なイワウチワの群落があった、この花を見るのは実は初めてだ。イワカガミは去年も御神楽や篭ノ登山で大群落を見たが、イワカガミよりこの花の方が似てはいるけれど、より上品な感じがした。しばらくイワウチワを楽しんで、最後の登りは、左手に残雪を見ながら、タムシバが咲く細長い笹の切り開きの山頂に着いた。登り着いてしまえば、登り始めてから2時間15分しかかからなかった。

 頂上には老夫妻が休んでいた。下にあった車のもち主はこのお二人だろう、三角点と山名板があるところで寝ころんでいた。頂上は南北に細長く、思いの外広かった。北や南や東側は展望があったが、西側は藪がちで見えない。山頂の西側斜面を一段下りたところに、青いビーニールシートで大きく囲ったものがあり、これは一体なんだろうと思った。同じようなモノがこの後に登った湯ノ倉山の山頂にもあった。後で会津の山の本を見ていたら、どうもサンショウウオを捕るシカケというものらしい。
 
 ここからの眺めは広闊だ。特に北側が白眉で、直ぐそこに西上州の大津そっくりの岩峰があって、ここから枯木山に続く稜線は東側が岩壁になった険しい地形で目を引いた(岩壁にはシャクナゲのピンクも見えて、まるでアカヤシオに彩られた大津そのもの)。遠く田代山や帝釈山・日光の女峰山と小真名子や太郎山・男鹿山塊・裏那須の山々や明神が岳や手前の荒海山等ぐるっと見渡せ素晴らしかった。しかし、やはり急峻で沢の源頭部に筋のように残雪を見せ、乱杭歯の山頂部をそびえ立てている枯木山が中でも一番の注目だった。この山に登りたいなあ…(帰ってきてよく調べたが、枯木山は登路も無く沢登りか残雪期しか登頂不可能な一級の藪山らしかった)。
 
 今日はもう一つくらい登ろうかと思っていたが、暑さのせいで汗をたっぷりかいてしまったから、もう戦意を喪失してしまった。それに、思った以上にこの大嵐山が素晴らしい山だったので、これでもう満足だった。1時間くらい山頂にいて、長年の念願の山だった会津の渋山を満喫していた。この山には会津の山の良さが凝縮されていると思った。惜しむらくはブナの原生林が無いことくらいだ。老夫妻が下りていった後も、一人きりになった幸せなひとときを味わったのだ。
 
 帰りは湯ノ倉山に寄ってから一気に下り、湯ノ花温泉の共同浴場でひなびた温泉に浸かり、更に一層満足だった。空いた道は距離が180㌔もあるのに、道の駅「たじま」にゆっくり寄っても、ちっちの体操のお迎えに充分間に合うくらいの時間に帰り着いてしまった。梅雨入り前の、本当に楽しい山登りだった。唐倉山はやはりオマケだったようだ。
 そして、枯木山が、また気になる山のリストに加わってしまった。

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