Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「分水工を探る」其の4

2009-11-29 17:42:18 | 分水工を探る

西天竜の「分水工を探る」其の3より

  ■ 羽北1号乙(第2)

  前回羽北1号乙分水工について触れた。上伊那郡辰野町の北大出と羽場地域を灌漑する分水工であって、南北に分水された用水は国道153号線の西側を中心に灌漑し、23/34という多くの堰を有す東へ流下する用水路は、国道153号線の北大出交差点のすぐ東において再度円筒分水工で分水されることになる。それが今回の第2分水工である。施設の劣化は進んでいるものの、羽北1号乙同様に設置当初の時代のものではないのか、あるいは当初はなかったものの、ある程度年数を経てから追加して造られたものなのか詳細は解らない。いずれにしてもこれもまた縁に装飾がないことなどから戦後の施設と思われる。

 

 図はこれまで同様上がほほ西を向いている。北大出の信号機から町道際を下ってすぐに四角い水槽が登場する。これが図の頂部にあるもので、ここで深くもぐらして円筒分水工のセンターサークルまでサイホン式に水を送るわけだ。幹線水路から離れた中継地に存在する円筒分水工にはこういう形式のものが多い。形は完全な円形ではなく、西側の円をカットした形になっていて扇型に近いとも言えるが、ほぼ270゜の円形が保たれていることから、わたしの判断でこの分水工は円筒分水工の「円形」タイプと分類させていただく。分水は北へ2本、東へ1本、南へ1本の合計4方向に分けられており、とくに北2本がメインの灌漑区域と言えるだろう。これから下流域は伊那富の中でも羽場地籍が主な地域となる。10個の堰が設けられているが北側の西端にあるものが幅18センチと若干広く、残りはすべて幅15センチのものである。したがって北に向かっている西側のものが最も堰の大きさからいけば水量の多い系統といえるだろう。

  西天竜幹線水路ができた時代と、ここから下った南原の下段が開田された時代がどういう位置づけにあるかまでは調べていないが、ここから400メートルほど東の段丘下は、かつては水田ではなかったと言う。後に開田されて分水するようになったと言うが、それが西天竜幹線水路の開削と同時期だったのか、あるいは後のことであったかは、今後調べてみたいと思う。いずれにしてもその段丘下に送る用水路は、図の北側2本のうちの東側の水路が町道を渡ったすぐのところで分水されており、その用水路は暗渠で道路内を延々400メートルほど下っていっているようである。前回までにも触れてきたように、これもまた途中で水を利用されてしまわないように、段丘下専用水路を設けた例である。


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