Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「よくもこんな所で」

2009-11-28 20:31:49 | 農村環境
 普通ならあまり足を踏み入れるような空間ではないところに、仕事で踏み込むことがある。地方、それも農村地帯、さらには山間地帯にその場を求めることもあって、そうした空間で意外にも家があったりすると「よくこんな所に」と思うことがたびたびあるものだ。春先に行った伊那市の中央アルプスの麓、というよりは麓から少し分け入ったところに、平成18年に大きな災害を被った現場がある。堰堤で沢わ塞がれて白い壁が出来あがっているがその壁の上に行く細い林道がある。もちろん砂利道というか土道であって、その勾配もきつい。その坂を登って壁の上に立つと足が震えそうなくらいに気分は縮こまる。その壁の上から歩いて少しのところに家を発見した時にはまさに「よくも」という印象を持ったものだ。完全に針葉樹林帯の傾斜地の中に一軒家がある。その家はそう古いものではなく、築数年程度のもの。里から数キロも奥というわけではなく、それこそ数百メートルのところに集落があるからとんでもない孤島のようなところではないものの、100%家の存在をうかがわせるような場所ではない。先日江戸時代の里山について触れたが、かつてならそれこそ柴山のようなところだったのだろうが、今では植林された木々が密集している。あちこちそんな現場に遭遇してきたものだが、例えば下伊那郡南部のようにあたりすべてが山の中といった設定の空間ではなく、少し下ればまったくの耕作地帯であり、いっぽうかなりの傾斜に入った山の中、もっといえば災害の起きた現場に隣接している空間という設定にさらなる意外性をもったわけである。なぜこのような場所に家が建てられたのか、その疑問に答えるまでもなく、よほどのことがなれければ合法的にさまざまなことが可能になる時代だと悟る。

 このごろも伊那市の北側にある川沿いの現場で、ここ10年から20年程度の間に建てられた家々が建ち並ぶ空間に入った。元キャンプ場があったと言われるだけに、松林があって、整備されていればまさに公園内のような空間なのだろうが、朽ち果てた施設がいまだいくつか点在し、木々の下層に広がる雑草はみごとに荒れ果てている空間のイメージを増幅させていた。それぞれの家の周辺も、さほど手の入れられている印象もなく、現代の廃村とまでは言わないが、なぜこんな空間が醸し出されるのだろうと頭を傾げる。それぞれの家主は生活に追われて家は建てたものの手もかけられずにどの家も揃ってそんな空間作りに手を貸す。それはわが家も同じようなものなのかもしれないが、まだ既存の家々が建つ既存の集落内ならともかく、なぜ河川に近いもっというとかつての河川敷のような空間に人々は住まいを求めるのか、などと思ったりするのである。維持することすらままならない地方農村にあって、わが家の周辺でもそうであるが、いまだ農地が埋め立てられて開発の手は伸びている。そんなに廃屋を増やしてどうすると思うのだが、この流れは留まるところを知らない。そもそもなぜ災害が起きそうな山の中に家が建てられるのか、そしていっぽう平らな農地が潰されているのか、根本的な住空間の秩序というものが企てられない以上、わたしたちの不幸は止らないのかもしれない。

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