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飯山市桑名川名立神社例祭へ②

2024-09-01 23:00:34 | 民俗学

飯山市桑名川名立神社例祭へ①より

 

名立神社道中舞(令和6年8月31日)

 

 昭和の時代に訪れた際には、毎年8月31日が宵祭りだったと記憶する。ようは土日が祭典日ではなかった。現在は土日に変わっているようだが、今年はたまたま31日が土曜日。本来の祭日に当った。事前に午後9時からとは聞いていたが、桑名川に着いたのは午後7時を少し回ったころだった。かつて訪れた際より、ずっと早い時間帯に既に桑名川へ身を置いていた。午後9時を前に、旧国道117号線に接する参道入口に人々が集まり始める。ふだんはここに「郷社 名立神社」と刻まれた石柱が目立っているが、夜、それもふだんはここにない灯籠が掲げられているとその石柱も目立たず、むしろその神社寄りに建つ石造の灯籠が目立っている。でも触れた立派な灯籠が掲げられていて祭りの夜を十二分に味あわせてくれる。かつて氏子の多かった昭和時代には180戸あったというが、現在は120戸ほどに減少しているという。この辺りでは中心的な位置にある桑名川だが、人口減少はどこでも進んでいる。二十歳そこそこのころ、この地はよく通った地であるが、仕事で訪れたことは数えるほどで、最も記憶にあるのは昭和58年の台風災害の復旧でかかわったことだろうか。やはり千曲川沿いは浸水している。

 午後9時に始まる獅子の練り。灯籠をくぐったところに獅子頭をはじめ天狗や松明など、祭りにかかわる道具が並べられる。その前で祭典掛長によるこの日の配役が読み上げられる。その後参道を挟んで両側に役員3人ずつ別れお神酒を頂いてから練りが始まる。かつては氏子総代が6人いたというが、現在は4人。あと祭典掛長と桑名川区長が役員に加わる。

 氏子総代がお神酒を頂くと、練りの行列が出発する。先頭は制札灯籠、ほか灯籠が練りを始めるが、かつては三十六歌仙灯籠が長く続いたが、①でも触れた通り、軽トラックにそれらは積み込まれ、先んじて境内に運ばれて行った。獅子舞の始まったのは午後9時20分前。後方のひょっとこが幌を大きく広げて舞う、いわゆる幌の舞(ここではヨタン舞という)で始まり、御幣を持って舞うオンベ舞、刀を持って舞う刀舞と続く。かつては道中舞には長刀やミヨ舞なども演じられたが、今年を見る限り、道中は獅子舞のみだった。また長刀に至っては、子どもが少なくなって祭典の中から姿を消している。

続く

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