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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

自然石を祀る(長久保の道祖神)前編

2024-09-09 21:52:25 | 民俗学

 この夏は東信地域へ何度となく足を運んでいる。伊那谷から東信地域へ行くとなると、南佐久南部以外は、和田峠越が一般的だ。実際何度か足を運んでいるうち、和田峠以外の道を選択したのは、小海町の休職している同僚の見舞に行った際に麦草峠を越えたのと、南牧村の野辺山近辺を目指した際に長坂インターを経由して清里から入った2回のみ。先日もそうだったが、途中で用を足して北信へ、という際にも検索すると和田峠を越えて行くルートが最も早いよう。高速を使わずに北信へ向かう場合は、どうも和田峠→菅平というルートが早いようだ。ということで、和田峠を越えるということは、長久保を頻繁に通る。6月に「旧長門町長久保松尾神社入り口の道祖神」を記したが、長久保は旧丸子町や旧武石村のように、自然石の道祖神が多く残る。その長久保といえば、同じ6月に「道祖神バンザイ」を記した。昭和62年の正月に訪れた道祖神祭りについて触れたものだが、そこに写っている道祖神が、最近頻繁に通る中探していたのだが見つからなかった。昔の記憶をたどりながらあちこち探したのだが分からなかった。そして、先日木島平へ向かう途中に再び長久保に立ち寄ったところ、ようやく見つかった。安堵である。

 さて、長久保の道祖神については、岡村知彦氏の『東信濃の道祖神』から引用させていただくと、次のようになる。

①片羽 自然石6
②五十鈴川 自然石2 文字碑1
③拾弐開戸 双体像2 自然石7
④竪町 自然石4
⑤山宮 自然石7
⑥大石 自然石10

これはあくまでも同書からわたしが捉えた箇所数であって、羅列されているので括りに間違いがあるかもしれない。いずれにしてもわたしが同書から察知すると祭祀箇所は6箇所とみる。このうち、前掲の松尾神社入り口のものが③だろう。とすると残りは5箇所。先日過去の写真に写っていた道祖神が見つかり、それはジェイアールバス関東 小諸支店 長久保営業所の北側の道沿いにある家の裏側に祀られていたもの(「道祖神バンザイ」の7枚目、9枚目の写真に写っている道祖神)。また、竪町から観音寺に向かう狭い橋の袂にあるものは同じ「道祖神バンザイ」の6枚目の写真のもの(②)。これで残りは3箇所。長久保4区にあるものは④の竪町のものか、同じ横町の11区にあるもの、さらに12区にあるものまで確認したが、①から⑥のどれかはっきりしないものの、これで6箇所となる。

 さて、長久保10区の長安寺参道入口に自然石が祀られている。長久保のほかの道祖神を見ていると、これも道祖神ではないのか、と思うのだが、はっきりしない。

 

長久保4区道祖神

 

祠の外に「道祖神」、中に2基の自然石

 

長久保11区の道祖神

 

JRバス関東 小諸支店 長久保営業所の北側道祖神

 

 ジェイアールバス関東 小諸支店 長久保営業所の北側の道祖神を探し出して驚いた。「道祖神バンザイ」の7枚目の写真でわかるように、自然石が祠の中にいくつか積み上げてある。しかし、現在はそこに小さな双体像が置かれており、かつての自然石道祖神のひとつと思われる石が、双体像の後ろに置かれている。あとの石は石組に使われているのかどうか。双体像はまだ新しい。自然石では道祖神と認められなくなって新たないわゆる世間で認められる道祖神を祀ったのかどうか。

続く


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