Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

羽場の集落を歩く

2009-11-30 12:23:40 | 歴史から学ぶ

 上伊那郡辰野町の羽場の氏神様は手長神社という。諏訪湖から流れ出た天竜川は、蛇行しながら狭隘な谷を下り、辰野町までくると急に開ける。市街地を下り、左手に荒神山という小高い山を見て下ると川は左に大きく曲がる。その流れはほぼ直角に近い。その南側には急斜面があって中腹には江戸末期に開削された伝兵衛井と言われる農業用用水路が流れている。この斜面の上がかつて城があったところだ。城跡と集落を断ち切るように現在はJR飯田線が走っていて、もともとそこが堀だったのか、それとも伊那電鉄開削時に掘られたものかは知らないが、城跡は今もまさに要害の地のままだ。この城跡に現在手長神社が祀られている。

  最近その手長神社から南へ細い道を800メートルほど行った四つ辻に町が石碑を移転して整備した。整備されたばかりで「辰野町」というバリケードがされていたから町で行ったことはすぐに解る。ちょうど小さな段丘崖のような傾斜地で、段丘の上下はまったくの水田地帯。段丘下の水田地帯を介して東にはJR飯田線と中央自動車道が走っている。さらにその東にはオリンパスの工場が広がり、この一帯から南は工場が点在する。また西側には国道153号線が走っていて、やはり沿線は住宅地になっているが、それらかが周囲を囲むもの、そこはまったくの耕作地帯のど真ん中なのである。その在りし場所に少し違和感を覚えて近くで昼をとっていたら、散歩をする地元のおじさんがやってきたので祀られているものを確認したが、個人で祀っているもので「何の神様だかは解らない」という。そして確かに移設はされたが、もともとここにあったもので、所有している個人が十数年前に自宅の敷地内に移転したものだったという。ところがそこか道路拡幅で移転になって、持って行き場がなくなって拡幅のために土地を買った町が元の場所に移転整備したということらしい。仕事の合い間に見たもので、彫られている文字を真剣に読み解こうという気力はなかったが、磨耗の度合いからかなり古い時代のもののようだ。

 その後仕事で訪ねた地元の家で再びこの神様とも仏様とも言えそうなものについて聞いてみると、もともと手長神社はその祀られている場所の南のあたりにあったと言われ、この一帯は手長神社の社有地だったのだという。あとから気がついたが確かに段丘上の畑の中に神社の縁起を記した石碑が建っていた。どうもそこが神社のあった場所のようだ。当時はどちらを向いていたか知らないが、東には天竜川の河原が展開していた。石碑のひとつは石像である。安山岩に彫られた像は不動明王にも見えるが正確には解らない。背後に火焔のような模様があるからそれらしいのだが、もともとここにあったとすればなお一層不動明王には見えなくなる。ちなみにこの一帯は元禄検地帳による「南原」という地籍らしい。また「伊那郡之絵図」には「手長の森」として描かれている。

 羽場の集落は手長神社の南側に密集しているが、その中央を県道与地辰野線が走っている。「与地」と言うから権兵衛峠下の伊那市与地まで連絡するわけだ。集落内を歩くと立派な家が軒並みである。その辻に羽場の道祖神が祀られている。手長神社から出てきた四つ辻に建っているが、その四つ辻から少し南に行ったところに「賽の神」という屋号の家がある。どういう意味か聞いてみたがよく解らないという。なかなか歴史の深そうな集落である。

  撮影 2009.11.27


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