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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「分水工を探る」其の16

2014-07-05 23:40:01 | 分水工を探る

「分水工を探る」其の15より

  ■竜西一貫水路10号分水工

 

 「分水工を探る」も15回を数えて以降、すっかりご無沙汰してしまった。その理由がわたしの異動によるものだけではないのは、15回目を記してから既に3年以上経ていることからも解る。最近検索中に久しぶりにozavski-webから円筒分水のページを閲覧する機会があった。その閲覧ページに記載されている円筒分水工をちょうど訪れていたこともあって、再開、とまではゆかなくてもカムバックしたわけだ。

 ここに取り上げた竜西一貫水路の10号分水工は、 おざすきぃさんが、NHKの熱中時間に出演した際に取り上げられたもの。実際にこの分水工を訪れるおざすきぃさんに、熱中時間のスタッフが同行して取材した円筒分水工なのである。ちなみに彼のHPにデータが掲載されている。図でも解るように、分水の数は3個ある。Aはすぐ南隣にある間ケ沢川の左岸側の水田へ用水を供給している。いっぽうBはというと、すぐ南隣にある間ケ沢川が竜西一貫水路をまたぐ形で交差したあとに床止工で落差が生じている。この落差の上、ようは竜西一貫水路との間の河床下をくぐって間ケ沢川右岸に横断していると思われる。右岸側の藪を越えたところで水路が現れるわけだが、これがBの分水だろう。Aは堰数2、Bは堰数3を数える。そして最も多い堰数を数えるCは8あるわけだが、このCは間ケ沢川へ排水している。おそらく下流域で間ケ沢川から取水していると考えられ、そこまでは河川を利用して流しているのである。

 この竜西一貫水路であるが、10号分水工の少し上流で姿を消している。これより上流は市田伏せ越1号と言われ、サイホンとなっている。10号分水工があるあたりは市田開渠4号と言われ、いずれも昭和34年に完成している。55年経っているわけであるが、幹線水路の劣化に比較すると分水工の方が少しばかり劣化は遅れているだろうか。ようは少し遅れて造られたものかもしれない。おざすきぃさんのHPでも記載されているが、「竜西一貫水路にここだけ円筒分水が存在する」とあるように、近在では円筒分水工は大変珍しい。実はおざすきぃさんは「ここだけ」と記載してるが、竜西一貫水路にはもうひとつ、それらしい分水工がある。これについては次回詳細について触れようと思うが、なぜ「ここだけ」と言わしめるのか、である。前述したように、ここの分水工は幹線水路から2メートルほど離れただけの場所に分水工が設置されている。間ケ沢川に落としている水量がかなりあるところから、たった2メートル離れたところで多量に取水した水を分配する方法に悩んだことだろう。おそらく狭いスペース(長いスペースを取れない)で3方向に適量を分水する方法として円筒分水工しか浮かばなかったと思う。とくに間ケ沢川右岸側への分水は、分水方向とはほぼ逆方向に導水する。水勢を落としながら均等に分配する方法として都合が良かったと考えられる。

 分水工の脇に「水神」が祀られている。裏面に「昭和丗五年五月建之」とある。

続く


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