Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

アルプスがふたつ映えるまち

2006-03-01 08:12:53 | ひとから学ぶ
 「アルプスがふたつ映える(見える)まち」というフレーズを使った駒ヶ根市や飯島町。確かに両者から見るアルプスは美しく見事である。以前にも同じようなことに触れたし、中央アルプスの山波を載せた。わたしなぞは、この狭間で生まれ育ったので、さして珍しいことでもく、中央アルプスも南アルプスも見えるのがあたりまえだとは思っていた。しかし、よく考えてみると、日本中さがしても、アルプスの峰を両側に遠望できる場所というのは限られている。とくに一般の生活空間で、両者の峰を望むことができる地域は、伊那谷しかないように思う。そして伊那谷においても、両アルプスの山というのではなく、両アルプスの峰となると、限られている。確かに伊那谷中央に位置する上伊那南部から下伊那北部一帯あたりがその領域にあたる。夏の間は嶺に雪がないために、それほど強くは思わないが、冬ともなれば、白く映える山々は、澄み渡った空気の中に際立っている。高山の嶺を望むだけであるのなら、松本平や善光寺平でも可能であるが、西と東にそれを望むことができるというのが、この地域の特徴である。
 
 駒ヶ根市など上伊那南部の合併協議において、合併後の市名を「中央アルプス」としようとして、合併は破綻したが、「中央」の名はともかく、確かに「アルプス」という名称には一致している地域なのかもしれない。もう少しこの特権を利用して、この地域を考えていけば、利用方法は多様なように思うが、それがうまくいかないのが「地域性」や「歴史」のように思える。この伊那谷の中央に、たとえば飯田、あるいは伊那と同じような経済圏とか立地があったなら、また変わっていたように思う。そうした背景をおいても、なんとかならなかったのかといってしまえば、それは立地に恵まれた地域の人たちの横暴である。世の中にはなるべくしてなった事実もあれば、確かにそこに住む人たちの努力にして成った事実もある。しかし、それを予測することは誰にもできない。いや、する人がいたとしても、わたしには運としか思えない。なかなかうまくはいかないものなのだ。

 権兵衛トンネルが開いて、そのことに関するコメントが、伊那を中心にたくさん記事になっている。国道19号交差点から、伊那側の広域農道交差点まで20分というのだから、確かにすごいことである。わたしの家からでも空いていれば、国道19号の交差点まで50分程度、朝方なら40分程度で到達するのかもしれない。辰野町まで行くより早い。距離はともかく、木曾町(福島)まで通勤圏内となる。もちろん計画されているのだろうが、名古屋はもちろん、大阪方面への連絡は、中央本線の特急利用が増えるだろう。伊那側の人たちは、木曾福島駅近くに駐車場さえあれば、特急で行くことができる。逆に木曾の人たちは、東京方面へ高速バスを利用して行くことができる。東京の人たちを受け入れることだってできる。それほど効果のあるトンネルの開通なのだ。木曾の狭い谷から国道361号へ入り、このトンネルを抜けたときに感じる開放感は、まったく別の世界に違いない。もちろんその眼前に広がる南アルプスの峰は、木曾の谷にはない、美しい山波を映し出す。両者は同じ谷でも、趣を大きく異にする。それをセットにした観光を、あるいは経済効果をと狙う両者は、これから密接になっていくのだろう。しかし、いっぽうで不安に思うのは、「伊那」はもともと上伊那南部に対して認識が低かった。それがこうした木曾へ傾向していくことで、同じ伊那の谷にありながら、南北方向に対して立地している近所つきあいをおろそかにしてはならない、ということだ。一時は許されても、そうし視点を失ってほしくないというのが、強い気持ちである。冒頭で述べたように、伊那谷の特権を認識しながら、両伊那、そして木曾を広域的に考えてほしいものだ。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****