Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

また1年の一人暮らし

2006-03-15 08:14:05 | つぶやき
 一昨日は転勤の内示があった。内心喜ぶ人もいれば悲しむ人もいる。転勤とはそんなものだ。ある程度平等な転勤なら仕方ないと思うものだが、わたしの会社の転勤は平等とはいえない。まさに県庁のある長野中心主義だから、採用バランスが悪い。いや、悪かったといった方がよいのだろう。もってあと5年、といわれるほど会社の先はない。だから最近は採用もほとんどない。ほとんどが役職である。役職なんてなくせばよいのに、対面なのかあるいはお客さんの顔色伺いなのか、なかなか昔を抜け出せない。そんな環境での内示であった。内示があったといって、夕方会社内で飲み会をする輩もいた。喜んでいる人だけじゃないんだから飲みたいやつは外で飲めばよいのに、わざわざ目立つように内部でやる。まさしく、自分のことばっかり考えているやつらの集まりなのだ。

 わたしは地元の事務所で嫌われて外に出されたから、出身者がたくさんいる長野にわざわざ南の端の方からやってきている。紅一点というか、県庁から遠く離れた田舎もの一点といったところだ。2年過ぎて、そろそろここも追い出されるくらいなったから、期待していたが異動なしだった。昨年も「こんな暮らしがまた1年始まるんだ」と思ったが、また同じことの繰り返しだ。ここ15年くらいをみてみると、約半分が単身生活である。よく「単身赴任なんてうらやましいね」なんていうことを言う人がいるが、「勝手なことを言うな」と内心は思っている。それほど負担は大きい。単身赴任手当といって3万を欠けるほどの手当はあるが、光熱費と自宅までの車の燃料費でなくなり、加えて寮費がかかる。ちょっとした負担じゃないかとも思えるが、片道150キロほどの道を普通に走れば、約3時間半近くかかる。それを解消するには有料道路を走るしかない。すべて高速を走ると3500円かかる。往復7千円で、1カ月4週あったら3万円近くかかる。それを節約するために短く乗ってETC割引を利用するが、それでも1カ月1万円くらいかけている。さらなる出費を少なくするために、自ら弁当を作る。食べるものも家で採れた野菜で済ませる。そうでもしなければ自宅通勤者に等しくなれない。

 以前いた事務所には、地元でもないのにここ15年間のうちの12年間をそこで留まっている人がいる。その人でなくてはならない仕事をしているとかいうのならわかるが、留まっているうちに子どもたちがそこを出たくなくなってずっといる。そんな理由でよそ者が地元の人たちを追い出して居座っているのだからかなわない。長くいるから様子もわかる。精神的にも楽だ。同じところに長くいてもかまわないが、地元の者でもないのにそこにいられるということ、加えて仕事面でも楽をしている、そんな不平等が会社にいる間中つきまとう。運の悪いやつはずっと悪い。それも自分の役割だと思って解釈しているが、それでもそれのどこが悪いみたいな顔をされると殴りたくなる。「夏タイヤで雪道を走る」でも書いたが、月曜日の朝に長い距離を移動するという精神的負担も大きい。だいぶ前に「人生の駆け引き」で書いたが、いつ事故であの世に行くとも限らない。会社があともって5年ならもう二度と地元には戻れない。わが社の片たたきからいくと、つぶれなくてもいられるのはあと10年である。地元には同年代の同僚が何人もいる。そう考えると、地元の事務所もとてつもなく遠い。
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