Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

獣害を防ぐための生態調査

2006-03-14 08:05:51 | 自然から学ぶ
 「食害対策」で『伊那谷自然友の会報』の123号の記事について触れたが、同号では獣害についてほかにも触れている。「獣害を防ぐための生態調査の現場から」では、仕事として獣害に対する生態調査を行なっている方の意見が載っている。

 農業被害のために生態調査をしていると、「そんな調査はどうでもいいから、被害をなんとかしてくれ」などという切実な訴えにあう。しかし、現実的には生態がわかっていないから、調査しなければ何も解決できそうもない。だから調査の必要性を説く。サルに対しての有効策ができたからといって、クマも同様ではない。動物ごとそれぞれ違う。それもわかっている。そして、調査をして生態がある程度わかって策を講じたからといって万全ではない。動物だっていろいろ考える。農家だけではなく、それも被害を被る林縁部だけのものだと思わず、地域全体で理解を示さなければ防げないという。さらには、動物が好きで仕事にしたが、被害をみれば見るほどに内心は複雑だという。過疎化などの農山村問題が絡み合っている問題に、個人として寄与できることはわずかかもしれないが、なんとかせざるを得ないというのが気持ちのようだ。

 生態を調査したからといって、相手も変化する。これほどいろいろ言われながらにして、そして専門分野の先生方がとりあげながらにして、つまるところ解決の糸口すら見えていない問題。かつて山間部にも多くの人が住んでいたのに、そこはどんどん人がいなくなり、動物にとっては活動しやすくなった。加えて、山を多様に利用していたのに、山へ入る人もいなくなり、利用度も減った。人の減少は、林縁をしだいに広げることになる。けして廃村とならなくても、人が減って動物が多くなれば、作物を狙われても対応のしようがない。耕地であっても動物たちにとっては活動の空間となる。手間暇のかかる生態調査がどれほど有効なのかわからない。しかし、動物の行動を把握できない以上何もできない。どうすればよいのか。多くの被害者たちが、農業をあきらめかけている。

 いっぽうで農村環境を保全しようと、開発予定区域の生態調査が行なわれたりしている。そこにどれだけの意味があるのか、かねてから疑問だと思っている。それは、希少価値のある生物を保護しようとしているだけで、その程度の生存把握は、専門家にとってはさして難しいことではないし、すでにある程度の把握はされている。それを希少外の動植物も含めて調査する意味がどれほどあるのかまったくわからない。もっといえば、冒頭の獣害をなくすためにどうすればよいのか、そしてそのために生態調査が必要だというのなら、もっとそういうことのために経費をかけていかなくてはいけないのではないか。思うに、ささやかな獣害対策の調査がされたとしても、生態がわかったころにはまた違う問題を抱えているような気がしてならない。

 今より人口も少なかった時代に、動物とどう人間はかかわっていたのか、意外にも語られていない。いや、語られることはないから、文献などで調べるしか方法はない。もう少し多分野の人たちが、この問題を検討する必要がないのだろうか。文献に見る動物と人というような部分を知りたい。
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