ウィーン・フィルハーモニー ウィーク イン ジャパン 2008 東京公演一日目が終わった。
リッカルド・ムーティ が誘う甘美の世界。今日の曲目は以下の通り。
一言で言うと実にマニアックな選曲である。
ブルックナーは僕が最も好きな作曲家の一人であるから当然よく知っている曲ではあるのだが、一般的にはこの曲を好き好んで聴く人はいないだろう。僕も実演に接するのは今回が初めてだ。
ハイドンの交響曲第 67 番に至っては、事前に聴き込もうと思って音源を探そうとしてもなかなか見つからない。僕が店頭で発見出来たのはドラティの交響曲全集のみだった。
結局、今日の演奏会で初めて聴く事になった訳だが、「交響曲の父」 ハイドンの独創性を垣間見る事が出来るような楽曲であった。交響曲の礎を築くその過程を聴く趣とでも言おうか、どこか初々しさをも感じさせるようなフレッシュさを感じた。
恐らくウィーン・フィル独特のまろやかさがその印象を一層確かなものにしたのではなかろうか。いつも感じている事だが、彼らの音色はやはり楽曲に息吹を与える。これこそがウィーン・フィルを是が非でも生で聴かねばならない理由だ。クラシック音楽ファンを名乗るのなら、借金をしてでも聴きに来るべきである。
さて、僕の中で今日の目玉はやはりブルックナーの交響曲第 2 番。しかし実は期待と不安が入り混じっていた。
ウィーン・フィルの音色がまろやかで豊潤であり、ブルックナーの交響曲の表現にぴったりとはまるだろうという期待 (というか確信)。そして、不安はムーティというイタリア人指揮者とブルックナーの相性だ。
残念ながら、個人的にはムーティの指揮で心から感銘したという記憶が無い。恐らくそれは、彼の指揮がやや外面的で、イタリアらしいと言うべきか、“華麗さ” とか “聞こえの良さ” に重きを置いているからではないかと思う。これは同じくイタリア人であるクラウディオ・アバドにも共通するものだ。
ブルックナーはそういう指揮者とは極めて相性が悪い。ブルックナーの音楽は 「大自然」 そのものだと僕は思っているが、そんな音楽に “華麗さ” は相応しくないのである。
その不安はある程度的中した。
素朴であるはずのブルックナーが “キラキラ” と輝きを放とうとしていた。音が輝いてしまうと、その裏にあるブルックナーの世界観が台無しになってしまう。
しかし、全てが駄目と感じた訳ではなく、やはりウィーン・フィルの音色そのものにだいぶ助けられたという印象だ。ウィーン・フィルはやはり凄い。ここまで音色に唯一無二の独特さをもてるオーケストラなど他に無い。
それが全ての不安を払拭してこの演奏会を素晴らしいものにしてくれた。
有難う、ウィーン・フィル。
さぁ、明日はヘルスベルク楽団長の講演会だ!
リッカルド・ムーティ が誘う甘美の世界。今日の曲目は以下の通り。
◇ フランツ・ヨーゼフ・ハイドン : 交響曲第 67 番 ヘ長調 Hob. I-67 ◇ アントン・ブルックナー : 交響曲第 2 番 ハ短調 <アンコール> ◇ ジュゼッペ・マルトゥッチ : 夜想曲 |
一言で言うと実にマニアックな選曲である。
ブルックナーは僕が最も好きな作曲家の一人であるから当然よく知っている曲ではあるのだが、一般的にはこの曲を好き好んで聴く人はいないだろう。僕も実演に接するのは今回が初めてだ。
ハイドンの交響曲第 67 番に至っては、事前に聴き込もうと思って音源を探そうとしてもなかなか見つからない。僕が店頭で発見出来たのはドラティの交響曲全集のみだった。
結局、今日の演奏会で初めて聴く事になった訳だが、「交響曲の父」 ハイドンの独創性を垣間見る事が出来るような楽曲であった。交響曲の礎を築くその過程を聴く趣とでも言おうか、どこか初々しさをも感じさせるようなフレッシュさを感じた。
恐らくウィーン・フィル独特のまろやかさがその印象を一層確かなものにしたのではなかろうか。いつも感じている事だが、彼らの音色はやはり楽曲に息吹を与える。これこそがウィーン・フィルを是が非でも生で聴かねばならない理由だ。クラシック音楽ファンを名乗るのなら、借金をしてでも聴きに来るべきである。
さて、僕の中で今日の目玉はやはりブルックナーの交響曲第 2 番。しかし実は期待と不安が入り混じっていた。
ウィーン・フィルの音色がまろやかで豊潤であり、ブルックナーの交響曲の表現にぴったりとはまるだろうという期待 (というか確信)。そして、不安はムーティというイタリア人指揮者とブルックナーの相性だ。
残念ながら、個人的にはムーティの指揮で心から感銘したという記憶が無い。恐らくそれは、彼の指揮がやや外面的で、イタリアらしいと言うべきか、“華麗さ” とか “聞こえの良さ” に重きを置いているからではないかと思う。これは同じくイタリア人であるクラウディオ・アバドにも共通するものだ。
ブルックナーはそういう指揮者とは極めて相性が悪い。ブルックナーの音楽は 「大自然」 そのものだと僕は思っているが、そんな音楽に “華麗さ” は相応しくないのである。
その不安はある程度的中した。
素朴であるはずのブルックナーが “キラキラ” と輝きを放とうとしていた。音が輝いてしまうと、その裏にあるブルックナーの世界観が台無しになってしまう。
しかし、全てが駄目と感じた訳ではなく、やはりウィーン・フィルの音色そのものにだいぶ助けられたという印象だ。ウィーン・フィルはやはり凄い。ここまで音色に唯一無二の独特さをもてるオーケストラなど他に無い。
それが全ての不安を払拭してこの演奏会を素晴らしいものにしてくれた。
有難う、ウィーン・フィル。
さぁ、明日はヘルスベルク楽団長の講演会だ!