goo極楽トンボの人生行路

勝手気ままに、独断と偏見の瞑想空間ほ

戦場

2015-05-17 17:00:22 | 日記
もしも、何かの天災で多数の人々が亡くなられ屍体が辺り構わず散乱しているとしたら、人々はその屍体をどうするだろうか?

昭和20年8月14日 即ち 終戦の前日に大阪市内に米国のB29爆撃機等の空襲があった。大阪の京橋に住んでいた私は歩いていると低空飛行の敵機から機関銃でねらわれたが、幸いにも1メートル横で助かった。

今の環状線の電車は走っている時に攻撃され燃えながら走っていたが、線路が跳ね上がっていたのでそこで止まった。多分運転士が被災したのだろう。

國民学校の2年生(勿論学校はずっと休校)の私は空襲が終わった京橋駅に被災状況を野次馬がてらに観に行った。

駅は跡形も無く崩され辺り一面屍体が重なり、怪我をした人々を誰も世話をすることなど皆無で、他人の事など御構い無しの状況であった。

私が今も脳裏に焼き付いている光景がある。
多くの亡骸を順次大きな火柱に投げ込んで、猛烈に処理していた事である。

何処の誰とも確認する事など御構い無しに、唯次々に燃やしている。
その光景を見ながら私の心は非情な程、何の悲しみも湧かなかった。

戦場とはそんなものなんだと今でも時折思い出す。

子供の無い安倍には、この心境と出会うことはない。