東方不敗の幻想
インターネットのジャーナリズムについての覚書

touhou_huhai@gemini.livedoor.com
 



下記ブログの記事が面白かった。内容が「モモ」に出てくる時間銀行の勧誘員、灰色の男そっくり。コメント欄での指摘に爆笑してしまった。うん。それが当節はやりの考え方だ。書き手本人がおおまじめなところが、実にいい。

暇を作れぬ奴に金は作れない
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50992149.html

暇というのは、「時間が空いている」ということではない。配るべき心の余裕がある、ということである。彼らの成功サイクルは、以下のとおりである。

1. 生産性を向上する
2. 向上した生産性を、暇にまわす
3. 暇なときに、チャンスが巡ってくる
4. そのチャンスをものにする
5. 1に戻る

例外は、ない。一つも。


ああ。でも分かる。こういうブログに人気が出るのは。
書き手が、読み手の多くと本質的に同じ心理を持ってるから。安心するんだ。

生産性を上げるのは時間を作るため、時間を作るのはチャンスをものにするため、チャンスをものにするのは…なんのため?まさか、生産性を上げるため?
この循環には意味がない。人生の目標が欠けているから。

ああ、たしかに人生の目標なんてなくたって、人は生きていける。

彼らは実に忙しい。安月給でこきつかわれるのに。TVの前で過ごすのに。そして、真の暇人たちの揚げ足をとるのに。


そう、それだってそこそこ幸せだ。私は実感している。

でも、心にある飢えは消えない。その飢えはただ生産性を上げても、消えない。
意味のない人生を、くだらない言葉の遊びや、自己の向上に費やすことは、しょせんは同じこと。飢えをごまかすための、酒やタバコやテレビゲームと変わらない。

アルファブロガーが、あっちにふらふら、こっちにふらふら、
表現の自由だの生産性だのダベるのだって、本当に情熱を傾けるべき、自分の全時間を費やすべき何かが見つけられないモラトリアムだから(年齢も性別も関係なく)。生きる目的をすっぽり抜かした「灰色の男」の論法をとるのは、そういう訳だ。

だから私は安心する。ああ、よかった。結局イタいところは触れられてない。そうか。生産性を向上していれば、人生の目標なんて考えずに済むなぁ。なんのために向上するかなんて、気にせずに済むなぁ。えーと自分が貧乏にならないため?家族のため?社会のため?日本のため?ん、それでいいや。

ああ、いいんだ。実際のところ、生きる意味なんて無いんだ。人間が、ほかの動物から外れて、そんな幻想を追い求めること自体がおかしい。

それでも我々が、ときとして実現できそうもないほど大きな野心のある人、なにかにひたむきな「若人」を応援したり、もてはやしたりするのは、代替品として、偶像を必要としているからだ。
要するに、偶像をねたみそねみ、くさす者と、あまり変わらない。

空っぽなんだ。その空っぽの時間を埋めるために、ブログを書く。時事を追いかける。宗教に夢中になる。
しかし結局は、すべてを賭けるべき目標を掴みとらないかぎり、空っぽの時間は空っぽのままだ。生産性を上げようが、こうして知ったような顔で他人に説教をしたり、人生訓をたれたりしようが。他人ではなく自分がすべきことだ。言葉より先に行動で。分かっているのに。

さあ。人気ブログにちょっかいをかけるのはおしまいにしよう。
この楽しくて意味ありげでその実空疎な遊びは、いましばらくは、もう十分だ。
せめて半年間は、遠ざかるとしよう。

【追記】2008/01/28
あ、ボーガスニュースは別だ。ジロラモのいないモモなんて考えられない。
でも、モモのいないジロラモは、不幸だ。いや、あてこすりではなく。


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下記ブログで広く求められている「対案」を私なりに考えてみた。

匿名至上主義者には、実効的かつ受け入れ可能な対案がなく、かつ、妥協の余地がない。
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/01/post_a534.html

匿名表現の自由を維持したいのであれば、匿名表現の自由を維持しつつ、匿名の濫用を防ぐ実効的な他の手段を提案すべきなのではないかと思うのですが、ネットの匿名性に執着する方々からそのような提案を聞くことはまずありません。


これに対して、私が提案するのは「名刺交換システム」というものだ。似たような仕組みを知っている人もいるかもしれない。

(1)誰もが希望すれば、ネット上で匿名または変名(HN)で発言した者の本名や住所といった個人情報を知ることができる。
(2)ただしそのためには、相手に対して自分の個人情報を開示しなくてはいけない。

これを一対一で、高速、自動的にできるようにする。104の電話をかけるように手軽く。
お互い変名、匿名のまま済ませたければ、それはそれで済む。しかし、一方が他方の個人情報を暴けば、相手はもはや自分の個人情報を知られたのであるから、失うものはなく相手の個人情報を得られる。実名を公開して恐れることのない人が優位になる。しかし匿名の発言も維持できる。互いが匿名であることを尊重するならば。

【追記】2008/01/27
例えば、掲示板などに表示する投稿者の名前は、これまで通りAnonymous Cowardなどとする。しかし、「こいつXXXだよな死ね」などと書いている投稿者の名前部分をクリックすると別画面に遷移し、「このユーザーのプロフィールを表示します。あなたのプロフィールも自動的にこのユーザーに通知されます。よろしいですか?」というメッセージを表示する。承諾ボタンを押せば、相手の本名などが分かる。
深刻な名誉き損や営業妨害などに対しては訴訟などの手続きがとりやすくなる。併せて連絡先などを示せば、訴訟などに到らずとも、双方が実名を知ったうえで、話し合いによる解決が図れる。不用意な発言をした者も、誰かが自分に特別な関心を持った以上は、心構えができる。両者が対等の関係になることが重要。


もちろん、これは「うまくいくはずがない」

前提条件として以下のものが必要だ。

(A)住民票コードなどとひもづけられたIDを、すべてのネットサービスが導入する。同IDによるログイン機能を持たないネットサービスを運営する組織、個人は処罰する。ホスティング事業者や、ドメインの割り当てを行う組織などに監視を担わせる。
(B)Wikipediaなど国外のサービスを利用して匿名で発言する者が見つかった場合、そうしたサービスはグレートファイアウオールによって国内のISP経由で利用できないようブロックする。
(C)日本人向けに住民票コードなどとひもづけられたIDを用意する国外ネットサービスのみ、ホワイトリストに入れてグレートファイアウオールの規制対象から外す。


将来的には、万国共通のIDを作り「国民総背番号制」ならぬ、「地球総背番号制」にはずみをつける。OpenIDなどを利用するのもよい。これはまったく実現不能という訳ではない…。実際、似たような仕組みを導入している外国はすでにあるのだから。

【追記】2008/01/27
考えなおしたのだが、ここまで大掛かりな整備をしなくても、
本人認証は可能ではないか。少なくとも国内外のISPはユーザーの個人情報(法人名などを含む)を知っている。住民票コードを持ち出さなくても、ネットユーザーの総背番号制に近いものは作れる気がする。ゲッと吐き気がするが。



ああ、匿名性は、言葉という武器を少ないリスクで振るえる「力」だ。
しかし、その力を持つのに、いまのインターネット・ユーザーは相応しいか?
ふさわしくないならば、尊敬すべき、大きな兄さんである政府が、
コントロールすべきだ。無法の暴力を。

…いや、やはりだめだ。そんな悪夢のような世界は歓迎しない。

むしろ匿名の発言者たちが、獲物を探し出してはあくなき嫌がらせを繰り返し、
戦争反対や軍備縮小の主張を沈黙に追いやり、
あるいは在邦外国人のリンチを叫び、
やがて、ただマイノリティであるというだけ誰かを叩き、
そしてマイノリティへの同情をしめした不埒者も、
目ざとく見つけては攻撃する。

さらに、そういう自分たちの「正義」や「愛国者」ぶりにうっとりする。
つまりは巧みな扇動者のよき手足として働く。
百万もの愛国者による監視の目を持った、大きな兄さんが支配する。

こういった「パラダイス」の方がすばらしい。
そうだ。きっとその方が、自由で、楽しくて、より良い世界なのだ。

そんな二者択一しかないのか。
違う。もちろん違う。もっと色んな道があるはずだ。

私みたいな薄っぺらな人間が考えつくより、よりよい道が。
政府に強権を与えることなく、匿名での発言者たちの強権を抑えられる。
そういう道があるはずだ。

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堀江貴文がかっこいいのは、いつも言葉に行動が伴っていたからだ。
ブロガーやジャーナリストがかっこわるいのは、お題目だけで、行動しないからだ。
そしてそれに満足しているからだ。

俺がかっこわるいのは…。自分がそういうヤツだと分かっているのに、行動せず言葉ばかりをつらねていくからだ。
それは、なにかしている気になっている無自覚なブロガーやジャーナリストよりなおもみっともない。どうどうめぐりだ。

そして職業はほかにあるから、と言い訳する。本気じゃないなら、なぜ「活動家」ぶりたがる。本気で、しかも仕事が大事なら、得意な仕事の中で実現していけばいい。


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未成年向け有害サイトフィルタ、利用者がカスタマイズ可能に--ドコモが検討へ
http://japan.cnet.com/mobile/story/0,3800078151,20365765,00.htm
そうだ。当然そうあるべきだ。
せめて親がどのサイトを見てもいいか決めるほうがまだマシだ。

政治や宗教を扱うサイトが一律閲覧禁止とか。
バカげたことは個人の意志でやめさせられるのが正しい。
…実現してほしい。
だがフィルタリング・サービスが天下りベッタリのネットスターの寡占という状況もあるし…総務省の方針はドコモの担当者と一致しないだろうし。
ああ。そしてこれは本当にたいしたことじゃない。
アフガンの飢饉とか、ガザの參状なんかに比べたら。
でもやっぱり。
あああ。俺は黙っていたほうがいましだ。
でもこれはやはりここに書きとめておこう。

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意味がない。
私がネットで書き散らすこと、読みふけるもの
それは生きることと、あまりにも関係がない。
本当に深刻な出来事と、なにも関係がない。
難問は避けているのだ。気軽な楽しみとなる話題だけを選んでいるのだ。

それでも書かずにはいられない。
だったらいっそ、韓ドラについてうんぬんしていればいいのに。
まじめぶらずにはいられない。

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「100じゃなければ0」という考え方を抑止論はそもそも採らない
http://benli.cocolog-nifty.com/la_causette/2008/01/1000_e3f8.html

私も匿名でブツブツと愚痴と床屋政談を垂れ流しているわけだが…。
基本的には上記ブログの書き手に共感を覚える。
個人的にはデメリットが多くて、耐えられないと思うけれど。
「正しさ」は確かに認める。発言には責任が伴うのが本来あるべき道だと。

しかし、インターネットを匿名で利用する人間の多くは、百万もの理屈をひねり出してこの主張に反対するだろう。その理屈を一つ一つ打ち破っていく、という戦い方は、なんとも迂遠のような気がする。主張を通すためには必要なことかもしれないが。

うまくいくかな。本当は理屈なんて、彼等にはどうでもいいのだ。うわべのことだ。匿名でのひぼう中傷で他人を痛めつけるパワーの感覚を、一度にぎってしまえば、進んで手放す人間はほとんどいまい。
私自身そうだから、他人もたいていそうだと思う。それによって心がゆがみ、エゴがとめどなくふくらみ、卑しさが次第に増していくとしても…そんなものはいくらでも自分にウソをついて正当化できる。いとしいしと。

上記ブログの書き手は別種のパワー、社会的地位を持ち、ある種の思想的境涯に達しているのか、そういうお手軽なパワーの感覚にさほど惹かれないかもしれないが、しかし反対する人は異なる立場にあるのだ。

さらにまた、この話には、たとえるなら「銃社会で誰が最初に武器を捨てるか」とか「軍縮にどこがまず手をつけるか」といった問題に似通ったところもある。これまで匿名性によって起きた被害から、自分が実名をさらしたら、他人になにをされるのか、という恐怖も抜きがたく存在するだろう。それは杞憂ともいえず、ますます匿名性に固執させる要因になっている。

まぁ理屈を使って主張を通そうとしてみるのもよい。ただし、それを誰に認めさせるか。「中立のジャッジ」にか。つまり政府やマスコミ?そういう権力に直接働きかけて上から実名公開制を押しつける?簡単にはいくまい。政府にとって、匿名性が真剣な問題になっているなら、匿名大型掲示板などはとっくに規制されているはずだ。
いずれにせよ、上からの押しつけは間違ったことだ。それは、今の匿名がはばを利かす社会よりもっと悪いものを作り出す。

実名制を実現するには、まず匿名を愛してやまない、あるいは実名制をおそれる人々の「感情」を説得する方が適切だと思う。
理屈を使うなら、相手の感情を変えさせる形でやらなければならない。

ジャッジに訴えるわけではないから、糾弾するだけではだめだ。論戦して打ち負かすのではなく、心底からの同意を勝ち取らねば。実名制に、なにかしら直感的に理解できる強いメリットがなくてはならない。「匿名の発言がもたらす被害を抑止する」というだけではなくて。

あるいは、デメリットを訴えるにしても、もっと強烈なものが必要だ。
匿名で発言する者は自分は被害者にならない、あるいは匿名によって被害を免れていると思っている。銃社会で武器を持つ人が自分は撃たれない、あるいは銃によって身を守れていると考えているように。

匿名性を愛する人が、匿名性によっては身の守りようがない、匿名性による深刻な被害があることを、納得させることができなければ、やめさせられないだろう。

ただ現状、銃社会も匿名のネット社会も、「市民が選んで」できたものではない。状況の産物だ。逆の社会もまたしかり。

意志によって社会を変化させるのは、普通の人間には、とてつもなく難しいかもしれない。


【追記】2008/01/22
上記ブログの書き手は携帯電話のフィルタリング・サービスには賛成らしい。
大きな力による規制を好む人なのかな。
それは間違った道だと思うが。


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精神の麻薬だ。
酒やタバコより高価というわけでもない。
まだそれにカネを支払うだけの余裕が、多くの人にはある。

かたとき、目と耳を通じて心にむすぶ幻想が、
いまや現実の憂さを晴らすしかけなのだ。

かつての芝居や映画といったところか。
いや、大勢が一度で見るというところがないから。
ごく個人的な楽しみだから、やはり酒やタバコに近い。



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