原子力発電は、資源の少ない日本のエネルギー確保に必須という主張が有る。
それは現在の電力需要を背景にしており、決定的な説得力を持っていると私は思う。
すると反原発というのは、つきつめていえば、電化製品に囲まれた我々の安楽な暮らしを放棄せよという主張につながるのだろうか。こうして東京電力から買った電気で動くパソコンを叩きながら、じっと考える。
私の仕事はパソコンでするしかない。電気がなくなればお手上げだ。
そして実のところ、原発の代替となるような発電方式は、火力発電をおいてほかにない。しかし、それは…やはり地獄の道だ。
反原発の理屈の通る主張としては、やはり家庭から電化製品の大半を追放し、工場やオフィス、店舗も、今の繁栄、快適さを維持できなくなるまで縮小する、というものしか考えられない。そして日本は世界経済における地位を完全に失う。
こういう主張では、恐らく国民のほとんどは、納得しないだろう。どんなに原発反対の立場を持っている人でも、二の足を踏む。私だって…。
「だから非現実的だ」というのが原発推進、容認派の主張だ。
それでも私の理性の部分は、火山列島に原発を置く方が、明らかに狂っていると思う。文明の狂気、といったぼんやりした概念ではなく、切実な危機管理として間違っていると。だが私の感情の部分は、決して今の豊かさを諦めようとはしない。
【追記】2007/08/06
ここからは偽善やおためごかしを含んだ言い回しになるが、やはり「減原発」という考え方くらいしか「現実的」な解決につながる青写真を描けない。
原発を減らせる可能性としては、将来に技術的ブレイクスルーがあって、水蒸気でタービンを回すという十八世紀以来の仕組みから脱し、熱を直接電力に変えられるようになる、というものがあるが、現時点ではSFじみていすぎるし、実現に向けた研究が進んでいるとしても、とうていマジメに検討できない。
潮汐、地熱、風力、大気熱といった発電方式で原発と同じだけのエネルギーが得られると考えるほど、幸せな頭は持っていない。
となると省電力に向かうしかない。
東電の販売電力は、その6割を、事業所などを対象に50kW以上の高圧で電力を供給する「特定規模需要」が占めている。
http://www.tepco.co.jp/ir/keiri-kabu/kessan/pdf/2006pdf-j/0703ren-j.pdf
庶民の反発を抑えて省電力を進めるとしたら、まずは日本の豊かさの根幹を支える企業たちに、無理を呑んでもらうしかないだろう。
大きい需要家から、生産性を維持したまま、5%、7%とすさまじい量の消費電力を減らしてもらって、それをすべて原発の縮小に回す。政府が重税でもかけるか、減税措置をとるか…。しかし、インセンティブを与えたところで…やはりここでも技術革新を夢想しなければ成り立たない。
「現実的」にいうなら、工場やオフィスの海外移転。工害と同じようによその国に問題を押し付けるという訳だ。
ああ、役にも立たない。らちもない一人床屋政談か…。