東方不敗の幻想
インターネットのジャーナリズムについての覚書

touhou_huhai@gemini.livedoor.com
 



ともかくも生きている。
悪党にだまされ、
わずかな蓄えを奪い取られ、
病気はよくならず、

だが生きている。
私は不幸に負けないくらい、強くて誇り高い。
いや、どちらでもないが、意地はある。
意地はある。


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ああ。
日本のネットウヨクのあいだには、
「デモを粉砕するプーチンは決然としていてかっこいい。日本も見習うべき」
みたいなことを本気で言う連中もけっこういるんだな。『親日派』だから、リベラルを攻撃するから。そういう理由で。

冷戦時代のウヨクはまだしも、ロシア政府の行為にすべからく批判的だった気がするが。なんだかもう訳が分らん。
もはや右左でものを見る私が古いのかもしれない。

しかし考えてみれば、リベラルのほとんどは、どんなにおめでたいものでも、いまやロシア政府を容認できないのだ。
当然ながら、ネットウヨクがプーチンの肩を持ってもかまわないわけだ。

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誇り高きハイジャックの女王、ライラ・ハリッドにむかって
少年がアラビア語で歌いかけていた。
母親に一輪の花を持って帰ろうとした若者の歌だった。

私はあそこで場違いな思いをして。
恥ずかしくていたたまれなかった。

重信メイもいた。母親が警察に囚れ、
もはや牢獄から抜け出す術もないのに、気丈だった。

私は恥ずかしくていたたまれなかった。

彼等が厳しい状況に耐えているからではなくて。

強く人生の感動を受け止めていたから。
歌を聞いたハリッドの瞳に輝くあれは、涙の予兆だったか。
負けることや、踏みつけにされることは、悲惨だ。
しかし、屈しないこと、挑戦することこそ大切なのだ。

ああ、私が語るとなんてそらぞらしくて、うそくさくて、ありきたりなんだ。
私はあそこで、人間のうちの輝かしいものを見た。
かつて燃え上がった理想の火の、まだ明るさを失わない残照を。
なのに、その思い出すら、きたならしくしか表現できない。



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ああ。
節をまげて、どうも支持したくない浅野史郎とやらに投票したが。
何の意味もなかった。

帰り道、繁華街にたちよって、若者や家族づれの、楽しげな笑顔を目にした。いい陽気だった。彼等が選挙に行かなかったからといってどうだというのだ。
(選挙とはつくづく年寄りのためのものだ。ああ…。)

民主主義になんて、意味はないかもしれない。
日曜日の、あたたかで、しあわせそうな雰囲気に、こんなくだらない儀式が、なにか影響を与えるとでも。

あんな道化が、超警察都市国家を現出させ、ゆたかな市民生活のうらで、おだやかそうな人々をじわじわとゆがめ、差別と偏見と狭量と、卑劣な密告者の魂を植え付けるなんて。そんなふうに考える私こそが、パラノイアでは。

しかし、独裁者というのは、どうということのない道化に見える。
いや、実際そうなのだ。道化。
ユーモアを欠いた天然の道化こそが、危険な独裁者の本質だ。
そしてそれを支える大衆こそが、狂気の歯車となる。
これはまるで、なにかの予行演習では…。

いや、それも思いこみにすぎない。
目をつぶって、ふとんをかぶって、いってしまえとつぶやけば、消えてなくなる悪い夢に。たぶん。きっと。

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私は、新聞、雑誌、テレビといった腐敗したメディアからおちょうもくを頂戴しながら、さも「中立の文化人」でございとかっこをつけるクズどもとは違う。

まぁクズには違いないが、別種のクズだ。
だからああいう連中の醜さがよく分る。

いつでも財布の心配が頭の隅にあって、メディア批判をするときにも相手と言葉を選ぶような三文ライター、コメンテーター(言論人)どものゴタクはちゃんちゃらおかしい。逆にメディア擁護となると、もう特権意識や選民意識が剥き出しで、見ていて憎たらしいを通りこして情けなくなる。カネをもらった瞬間から、どんなにかっこつけても奴隷なのだ。

いっそジャーナリストというおかしな自意識に浸ってるウソツキどもは、フリーもスタッフも全員死ねば、この国も清々するだろうと思う。彼等は自分で自分に対して思っているほど好かれていないし、同情にも値しないし、嫌われるだけの尤もな理由がある。「おれたちを憎む愚民どもが意識を改めなければいけない」といった解決策を胸に抱いているあいだは、救いようがないだろう。

「報道の自由」はいまや、はためいわくで、ごうまんな特権としか思われていない。
「視聴者が望んでいるから」というのはあさましい言い訳にすぎない。もっとも下世話な視聴者でさえ、へきえきしはじめている。

だから、テレビの表現を規制する放送法改正が閣議決定しても、政治に敏感な層からたいした反応がない。庶民もみんな気にしない。
ほかの業界の不祥事ならメディアは率先して「政府による適性な規制のあり方を検討すべき」とでもほざくのが分っているから。自分たちだけ例外にせよといくら叫んでも支持を得られないのだ。

ああ、分っている。
だがそれでも…

それでも今の形で、放送法を改正させてはならない。報道の自由ならぬ「放送の自由」は守らねばならない。そこにぶらさがるメディア業界の人間が、守るに値しないクズでも、やつらの小理屈がどうしようもなくヘドが出るしろものでも。

いつか、新しいメディアが、志のあるメディアが立ち上がる日がくるかもしれない。
権力の横暴と戦うために、社会の不正を暴くために。どちらにせよ。マスメディアというコミュニケーション・システムなしでは、いかなる運動も力を持ち得ない。
それに放送法の改正は、最初の一歩になるだろう。規制が進めば、インターネットだけが自由ではありえない。すべてのメディアが政府の統制下におかれる。

メディアはこれから、狂ったファシズムの道具になる可能性は高い。しかし改正放送法はそれを止める役割は果たさず、逆に加速させるだろう。一方で、ファシズムを抑制するためのキャンペーンを張る際には、非常に大きな障害になるだろう。

メディア業界の連中の手前勝手な発言を認める必要はない。
しかし市民社会にとって、メディアは、甘やかされぶくぶくと太り、なおかつ守ってやらねばならない赤ん坊なのだ。

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私も知らなかった。

「携帯電話のGPS義務化」、知っている人は僅か14%
http://www.nikkeibp.co.jp/news/it07q1/529792/

なせだろう。私がボンクラだからだな。

(2006年の記事)来年4月、すべての携帯電話にGPS
http://pc.nikkeibp.co.jp/article/NPC/20060925/248858/

海外でも同様の動きは進んでいる。
だが富めるもののためのビッグブラザーであって、貧しいもののあいだでは、十分な監視はできまい。

しかし、これからは携帯電話が政府の手綱になることを心にとめておこう。




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