東方不敗の幻想
インターネットのジャーナリズムについての覚書

touhou_huhai@gemini.livedoor.com
 



原発問題の忘れ去られ方にぼんやりしながら。
その日暮らしの仕事に追われている。

未成年が利用する携帯電話向けインターネット・サービスを一律フィルタリングする、中国共産党政府なみの検閲制度がまかり通ったとき、パソコンをいじくる成年ユーザーたちは大して騒ぎもしなかった。ちょっと眉をひそめた程度だ。

多少とも強い危機感を抱いたのは、ごく一部の携帯電話オタクだけ。それも心底からの憤りといったものではない。子供のころから検閲に慣らされるというのが、どれほど危険か…。頭では分かっていても、自分に直接の不利益がなければ、スルーしてしまう。

実際に不利益をこうむる肝心の未成年は、悲しいかな、大きな抗議の声を出せなかった。本人たちが発言を求めているかいないかはともかく、発言力が限られていすぎているのだ。未成年の意志を無視するのは、世の常だが。

さて、ダウンロード違法化となると、自分たちの利益が損なわれるというわけで、パソコンの成年ユーザーたちはとたんに騒ぎ出す。彼等のわめく声は比較的大きい。本人たちがそう思いたがってるほどではないが。
それは場当たりの、脊髄反射。なんの展望もない、雰囲気に合わせた批判、ポーズ。
経済学者だの法律家だの、「ネットの論客」だの、はは。さもさも深い考えがあるかのようにご意見をご開陳、と来る。

もったいをつけてはいるが、なにか本物の洞察がある訳じゃない。

人権保護法案で、報道制限の条項が設けられたばかりにキャンキャンなきさけんだマスコミとなんの変わりもない。
それで立場の違う誰の理解を、共感を得られる。

まぁいいさ。それでも文化庁の進める「ダウンロード違法化」は、やはり間違っているのだから。バカげているようでも、抗議はしないより、した方がいい。


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非道!アルファブロガー便乗詐欺─「認定されればモテる」と巧みに勧誘

あはは。大好き。この軽さが。

ボーガスニュースを読んでると、幸せだ。
はてブコメントではずいぶん前から「そこはかとない左傾化」とか言われたりしてるけど…ひひ。有名になって「フツー」の読者も増えたってことかなぁ。

あのバカバカしいブロガー×オーマイニュース(左がヘタレ攻め)で、つくづくアルファブロガーなんてアホかと思ったけど。そう考えること自体がアホで、言葉は言葉にすぎない。賞は、贈る相手によって価値を高めていけるんだ。でも、まぁAMNには大して期待してないが。

それはともかく。今はその言葉の意味さえ変質してしまった「リベラル」。かつてはただ当たり前だったものの考え方が、存在するだけでちょっとした環境との戦いで、まるで朱鷺のように貴重になっている。
たぶん、そういう状況を、多少は分かってるつもりでボーガスニュースを取り上げた推薦者でも、本当の意味は理解していない。それでも推薦したのは賞賛するにたる意気だと思う。

そういえば、「想定の範囲外/内」も流行語大賞に選ばれたっけね…やれやれ。まぁ大丈夫だろう。きっと。たぶん。まだ。

ああ。リベラルでいられる社会って、歴史上それほど当たり前だった訳じゃないな。戦前の日本なら特高に、ドイツならゲシュタポに、文革時代なら紅衛兵に、みんなつるし上げられてる。いや、もっと怖いのはそういう形のある組織じゃなくて、顔のない…。今だって沢山の国で…。

たぶんたとえば、2ちゃんねる、や、はてブのユーザーたちなんて、偉大なる「人民の監視者」のうちでは、まだ穏やかな部類なんだろう…。

izaのユーザーが、ボーガスニュースみたいなブログが存在していられるのは、日本にまだ言論の自由があるから、なんて言ってたっけ。中国や朝鮮では無理だから云々。正鵠を射てるよなぁ。


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他人を憎むのにも資格がいると私は思う。
そうであるべきだ。
私は、誰かを憎む資格がない。
憎むにたるだけのなにがしかをしていない。

土漠に水を引き、耕地をよみがえらせる人は、
それを阻む者を、あるいは無理解な者を憎む資格がある。
そういう人ほど憎しみをあらわにはしないけれど。

ただ、言葉をひねくりまわすだけの人間に誰かを憎む資格はない。
同じように言葉をひねくりまわす人間を相手にだって。

なぜならその憎しみはウソで。そこにはまっていけば、ウソの感情の中で、
おしばいを続けて、生きるための大切なことをみんな置き去りにしてしまう。

昔、もっと若かった頃、
「自分を激しく憎む人」を見て、決してああはなりたくないと思った。
つらいだけに思えたからだ。
けれど今になってみれば、自分に憎しみを向けられない臆病者であるのが、
想像していたよりずっと悪いことに思えてきた。

自分をまっすぐに憎めない人は、周りにうわべだけの憎しみを向ける。
そうして感情を「消費物」に変えてはき出し、ときには商品として提供する。
やがて枯れ果て、みにくくよじれた燃え殻だけが、もはやウソとまことの区別もできずに、ウソの感情をたれながし続ける。

一方、自分をまっすぐに憎む人は、しばしば自殺する。
でも場合によっては、憎しみに駆られて自分を変えようとする。
そうして、自分を変えてもなお憎むのをやめない人だけが、
真剣に、ウソではなくまことの感情で、他人を、社会を憎み、
そして行動を始める。恐るべき行動を。

私は、どちらでもない。
私の内なる憎しみは火勢が弱いから、やがては消えるだろう。
それがあまり幸せだとは、もう思えない。

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