東方不敗の幻想
インターネットのジャーナリズムについての覚書

touhou_huhai@gemini.livedoor.com
 



ロシアの警備艇が日本の領海内で日本の漁船を銃撃し、
日本人を死に至らしめた事件から、すでに2週間が経とうとしている。

大手メディアの熱のなさ、2ちゃんねるでの盛り上がりのなさに愕然としている。
いつも派手やかな韓国、朝鮮への非難に比べ、ロシアへの非難は圧倒的に少ない。

やはり大国相手には、本能的に腰が引けるのだろうか。

いや、共産党政権時代、ソ連は日本の主要な仮想敵国であり、クレムリンといえば、右翼にとって悪の代名詞だった。
当時のソ連は世界の半分に影響力を持つとされ、圧倒的な存在感があった。
それでも日本の右翼は、しばしば激しい反ソ・キャンペーンを展開した。

今のロシアは、エネルギー特需で経済成長を遂げ、新興4カ国に数えられるようになったとはいえ、かつてほど大きな影を持たない。
ではペレストロイカ以降、急速に資本主義国家化したロシアは、もはや、
右翼にとってさほど興味を惹かないのか。

このままでは漁船の乗組員たちの、
「自己責任論」でも飛び出しかねないような雰囲気だ。

私の知人は、
なぜ拉致問題のときのような長期、大規模の報道特集が組まれないのか、
不審がっていた。

私自身、北方領土が日本の領土であるという感覚が、
身に沁みて分るという訳ではない。
しかし、この違和感はなんだろう。

ナショナリズムの神聖さとは、こんなものなのか。
つまりそれは、ただ単に「時代の流行」ということなのか?

この人の心の動きと、現実の事件と乖離した感覚。
いや、無感覚。

我々にとって「心から大事なこと」というのは何なのだ。
何になら、心から突き動かされるのだろう。
それは結局、個人個人でぶつかる不幸や苦しみであって、

「共同体として大事なこと」というのは、
そのときどきで変わる、幻のようなものでしかないんだろうか。
ではどうして、そんな幻によって苦しまなければならない人が居るのだろうか。

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ブロガー×オーマイのシンポジウム
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20060824/1156435646

前回のセミナーに参加しそこねたので、こちらに。
私は、彼らが表現するところの「ブロガー」という共同体に属したつもりはないので、ただの野次馬である。

ただ、現実に悲惨なできごとが進行していて、新しい問題が準備されているとき、
それを改善できるかどうかもあいまいなジャーナリズムについて、
さらにその在り方を検討するというのは、
限りなく悠長で、どんどんこっけいな世界に入り込んでいく気がする。

それでも、やはり参加した方がよいと思った。

また、ガ島通信にトラックバックしたのは、FPNにはトラックバック機能がないからだ。FPNはいまはやりのソーシャルブックマークには対応しているが、時代遅れで弊害だらけのトラックバックには対応しないらしい。さすがに最先端だ。
またぐちぐちとイヤミになるが、私が若いころはコンパチビリティというものが重視されていて…。いや、これは強弁。スパムなどのさまざまな問題もあるから、トラックバック機能を実装しないのが悪いとばかりも言えない。

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ガンとぶん殴られるような記事を読んだ。

テレビの力
http://www.keiyu.com/cf/archives/2006/08/09/post_47.html

今年は電車賃を都合できたので、お盆休みにひとり暮らしの祖母の家に出向いた。
大変チャーミングな女性で、とにかく、頭の良さに関しては私など及びもつかない。

楽しく休暇を過ごしたが、ある日彼女が、音を消してテレビを観ているのを見かけた。
どうして?と聞くと、音なんか聞かなくていいという。
思い返せば、彼女はここのところ耳が悪くなっていたようだった。

私と正面を向き合っていないとちゃんと会話ができない。
どうも、音の強弱と、唇の動きだけで言葉を補っているのだ。
会話のたびに、すさまじい集中力を発揮して、健常者のようにふるまっていたのだ。

その彼女でも、テレビ番組なら音なしで見られる。
(というか、そうできない番組は見ない)
テロップやキャストの動きが、音による表現を補うのだ。
私がおおげさで、ばかばかしいと思っていたそうした小道具が、
聴覚の衰えた人間には必要なのだ。

私は、祖母に、インターネットの利用を勧めかねた。
彼女は、勉強家で、頭が切れて、インターネットの利用を学ぶことができる。
それに厳密には障害者ではなく、まだ健常者だといっていい。

しかし現状では習得に多大な苦労が伴うし、その見返りがあまりに少なく、
彼女の友人、交際関係、ネットワークは、非ネット利用者層に集中している。
(それでもネットの利用を提案すべきだったかと後悔しているが)

ネットが新たなメディアに成長しようというのなら、
こういう部分のフォローはできるのだろうか?

最近聞いたニュースではシグロという映画/配給会社が
ネット上でのバリアフリーに力を入れている。
http://www.cine.co.jp/
この会社では、むしろネットこそ、新たなバリアフリーの道を開き、これまで映画館に来れなかった地方在住者や障害者を観客に取り込むことができると考えている。
協力するブロードバンドタワーも、障害者を「ロングテール」として掘り起こしていこうという経営方針をかかげている。

…というのは、なんだ慈善か?とナめられないために「カネのにおい」をつけた言い訳で、本当はもっと年がいもなく青臭い理想を持ってやっているのだと思うが。

しかるに、大手の映像配信サービスを初めとしたWeb2.0関連事業やらはどうかといえば。
ネットという媒体に慣れた新たなマッス市場だけを相手にしていて、
少数者の利用などはなから思慮に入れていないようだ。
「まずは健常者」「それから余裕があれば障害者や高齢者に」

その「それから」がどのくらい先なのか、「それから」のあいだに、どのくらい少数者に不利な環境が整備されていくのか。

養護学校などで、「新しい教科書を作る会」の歴史教科書が採用されたとき、
小説家の大江健三郎が、非常に採用までの流れが不公平だと抗議していたのを思い出す。

テレビ。テレビ。テレビ。
障害者をテレビの力にさらしつづけること。
障害者をネットの最新の潮流から遮断しつづけること。
ここにも情報格差はある。

いや、これは、さまつな問題だろうか?

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SIMロック解除サービスを手掛けるL&K(店舗名はモバイルテック)の役員らが、警察に逮捕された。

ジャーナリストの常岡浩介が、己の信条と、おそらく個人的な親交から、
このことに怒りを示している。
http://www2.diary.ne.jp/logdisp.cgi?user=61383&log=20060825

日本のボーダフォンの販売する携帯電話機のほとんどは、SIMカードという小さなカードと、本体がひとくみになっている。

SIMカードは、元々海外で広まったものだそうだ。
このカードには電話番号などの情報が登録されていて、本体を買い替えても、以前のカードを差せば、そのまま使える。
逆に、海外でプリペイドのSIMカードを買って、自分の携帯電話機本体に差せば、現地の携帯電話会社の回線を利用して、安く通話ができる。

ところが、日本のボーダフォンは、SIMロックという仕掛けを施して、自分の会社で売る携帯電話機本体に、自分の会社のSIMカードしか差せないようにしてある。

これは日本のボーダフォンが本体を安く売って、はじめに値引きした分はあとで通話料金に上乗せするという、商売の仕方をしているからだ。

ボーダフォンから本体を安く買って、通話料金の安いほかの携帯電話会社のSIMカードを差せば、ユーザーはとてもお金を節約できるが、ボーダフォンは儲からない。

しかし、今のようにボーダフォンがほとんどの携帯電話機にSIMロックをかけると、ユーザーには海外のSIMカードを使う道が閉ざされてしまう問題がある。

それにボーダフォンはすべての地域で携帯電話サービスやローミング・サービスを提供しているわけではない。国々を自由に動き回り、現地の人と連絡を取り合うような仕事についていれば、SIMロックは足枷だ。

L&Kは、海外で現地のSIMカードを使いたいというユーザーの需要を受けて、そのためのサービスを提供してきた。

この件について、CNET JapanやITmediaはまったく対応できていない。
IT系ニュースサイトを名乗りながら、発表会とリリースベースでしかものを書かないネット媒体のヘボさがよくでている。
その中では、インプレスのケータイWatchはすばやく報じた。
http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/30723.html

それにしてもソフトバンクの参入は、既得権にしがみつく国内携帯電話業界の体質を変えるものとして期待していたが、ケータイWatchの報道を信じるならば、子会社となったボーダフォンが警察に逮捕を要請したといっていいようだ。

弁護士と相談して、民事裁判として訴訟を起こすという道もあったはずだが、なぜ警察を動したのだろうか。
SIMロック解除を「犯罪」として扱う構えであることは間違いない。

今後のことだが、L&Kは小さな会社のようだし、素早くプレスリリースを出せるとは思えないので、ボーダフォンの一方的な主張が媒体を支配するという流れに行きそうだ。

裁判になった場合、当然ながら世論が判決を左右する見込みはあるが、

もしボーダフォン寄りの報道が優勢を占め、
L&Kの理解者が、うまく自分たちの正当性について情報発信できず、
衆目を集めることに成功しない場合、それは難しい。
L&Kのブランドプロテクトに乗り出す人はいるだろうか?

私自身についていえば、SIMロックについては、利用したこともないし、詳しくは知らない。海外にはいかないからだ。そういう人間が多数派だろう。
啓蒙家たちの苛立ちを買う「無知」で「愚昧」な大衆というわけだ。

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すぐに「人間にしか書けない記事があって」などという反論が飛び出すだろうが、それは単に時間の問題だ。

人間の記者は不要?--記事をコンピュータで生成する米金融データ会社
http://japan.cnet.com/news/biz/trackback/0,2000056564,20211188,00.htm

CNET の翻訳記事だ。
(ガ島通信は、CNETの記事を引くにもトラックバックを打たないが、私は打つ…へん。どうもガ島通信に含むところができたのでついイヤミを言いたくなるな。我ながら小さい人間だ)

面白い。NQNなどが配信する決算記事は、よくそれでカネがとれるなというほど紋切り型なので、こういうシステムができても別に不思議はない。それに実のところ、型にはまった分野のストレートニュースについては、ライター達もどんどん手製のスクリプトを組んで、半自動化を進めている。

しかし、会社としてシステムを組むとなると、やはり大きな違いだ。
これも時代の流れというものだろうな。
今のように投げ込みとリリースベースでストレートニュースを書くのなら、富士通研などが進める文章解析技術が発展すれば、いずれ下請けライターは不要になる。

取材をまじえて解説記事を書くひとにぎりのエリートだけが生き残るのだ。
しかし、元々、それこそが”真のジャーナリスト”だったのだから。

するとそれに漏れて、かつある程度腕のあるライターたちはいずれ、リリースを書く側に回らざるを得ないだろう。
開発資料にとっついて、まとめるのは中々大変だ。
そのうち、「リリース共通仕様」なるものができるかな。
決算書と同じく、フォーマットを決めてしまえば、ライターにとっても楽になるし。

ところで、オーマイニュースのセミナーには行かなかった。
なんと忘れていたのだ!バカもの!

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27才1,200万円! 国民の働く意欲削ぐ講談社の異常賃金
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2356243/detail

業界関係者のやっかみといえばそれまでよ。
だが、こういう需要のなさそうなニュースを混ぜてくる、
ライブドア・ニュースが私は好きだ。

ライブドア・ニュースは、戦っている。
へたくそで、旗色は悪いが、私は好きだ。
オーマイニュースもそうであれと願う。

さてゲンダイ、さらりと流せるかな。

ああ、いい気分だ。
ざまぁみろ。

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私のことを考える。
私がジャーナリストたちの偽善を憎むのは、
言論の世界に君臨する貴族に対する、ねたみのためだろうか。
あるいは、ふがいない自分への怒りや恥ずかしさを転化するためだろうか。

ひょっとしたら、楽しみのためだろうか。
それだったら、「きっこの日記」のようなブログと何も変わらないではないか。

己を満足させるため、イケニエを見つけ、もっともらしい悪口を叩きつけるのなら。
ただ、私に扇動の力がない分、実害がないだけではないか。

私の言葉というのは、どうして他人を攻撃することにばかり、
巧みになっていくのだろうか。

それは私が、上っ面ばかりで生きているからだ。
不幸に拉がれた人のもとに行って、それを抱きしめ、
本当になにかしようという、勇気も、誠実さもないからだ。
空想のなかで「かわいそうな人たち」を描くばかりの、ひどい下衆だ。

改めなくてはいけないのに。

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治安の荒れたイラクから情報を集めて、継続して記事を書くことはできる。
http://www.riverbendblog.blogspot.com/
市民記者というのは、つまりこういうことだ。
このブログは欧米のメディアから高く評価されているので、知っている人も多いだろう。

疑問はある。
GoogleとBloggerは書き手の秘密(リファラー情報など)を守っているのだろうか。
それともアメリカ政府の黙認を得ているのだろうか。
しかし、とにかく書き手は自分の素性を隠さずには書けない。

そういう事情もある。いちがいに匿名性を非難することはできない。

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言葉は誰のためにある。
物書きが、犯罪の被害者について論じるとき、それは被害者のためになる言葉か?

かっこうだけ立派で、じつは「本人の生活」のため、あるいは「精神の満足」のため、「人格の陶冶」のためだというのなら、いっそ小説家になればいい。フィクションならまだ罪が軽い。いやいっそ坊主にでもなれ。

他人の不幸や争いごとをタネに、そんなことをする権利はない。
少なくとも、誇りをもてるようなマネではない。
どれだけ真剣であろうが、懸命であろうが、行為そのものの醜さは変わらない。

そんな物書きは、誰かが受けた傷から、血を吸う虫だ。
吸血行為の醜さを、自覚できないほど、動物的な連中だとは思いたくはない。
だから笑え。自らの醜さを笑え。
吸血の崇高さや、苦労を語る口を、少しは自嘲にゆがめるがいい。

血を流す誰かは、自分を傷つけた連中と闘うのに精一杯で、
血を吸う虫を憎む余裕もない。
だが、私は、気取り屋の虫ケラどもが叩き潰されればいいと思う。



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ガ島通信のオーマイニュース批判はあまり評価できない。
http://d.hatena.ne.jp/gatonews/20060816/1155684101

ブロガーに対する批判に対する反感(こう書くと子供のケンカじみているが)が底に流れていると思うし、それはブロガー集団という「共同体」への帰属意識がなさしめていると思う。と、そこまで書くと、根拠のない誹謗中傷だろうか。
しかし、藤代もまたレッテル貼りに陥っているのではないかと邪推してしまった。
(「日本ブロガー協会」は冗談のハズだったと思うが…)

2ちゃんねるという「共同体」に対する、藤代自身の評価が見えてこないのも不満だ。あるいは、2ちゃんねるに対して、うかつな発言をしないことが彼の言うネットリテラシーか…。

などなど、さまざまな部分で不満はある。
とにかくガ島通信の影響力からみて、またひとつオーマイニュースは旗色が悪くなったことは確かだ。

こんなエントリーを書いている自分がいやになる。
メディアやブロガーに対する批判に対する批判に対する批判…
というのはまったく不毛な気さえする。
それでも書くのだから、私は数少ないオーマイニュース擁護派という訳だ。

少なくとも、5大紙をはじめとする既存メディアににらまれ、
「ブロガー」や「2ちゃんねらー」から叩かれ、
矢面に立つことを選んだ鳥越には、藤代以上の力が求められることは確かだ。
そうあれかしと思う。しかし、おそらくダメだろうなとも思う。



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