東方不敗の幻想
インターネットのジャーナリズムについての覚書

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ジョージ・オーウェルの「1984年」を途中まで読み返して、辛さに耐えかねてやめてしまった。昔は、純粋にSFとして楽しんでいたのに。

早川書房の解説にあるとおり、この作品の、わけてもニュー・スピークのくだりには、BBC職員としての体験が生きているのだろう。当時からマスメディアはそのようなものであった。

堀江の活躍で、雲間から陽射しが差し込んだように見えたこの日本の社会は、
再び私にとって薄暗く息苦しいものになりつつある。

ライブドアは、もうだめだろうと思う。ポータルサイトでは色々なサービスが終了しているし、金融部門も売却するし、事実上自らを解体している。最も痛みの少ない形で、遺産を配分しているようにしか見えない。それは責められない。

しかしやはり、権力に負けたのだ。

私が予想したとおり、政府が市井のヒーローを葬ったあとで現れたのは、自民党が育て上げ、お膳立てしたヒーロー、安倍晋三だ。

彼の担う役割は明確だ。恐ろしいほど明確だ。
正直いって、私は安倍首相が誕生したあと起こることが怖くて怖くてたまらない。

ほかの大勢の日本人にとっては、歓喜にさんざめくようなできごとかもしれないが、
私にはひたすら恐ろしくて辛いのだ。きっと心の病気なのだろう。
そう思いたい。狂っているのは私なのだ。


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「殺し合い」という言葉のよくないウソは
殺人を殴り合いと同列に論じるところだ

決定的な違いは、殺された人間は、殺した人間を「殺し返す」ことはできない
そもそも死者には抗議することも、憎悪することもできない

その身内が復讐をしたとしても、死者は蘇らない
取り返しはつかないのだ

殺し合いという言葉は、殺される側の悲惨さ、殺人という行為の無情さを
やわらげるための嘘にしか過ぎない

たとえ戦争であっても、個々の殺人の罪は
個別に論じられねばならない

相手がやったから自らもやる、という言い訳で、その重みを軽くすることはできない

それは、テロリズムに対しても向けられるべき道理だが
テロリズムを抑制するという美名のもとに行なわれる殺戮行為にもまた
当然適用されなくてはならない

テロリズムが犯罪であるならば、侵略戦争も必ず犯罪なのだ

そう私の理性は告げているのだが、何の役にも立たないうえに
ときどき復讐の怒りの方が、正しいものにも思える
どちらの、とは明言するだけの勇気はないが

しょせん私はいい気になったやじうまにしかすぎないよ

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あまりにも凄惨だ。

ハマスやヒズボラが、いかに強面を売りにしていても、
軍事力ともイスラエルに遠く及ばないだろう。
彼等には、自らが守るべき市民を、イスラエルの攻撃から守る力がないようだ。
ハマスの幹部だって次々と殺害されているし、
ヒズボラも同様の攻撃を受けるに違いない。

惨たらしい。

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