前置き
これは、ちょっと更新を中断しているあいだに書いた日記である。3カ月のあいだに大きく変わったのは、政治だけでなく、私が生きる情報産業(いいたければ虚業)の世界もだ。
mixiへの
批判が集まるなかで、いわば弁護としてまとめたのだが、熱しやすく冷めやすい「ブロゴスフィア」(…)ではもうSNSの個人情報うんぬんの話は言われなくなった。世のIT知識人をもって自認するような人の多くが、いかに流行にあわせてその場その場にものを書いているのかよく分る。
私はSNSの内輪めいた雰囲気を肯定しており、日記の公開設定などはかなり重要な機能だと思っている。特にライターにとってはだ。
今日のブログは、内容が私的なものであれ公的なものであれ、ひろくインターネットにアクセスするユーザーの目に触れる。ゆえに社会身分のある人がうっかりブログで筆を滑らせ、悪意ある野次馬に非難の好餌を与える例は少なくない。
人は誰しも、理屈にあわないとは分っていながら、愚痴や悪口を言いたくなることはある。ブログではときに、飲み屋で友だち相手にこぼすのと同じ勢いで、根拠もなく政治や社会について論じてしまう。
しかし、言論によって生計を立てる者は、こういうウカツなまねをすべきではない。本人にそのつもりがなくとも、ブログの記事は、出版物の記事と同様、一つの作品、主張として扱われる。十分な考慮も推敲もなく書き流した言葉で、自らをおとしめる結果になるのだ。
これは、ひいては、ブロゴスフィア(いやったらしい言葉だ)でたたかわされる言論全体の品質をも、雑誌や新聞に比べ低い水準にとどまらせる。
ブログでは常に、自分のしているのが「雑談」ではなく「著述」であると認識せねばならない。だからこそ愚痴の類はSNSの公開設定の内側にとどめておくべきだろう。飲み屋で話すような与太は、飲み友だちだけが見る日記の中でやればよい。
SNSなら、誰が読むのかを比較的簡単に管理できるのだし、仲間同士の議論もしやすい。「インターネットの情報は万人の目に触れるもの」という理屈で見も知らぬ他人から突き上げを食らわずに済むし、よしんば勝手に転載されたとしてもプライバシーを盾にできる。
そのためにはSNSが私的なものという社会通念が普及し、法のうえでも守られねばならないが。
雑談と著述の住み分けがしっかりすれば、万人の目に触れるブログにも、雑誌や新聞と同程度の品質が期待できるようになるのではないか。
ところで、こういう考えが万が一にも社会の同意を得て広がったとすると、ブロゴスフィアの言論はおそろしく退屈きわまりないものになり、活きのよさをすっかり失ってしまうだろう。
後付け
ITmediaに
「シックス・アパート「Vox」にグループ機能という記事が出ていた。
ブログとSNSの合いの子といったところだ。
SNSには、外部公開可能なブログ機能を備えるものすでにあるが、ブログサービス大手のシックス・アパートが歩み寄ってきた例としては注目に値する。
まぁさまつな話ではあるが。