東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

宇佐

2023-10-08 23:57:30 | 日記
 疲れたなあ。芸能界だけじゃなく、プロスポーツの世界もいろいろありそうだよなあ。そういうのって、平成になってからじゃなく、昭和の時代もなんだろうか?、やっぱり。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は八幡宮の総本宮の宇佐神宮の祖宮ともいわれるらしい。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で神殿が外宮らしい。意味不明だ。
 
 八幡宮の総本宮の大分県宇佐市にある宇佐神宮では応神天皇と神功皇后と比売大神を祀っていて、応神天皇は神功皇后の息子で八幡大神ということになっていて、応神天皇は誉田別命というらしい。比売大神は宗像三女神ということになってるらしい。
 
 宇佐神宮の奥宮は御許山というところにあるらしく、大元神社という神社があって宇佐神宮の奥宮と大元八坂神社があるらしい。宇佐神宮の境内にも八坂神社があるらしい。
 
 宇佐神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

中津

2023-10-08 23:53:11 | 日記
 鬼太郎ですか・・・。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は八幡宮の総本宮の宇佐神宮の祖宮ともいわれるらしい。薦神社では宇佐神宮と同じ応神天皇と神功皇后と比売大神を祀ってるらしい。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で神殿が外宮らしい。意味不明だ。
 
 奈良時代の九州には隼人といわれる人たちがいて、宇佐神宮の近くには隼人の首を葬ったといわれる凶首塚古墳があって、隼人の人たちの霊を祀る百体神社があるらしい。宇佐市に和間神社があって浮殿というみたいだけど、ここで放生会が行われるらしい。放生会は明治時代に仲秋祭に名称が変わったらしい。本当か知らない。
 
 奈良時代の隼人の反乱の時、反乱を鎮めるために三角池に自生する真薦で枕を作り、八幡神の御験にして神輿に載せ、宮崎県や鹿児島県のほうまで神輿を担いで行ったようだ。これが日本で最初の神輿らしい。よくわからないが、宇佐神宮のHPに、そのようなことが書いてある。
 
 薦神社の鎮疫祭では鬼やらいが行われるらしく、鬼という字の書いた幕に矢を放つらしい。そうやって日本人を鬼といって呪ってるんじゃないの?。
 
 薦神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

大田

2023-10-08 23:47:24 | 日記
 疲れたなあ。毎日、同じようなことを書いてるけど、今一つ、決定力に欠けるんだよなあ。なんとなく、いろんなことがわかってきた気もするけど、俺は謎を解きたいんじゃなく、呪いを解きたいんだよなあ。その過程で、日本の歴史の嘘がわかってきてるっていうかさあ。
 
 三重県伊勢市に猿田彦神社があって、猿田彦神社のHPを見ると、猿田彦神社には佐瑠女神社があって、天宇受売命と記載してるようだ。天宇受売命は猿女君の称号を受けたようだ。
 
 猿田彦大神の子孫が猿田彦神社の宮司家の宇治土公家で、宇治土公家は伊勢神宮の式年遷宮の時に心御柱と御船代を作る役目を務めるらしい。インターネットで調べると、伊勢神宮の内宮の社殿の中には心御柱というものがあるらしく、建物の真中にあって、柱の役目をしてないらしい。その上のあたりに伊勢神宮の内宮の御神体の八咫鏡が収められてるらしい。
 
 島根県大田市にある物部神社では物部氏の祖のニギハヤヒの息子のウマシマジを祀っているらしい。物部神社では鎮魂祭が行われるらしく、猿女の鎮魂法というみたいだけど、鎮魂は魂を鎮めるみたいなことではなく、魂を揺り動かし、魂に活力を与えるみたいなことらしい。ウィキペディアで鎮魂祭を調べると、猿女の鎮魂法は巫女さんが箱の上に乗って箱を矛で突くらしい。物部神社の鎮魂祭は宮中で行われる鎮魂祭に最も近いらしい。
 
 ここから強烈な頭痛がしてくる気がするんだけど、何が鎮魂なのか知らないけれど、箱の上に乗って、箱を上から棒で突くんだってさ。
 
 物部神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

天台宗

2023-10-08 23:35:48 | 日記
 疲れたなあ。
 
 明治以降の天台座主で一番著名な僧は山田恵諦という僧のようだけど、昭和49年(1974年)から平成6年(1994年)まで20年間も天台座主を務め、「一隅を照らす運動」の総裁を務めたようだ。
 
 山田恵諦という僧の前の天台座主の菅原栄海という僧は岩手県奥州市の江刺の出身らしい。岩手県の寺の本に、そう載ってる。江刺にある勝軍寺という寺の息子らしいけど、行ってみたら、寺が無かった。勝軍寺の山号は愛宕山だそうだ。中尊寺の貫首をしていた千田孝信という僧は菅原栄海の親戚らしい。
 
 明治維新の後に天台座主はいなくなり、明治17年(1885年)に復活したらしい。本当か知らない。明治以降の天台座主も名前だけはウィキペディアに載ってる。
 
 天台宗は天台法華宗ともいうらしく、法華経を根本経典にしていて、天台宗の発祥の地は中国にある天台山らしい。日本の天台宗の総本山の滋賀県大津市にある比叡山延暦寺では、密教や禅や念仏もあって、総合仏教といってるらしい。
 
 延暦寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

平泉

2023-10-08 23:25:58 | 日記
 疲れたなあ。今日も朝から強烈な頭痛がして、午前中は寝込んでたもんなあ。
 
 宮城県角田市には石川氏がいて、伊達藩の家臣団の序列の一番上の一門の首席だったようだ。本当か知らないけど・・・。伊達藩では仙台と白石に城があって、他は城といっても要害というらしい。
 
 江戸時代の最後の石川家の石川邦光という人は明治維新の後に北海道の室蘭郡の開拓で移住する予定だったらしいけど、詐欺にあって移住費用をだまし取られてしまい、石川邦光と家臣の人たちの室蘭郡への移住は取りやめになったようだ。明治10年(1877年)には石川邦光は家臣団を率いて西南戦争に行って西郷軍とも戦ったようだ。石川邦光は明治22年(1889年)に角田町の初代町長に就任したようだけど、その次の年には町長を辞職して移住計画を始めて、明治26年(1893年)に北海道の南幌町に移住したようだけど、ここでもトラブルがあって角田に戻ってきたらしい。石川邦光は明治29年(1896年)に家督を譲って隠居したらしい。よくわからないが、ウィキペディアで調べて書いてます。
 
 北海道の室蘭郡の開拓には石川邦光の兄弟の石川光親が携わったようだ。北海道の栗山町の開墾の礎には石川家の家臣の人が関わってるらしい。栗山町は昔は角田村だったらしい。
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。戊辰戦争の頃の田村氏の田村邦栄という人は角田石川家から来た人らしく、石川義光の息子らしい。戊辰戦争の後に弟の田村崇顕に家督を譲ったみたいだけど、再び家督を継いだようだ。田村崇顕という人も角田石川家から来た人で、石川義光の息子らしい。次の田村氏の田村丕顕は田村邦栄の息子で、海軍の軍人だったようだ。詳しく知らないので、ウィキペディアで調べて書いてます。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸という人が登場するようだ。東北だけじゃなく、日本各地に坂上田村麻呂伝説があるみたいだけど、字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。三重県の鈴鹿地方にも坂上田村麻呂伝説があるらしく、鈴鹿御前の話があるらしい。
 
 一関市の隣の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を倒したという伝説がある。達谷窟毘沙門堂には達谷西光寺という別当寺があって、達谷西光寺は天台宗の寺だ。
 
 達谷窟毘沙門堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか