東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

平泉

2023-10-08 23:25:58 | 日記
 疲れたなあ。今日も朝から強烈な頭痛がして、午前中は寝込んでたもんなあ。
 
 宮城県角田市には石川氏がいて、伊達藩の家臣団の序列の一番上の一門の首席だったようだ。本当か知らないけど・・・。伊達藩では仙台と白石に城があって、他は城といっても要害というらしい。
 
 江戸時代の最後の石川家の石川邦光という人は明治維新の後に北海道の室蘭郡の開拓で移住する予定だったらしいけど、詐欺にあって移住費用をだまし取られてしまい、石川邦光と家臣の人たちの室蘭郡への移住は取りやめになったようだ。明治10年(1877年)には石川邦光は家臣団を率いて西南戦争に行って西郷軍とも戦ったようだ。石川邦光は明治22年(1889年)に角田町の初代町長に就任したようだけど、その次の年には町長を辞職して移住計画を始めて、明治26年(1893年)に北海道の南幌町に移住したようだけど、ここでもトラブルがあって角田に戻ってきたらしい。石川邦光は明治29年(1896年)に家督を譲って隠居したらしい。よくわからないが、ウィキペディアで調べて書いてます。
 
 北海道の室蘭郡の開拓には石川邦光の兄弟の石川光親が携わったようだ。北海道の栗山町の開墾の礎には石川家の家臣の人が関わってるらしい。栗山町は昔は角田村だったらしい。
 
 岩手県一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってる。戊辰戦争の頃の田村氏の田村邦栄という人は角田石川家から来た人らしく、石川義光の息子らしい。戊辰戦争の後に弟の田村崇顕に家督を譲ったみたいだけど、再び家督を継いだようだ。田村崇顕という人も角田石川家から来た人で、石川義光の息子らしい。次の田村氏の田村丕顕は田村邦栄の息子で、海軍の軍人だったようだ。詳しく知らないので、ウィキペディアで調べて書いてます。
 
 坂上田村麻呂の征夷の話も嘘の気がするけど、坂上田村麻呂の敵の蝦夷には安倍高丸や悪事の高丸や大嶽丸という人が登場するようだ。東北だけじゃなく、日本各地に坂上田村麻呂伝説があるみたいだけど、字は違っても高丸という人が登場することが多いようだ。三重県の鈴鹿地方にも坂上田村麻呂伝説があるらしく、鈴鹿御前の話があるらしい。
 
 一関市の隣の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を倒したという伝説がある。達谷窟毘沙門堂には達谷西光寺という別当寺があって、達谷西光寺は天台宗の寺だ。
 
 達谷窟毘沙門堂ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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