東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

伊勢

2021-05-19 19:45:10 | 日記
 うどんですか・・・。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の外宮は豊受大神宮というらしく、外宮の祭神の豊受大神は内宮の祭神の天照大神の食事のために丹波から勧請されたことになってるようだ。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、太平洋戦争の後は天皇の娘が祭主を務めるようになったみたいです。今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡のようです。八咫鏡にはヘブライ語が刻まれてるという説があるらしい。
 
 モーセの前にイスラエル人の先祖の神が現れ、エジプトにいるイスラエルの人たちを連れ出すように言ったみたいだ。モーセはイスラエルの人たちにイスラエル人の先祖の神の名を教えなければいけないみたいに言って、自分の前に現れた神に名を尋ねてみたようだ。モーセの前に現れた神は「わたしはある。わたしはあるというものだ。」と答えたらしい。
 
 日本語訳の聖書には「わたしはある。わたしはあるというものだ。」と書いてあるみたいだけど、「わたしはある」という神らしい。
 
 モーセは聖書に登場する人物の中でも最重要人物の一人で、イスラエルの人たちを率いてエジプトから逃げたり、神から十戒を授かったり、神から祭祀の仕方をいろいろ教わったみたいです。詳しいことは知りませんけど・・・。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

宇佐

2021-05-19 19:35:10 | 日記
 神社に今のような祭神が祀られたのは明治維新の後としか思えないんだよなあ。
 
 山形県飽海郡遊佐町にある大物忌神社では大物忌神を祀ってます。大物忌神は豊受大神と同じということになってるらしく、大物忌神は倉稲魂命と同じや豊岡姫ともいうみたいです。秋田県側の由利本荘市の矢島町にも大物忌神社があるみたいです。
 
 遊佐町に大物忌神社の吹浦口ノ宮と蕨岡口ノ宮があって、吹浦のほうは前から知ってて行ったことがあったけど、東日本大震災の後だったか、蕨岡の大物忌神社に行く途中、他人に憑かれたみたいになって、呪い殺されそうになったもんなあ。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の外宮は豊受大神宮というらしく、外宮の祭神の豊受大神は内宮の祭神の天照大神の食事のために丹波から勧請されたことになってるようだ。
 
 遊佐町の隣の秋田県にかほ市の象潟には神功皇后が八幡神社の祭神の応神天皇を出産したという伝説があるみたいです。象潟にある曹洞宗の寺の蚶満寺の寺号は神功皇后が持っていた干珠満珠という珠に由来するという説があるらしく、蚶満寺の山号は皇宮山です。
 
 八幡宮の総本宮の大分県宇佐市にある宇佐神宮では応神天皇と神功皇后と比売大神を祀っていて、応神天皇は神功皇后の息子で八幡大神ということになってるみたいです。
 
 宇佐神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

中津

2021-05-19 19:18:14 | 日記
 江戸時代の藩も怪しいと思うのは俺だけだろうか?。
 
 藩主だった人は明治維新の後に貴族になって政治家になったりしてるんでしょ?。その後に、他の家から養子が来たりしてさ。
 
 インターネットで調べると、江戸時代の大分県は小藩分立といわれてるみたいだけど、中津藩と杵築藩と日出藩と府内藩と臼杵藩と佐伯藩と岡藩と森藩があったようだ。島原藩と延岡藩と熊本藩の飛び地もあって、日田市は幕府の直轄領だったんだろうか?。
 
 そういうことらしいけど、どうなんだろうなあ?。
 
 八幡宮の総本宮の大分県宇佐市にある宇佐神宮では応神天皇と神功皇后と比売大神を祀っていて、応神天皇は神功皇后の息子で八幡大神ということになってるみたいです。
 
 宇佐神宮のHPを見ると、宇佐神宮では仲秋祭が行われ、明治時代に放生会から仲秋祭に名称が変わったようだけど、奈良時代の九州には隼人と呼ばれる人たちがいて、隼人の人たちの慰霊のために放生会が行われるようになったみたいです。
 
 隼人の反乱を鎮めるために八幡神に祈願し、薦枕を神験にして神輿に載せ、宮崎県や鹿児島県のほうまで行ったようだ。これが日本で最初の神輿らしい。よくわからないが、宇佐神宮のHPに、そのようなことが書いてある。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は宇佐神宮の祖宮らしい。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で社殿が外宮のようです。隼人の反乱の時に三角池に自生する真薦で枕を作ったみたいです。
 
 薦神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

香川

2021-05-19 18:54:39 | 日記
 江戸時代の藩も怪しいと思うのは俺だけだろうか?。
 
 江戸時代の秋田県由利本荘市には本荘藩と矢島藩と亀田藩があって、本荘藩の藩主は六郷氏で、矢島藩の藩主は生駒氏で、亀田藩の藩主は岩城氏だったみたいです。
 
 明治維新の後の生駒氏は岡山藩の藩主だった池田慶政の息子が継いでるようだ。大分県にあった中津藩の奥平氏繋がりのようだけど、江戸時代の藩も怪しいと思うのは俺だけだろうか?。
 
 岡山藩の最後の藩主の池田章政は熊本県にあった人吉藩の相良氏から来た人で、岡山藩の支藩の鴨方藩の藩主になり、岡山藩の藩主になったようだ。明治以降の池田家は皇族の女性を妻に迎えたり、昭和天皇の娘を妻にしたようだ。
 
 香川県仲多度郡琴平町にある金刀比羅宮の奥社には厳魂神社があるらしく、厳魂彦命を祀っているようです。厳魂彦命は戦国時代に生駒氏の家臣の家に生まれた宥盛という僧で、金刀比羅宮を再興した人らしいです。
 
 金刀比羅宮は明治維新の後に金毘羅大権現を祀る修験寺院から大物主を祀る神社に代わったみたいだけど、神社に今のような祭神が祀られたのは明治維新の後の気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 金刀比羅宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

お祓い

2021-05-19 17:56:44 | 日記
 蘇民将来ですか・・・。
 
 
 火をつけるか