すなば たかひろ

「元気で人に優しい鳥取」を取り戻すため、県議になった元新聞記者の挑戦記。みんなで鳥取の未来像を考えましょう!

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69回目の終戦記念日に思う

2014年08月15日 | 日記

 今日は69回めの終戦記念日です。先の大戦では県内からも2万3000人の戦死者を出しています。その死を思う時、痛惜の念に耐えましせんし、今日の平和が、犠牲に成った皆様の上に築かれたことに思いを致し、御霊の安らからんことを祈念したいと思います。

 さて、戦後、我が国は日本国憲法を制定し、1発の砲銃弾を打つこともなく、平和を堅持してきました。しかし、安倍政権の発足以来、軍事機密を守る特定秘密保護法の制定、武器輸出三原則をないがしろにする韓国軍への銃弾の貸与、集団的自衛権の行使容認の閣議決定などいつか来た道を歩んでいる危機感を多くの県民の皆様が募らせておられます。

 平和を希求するには過去に学ぶことが重要であり、来年、太平洋戦争の集結から70周年を迎えるにあたり、戦時体験の聞き取り調査と資料の収集をする必要性を強く思います。

 先日の朝日新聞には、日本人捕虜の集団脱走で234人が亡くなった豪・カウラ事件の生存者村上輝夫さんの貴重な証言が掲載していましたが、村上さんは県内在住と記されていました。加えて、真珠湾攻撃で特殊潜航艇搭乗員として戦死した九軍神の横山薫範特務少尉、第十三方面司令官として名古屋空襲の米軍捕虜を処刑した責任で戦犯として処刑され、映画「明日への遺言」で描かれた岡田資中将、連合艦隊参謀長などを務めた福留繁中将ら、太平洋戦争で注目すべき県出身の軍人は少なくありません。県内には旧帝国海軍の美保基地や鳥取連隊の兵舎などの戦争史跡も、まだ残っています。鳥取県にとっても戦争は大きな足跡を残しているのです。

 私が新聞記者になった25年前は、たくさん戦争体験を語っていただける方が居られましたが、取材した方々は年々他界され、戦争体験を聞くこと自体が難しくなってきています。今、証言を記録し、資料を集めておかねば、後世に戦争の記憶を残すことは出来ないのではないでしょうか。今後、県議会などから提案していきたいと思います。

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