
【おぼろ月夜の館 ネットより】
今朝の「こころの時代」で《 歌い継がれる”ふるさと”〜作詞家・高野辰之の功績(1)》を聞いた。
義母を見舞いに、晩秋の信州を訪ねたのはもう10年も前になる。その折、毎年宅急便で送ってもらっていた野沢菜の収穫体験をした。すでに霜が降り、多少収穫時期は遅れていたが、小春日の畑で紅い蕪を包丁で切ったことを思い出した。
帰路、思い立って野沢菜の里、野沢温泉村に立ち寄った。そこで思いがけずに「おぼろ月夜の館」を見学し、高野辰之を知ったのだ。あの唱歌「故郷」の作詞者である高野辰之の業績や人間像に触れて、あらためて自分の知る世界がわずかなことに気づき、生涯学ぶことの意義を思ったことだ。
そこには確かに「山は青きふるさと 水は清きふるさと」、清々しい豊かな北信州の風土があった。
久々に「おぼろ月夜の館」で求めたCD「信州ゆかりの日本の名歌を訪ねて」を聴いた。 そこに収録されている高野辰之作詞の「故郷」「朧月夜」「春がきた」「春の小川」などを静かに聴いて、あらためて高野辰之に思いをはせた。
今朝の「こころの時代」で《 歌い継がれる”ふるさと”〜作詞家・高野辰之の功績(1)》を聞いた。
義母を見舞いに、晩秋の信州を訪ねたのはもう10年も前になる。その折、毎年宅急便で送ってもらっていた野沢菜の収穫体験をした。すでに霜が降り、多少収穫時期は遅れていたが、小春日の畑で紅い蕪を包丁で切ったことを思い出した。
帰路、思い立って野沢菜の里、野沢温泉村に立ち寄った。そこで思いがけずに「おぼろ月夜の館」を見学し、高野辰之を知ったのだ。あの唱歌「故郷」の作詞者である高野辰之の業績や人間像に触れて、あらためて自分の知る世界がわずかなことに気づき、生涯学ぶことの意義を思ったことだ。
そこには確かに「山は青きふるさと 水は清きふるさと」、清々しい豊かな北信州の風土があった。
久々に「おぼろ月夜の館」で求めたCD「信州ゆかりの日本の名歌を訪ねて」を聴いた。 そこに収録されている高野辰之作詞の「故郷」「朧月夜」「春がきた」「春の小川」などを静かに聴いて、あらためて高野辰之に思いをはせた。

《高野辰之の奥さんは、例の破壊の舞台「蓮花寺」(真宗寺)から嫁いでおります。》
ネットで「生い立ち」を見ていたら
「下水内高等小学校(現長野県飯山市)の卒業で、冬期間は通学遠距離の為【真宗寺】を寄宿舎としていた。また、師範学校卒業後、下水内高等小学校の訓導」とありました。そんな出会い、縁もあったかと・・・。
信州へ帰省の帰りには、たまに、R117で「越後川口IC」から高速に乗ることもあります。そんなとき寄り道して北信濃を訪ねています。