嶽南亭主人 ディベート心得帳

ディベートとブラスバンドを双璧に、とにかく道楽のことばっかり・・・

【ディベート甲子園2010】 安楽死論題について思う(序)~東北地区指導者研修会にて

2010-03-30 05:26:03 | ディベート
過日、お招きにより、掲題の研修会に講師として出向いた。

志を同じくする人との語らいは、楽しくも、とても勉強になった。

同日お話した内容、それに、これを機に整理した考えについて、ここでも、報告したいと思う。例により、ぼちぼちと進めるので、その点は悪しからず。

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当日の講義は、以下の引用で結んだ。

ミク友であるmasashiさんの省察に触れて、脳裏に浮かんできた、ある本の一節である。

(引用開始)

「かくしてチャーリイは、ひとびとを引き裂いてしまう楔から芽生えてくる、言語の、肉体の、虐待や暴力行為の問題のいくばくかを癒してくれる重要な洞察をわれわれに与えてくれたのだ。

 おそらく彼はこう示唆したいのだろう。つまり、知識の探求に加えて、われわれは家庭でも学校でも、共感する心というものを教えるべきだと。われわれの子供たちに、他人の目見、感じる心を育むように教え、他人を思いやるように導いてやるべきだと。自分たちの家族や友人ばかりではなくーーそれだったらしごく容易だーー異なる国々の、さまざまな種族の、宗教の、異なる知能レベルの、あらゆる老若男女の立場に自分をおいて見ること。こうしたことを自分たちの子供たち、そして自分自身に教えることが、虐待行為、罪悪感、恥じる心、憎しみ、暴力を減らし、すべてのひとびとにとって、もっと住みよい世界を築く一助となるのだと思う。」

ーーーダニエル・キイス 「アルジャーノンに花束を」 日本語版文庫への序文より

(引用終了)

今回の論題、中学論題も高校論題も「いのち」を扱う点が共通している。

ディベーター、それに指導にあたる先生方には、「いのち」に対する畏敬の念を新たにして頂いた上で、聞き手の感受性に思いを致し、そうして、もの言いに関して十分な留意をお願いしたいのである。

前回の安楽死論題では、

「ガンは不治の病気です」とか

「AIDSになったら助かりません」とか

天真爛漫ながらも、誠に不用意にして、粗忽な言明が散見された。私ですら、聞いていて、気を悪くした。いわんや一般の方々、それに当事者の方々をや。

特に高校論題におけるスピーチに際しては、ぜひとも聞き手の立場に身を置いて考え、そして言葉を選んで欲しい。

まずはその点を、切にお願いしたい。

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