三崎町から永田町へとタクシーで急ぐ。
車内のラジオ放送が、なんだかいつもと違う。
大勢の人がワーワーと騒ぐ声ばかりが、延々と流れてくる。
何なのだ、これ?
そこへレポーターの声で、
「新幹線のホームにも人だかりです」
これですべてを了解。
先月から定期的に仙台に赴く仕事が発生して、東京駅9:40発のやまびこに乗車するのを常としており、9:35を過ぎた頃、隣の在来線ホームからブルートレインが回送されていき、ホーム品川寄りの先端に、手に携帯、デジカメ、ビデオを手にした人が50人ばかりが集まって、列車を見送っているのを見るのは、毎回のことであった。
この時間帯、在来線ホームどころか隣の新幹線ホームにまであふれる人、叫ぶような大勢の人の声。
ならばこれしかない。
今日は3月13日。春のダイヤ改正の前日。
ということは、「はやぶさ・富士」のラストランの日に他ならない。
今日は、まちがいなく、日本の鉄道史に残る日になる。
一時代を築いた東海道本線のブルートレインが、これですべて姿を消すことになる。
主人、幼少のみぎりのことである。
静岡の富士という中途半端なところに生まれ育ったためか、在来線の特急に乗る機会には、ついぞ恵まれなかった。
急ぐ旅なら新幹線ということになってしまう。いや、そもそも親は東名ハイウェイバスの熱烈なユーザーだったので、それすらなかなか乗せてもらえなかった。
ごく稀に、東京に出るために新幹線に乗車できたときも、熱海近辺で特急「あまぎ」の雄姿が目にとまったときには、「あっちの方に乗ってみたい」と思い続けていた。新横浜駅の北口には、建物はほとんどなく、ぺんぺん草の生える土地がえんえんと広がっていた頃の話である。
長じて後、在来線の特急にはじめて乗車したのは、いつのことだろう。記憶が正しいならば、金沢大学にいくために、米原から金沢まで特急「加越」に乗車したのが初めてのはずだ。
その後も、在来線の特急に乗車できたのは、「有明」「あずさ」「あさま」「南風」「かもめ」「みどり」「草津」「スーパーはつかり」、それに「踊り子」、「ふじかわ」、「南紀」、「スーパーはくと」、「ひだ」しかない(しかも始発駅から終着駅まで乗車できたのは、加越のほかは、有明、あずさ、踊り子しかない)。
寝台特急など、夢のまた夢だった。
ということは、もっぱら寝台特急とは、もっぱら時刻表の上で想いを馳せるためのもの、たまさかにその雄姿を眺めるためのものであった。件の「富士」がついに「富士」駅に停車することとなったときには、欣喜雀躍であった。
寝台特急に乗車する機会をようやく得られるようになったのは、ここ何年かの話。最終便の飛行機に乗れず、高松から東京に向かうために乗った「サンライズ瀬戸」、パックツアーで乗車する機会を得た「北斗星」、昨年友人の応援のために赴いた秋田からの帰路の「あけぼの」に留まる(念のため、乗車した寝台急行として「銀河」と「はまなす」を書き添えておく)。ブルートレインに憧れを抱き、時刻表を愛読していた少年は、不惑の年を迎えるようになっていたのであった。
嗚呼、何たること。いつかは乗ろうと心に誓った東海道ブルートレイン。「みずほ」が失せ、「あさかぜ」が止み、「はやぶさ」とくっついた「さくら」が散り、そうして「富士」と「はやぶさ」が、いままさにともども姿を消そうとしている。
ホームに居られる同好の士たちよ。気持ちは、ここでもよーくわかるぞよ。
そして定刻。文字通り、汽笛一声。心持ち長かったような気がする。惜しむ声に見送られながら、「はやぶさ・富士」がホームを出て行った、のがスピーカー越しに見えた。
東京駅からの中継が終わる。
引続き、スタジオからの放送では、何と粋なはからい。
発車直後に流れる「はやぶさ・富士」の停車駅と到着時刻の案内を、ノーカットで流してくれた。
・・・・「富士、20時8分」・・・・
NHKラジオ、全く泣けることをしてくれる。
車内のラジオ放送が、なんだかいつもと違う。
大勢の人がワーワーと騒ぐ声ばかりが、延々と流れてくる。
何なのだ、これ?
そこへレポーターの声で、
「新幹線のホームにも人だかりです」
これですべてを了解。
先月から定期的に仙台に赴く仕事が発生して、東京駅9:40発のやまびこに乗車するのを常としており、9:35を過ぎた頃、隣の在来線ホームからブルートレインが回送されていき、ホーム品川寄りの先端に、手に携帯、デジカメ、ビデオを手にした人が50人ばかりが集まって、列車を見送っているのを見るのは、毎回のことであった。
この時間帯、在来線ホームどころか隣の新幹線ホームにまであふれる人、叫ぶような大勢の人の声。
ならばこれしかない。
今日は3月13日。春のダイヤ改正の前日。
ということは、「はやぶさ・富士」のラストランの日に他ならない。
今日は、まちがいなく、日本の鉄道史に残る日になる。
一時代を築いた東海道本線のブルートレインが、これですべて姿を消すことになる。
主人、幼少のみぎりのことである。
静岡の富士という中途半端なところに生まれ育ったためか、在来線の特急に乗る機会には、ついぞ恵まれなかった。
急ぐ旅なら新幹線ということになってしまう。いや、そもそも親は東名ハイウェイバスの熱烈なユーザーだったので、それすらなかなか乗せてもらえなかった。
ごく稀に、東京に出るために新幹線に乗車できたときも、熱海近辺で特急「あまぎ」の雄姿が目にとまったときには、「あっちの方に乗ってみたい」と思い続けていた。新横浜駅の北口には、建物はほとんどなく、ぺんぺん草の生える土地がえんえんと広がっていた頃の話である。
長じて後、在来線の特急にはじめて乗車したのは、いつのことだろう。記憶が正しいならば、金沢大学にいくために、米原から金沢まで特急「加越」に乗車したのが初めてのはずだ。
その後も、在来線の特急に乗車できたのは、「有明」「あずさ」「あさま」「南風」「かもめ」「みどり」「草津」「スーパーはつかり」、それに「踊り子」、「ふじかわ」、「南紀」、「スーパーはくと」、「ひだ」しかない(しかも始発駅から終着駅まで乗車できたのは、加越のほかは、有明、あずさ、踊り子しかない)。
寝台特急など、夢のまた夢だった。
ということは、もっぱら寝台特急とは、もっぱら時刻表の上で想いを馳せるためのもの、たまさかにその雄姿を眺めるためのものであった。件の「富士」がついに「富士」駅に停車することとなったときには、欣喜雀躍であった。
寝台特急に乗車する機会をようやく得られるようになったのは、ここ何年かの話。最終便の飛行機に乗れず、高松から東京に向かうために乗った「サンライズ瀬戸」、パックツアーで乗車する機会を得た「北斗星」、昨年友人の応援のために赴いた秋田からの帰路の「あけぼの」に留まる(念のため、乗車した寝台急行として「銀河」と「はまなす」を書き添えておく)。ブルートレインに憧れを抱き、時刻表を愛読していた少年は、不惑の年を迎えるようになっていたのであった。
嗚呼、何たること。いつかは乗ろうと心に誓った東海道ブルートレイン。「みずほ」が失せ、「あさかぜ」が止み、「はやぶさ」とくっついた「さくら」が散り、そうして「富士」と「はやぶさ」が、いままさにともども姿を消そうとしている。
ホームに居られる同好の士たちよ。気持ちは、ここでもよーくわかるぞよ。
そして定刻。文字通り、汽笛一声。心持ち長かったような気がする。惜しむ声に見送られながら、「はやぶさ・富士」がホームを出て行った、のがスピーカー越しに見えた。
東京駅からの中継が終わる。
引続き、スタジオからの放送では、何と粋なはからい。
発車直後に流れる「はやぶさ・富士」の停車駅と到着時刻の案内を、ノーカットで流してくれた。
・・・・「富士、20時8分」・・・・
NHKラジオ、全く泣けることをしてくれる。