嶽南亭主人 ディベート心得帳

ディベートとブラスバンドを双璧に、とにかく道楽のことばっかり・・・

三回忌

2006-07-06 02:30:21 | 追憶
君の訃報に接したのが、一昨年の6月だから、先月で三回忌になる。

***

「僕にとって一番思い出の深いDBは、All KEIOでしたからね。先輩、こんなのがありましたよ。懐かしいでしょ?」

と笑いながら、成蹊大学で行われたNADE関東主催の大会のジャッジ控室で、汚い字でかかれたメモを渡してくれた。

書いた私すら忘れていた。いまとは違ってワープロのない頃、私がB5のレポート用紙に鉛筆でグリグリと書いた「セオリー解説メモ」。ハイポやCWが横行していた往時、ALL KEIOののプレパの一環として、持てる知識と経験を伝承しようと、必死になって書き残そうとしたんだった。

よくぞ、16年間も、そんな紙くず同然のものをとっておいてくれたものだ。あまりの懐かしさとうれしさに、涙をこらえるのが、実は大変だったんだぞ。

ALL KEIOで、君とチームを組んだのは、私が3年のときだったろうか、4年のときだったろうか。富坂や早稲田の木村セミナーハウスでのプレパ合宿は、実に楽しかった。

君と組めたのは、それっきりになってしまったな。全く、残念だ。

デイリーヨミウリの大会に君を誘ったときには、ハワイに留学中だったし、JBDFの例会に誘ったときも、不登校の生徒さんの面倒を見るために、君は奔走している最中だったし。

だいたい、君はナイスガイすぎるんだ。君の各方面での大活躍は耳にしていた。君の人柄のなせる業だということもよーくわかる。でもその活躍のしすぎがゆえに、君は倒れてしまった。倒れるどころか、あっさりとこの世を去ってしまった。

この大馬鹿野郎、何も死ぬことはないじゃないか。

「いつか、もう一度いっしょに組んで、ディベートの試合に出ましょう」

っていう約束は、まだ残ってるぞ。

だから、私がそっちに行ったら、その時こそ、チームを組んでディベートをしよう。対戦相手は、後藤哲典と相談して、そっちで決めておいてくれればいいから。今から、楽しみだ。

試合の服装は、紺のスリーピースのスーツに、臙脂色のネクタイだぞ。中コミ、ディベ外の君なら、それはわかってるよな?

***

深井智純君。享年36才。

その早すぎる死は、痛恨の極みである。

三回忌の今、あらためて衷心より、ご冥福をお祈り申し上げる。

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6 コメント

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Unknown (臼井直人)
2006-07-06 08:02:44
もうあれから3年も経っていたんですね。学生時代とまったく変わらない笑顔でディベート甲子園の会場に顔を出していた姿は今でももちろんはっきりと覚えています。だからこそ3年という時間がとても驚きです。



人づてに聞いた死の原因は、彼の温厚で優しい性格ゆえの過労だとか。こういうことはもちろん教育現場に限った話ではないけれど、とかく私の知る限りも教育現場は「これは是非『若手』の人に」ということで30~40歳台の「若手」が余計な負担を強いられることがある。要するに「年寄りども」がサボりたいだけということがあります。深井君亡き後、彼の元の職場ではなにかがどうにか改善されてきているのだろうか?学校内外から余計な仕事を持ち込まれ、それをやっているとき、どうしても僕は深井君のことを思わざるを得ませんでした。それは今年の2月に自分が入院している時もそんなことを考えていました。



いや、でも深井君をそのような悲劇のみと結びつけて語ってはいけないですね。この記事を読み、そしてもう20年も昔の自分のディベート現役時代に大会会場で元気にディベートをしていた深井君のことを思い出すと、彼がいかにこの活動に真摯に取り組んでいたかがわかります。そしてだからこそそれを自分の教え子に伝えようとしていたのですから。



深井君と嶽南亭さんチームの相手は、いつか私が引き受けましょう。負けないですから二人とも覚悟しておいてくださいね!!
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Unknown (イクトス)
2006-07-06 13:09:26
そうでしたか。嶽南亭さんと深井さんに、そんなつながりがあったなんて。



僕はディベート甲子園の会場で知り合ったので、本当にわずか数年のおつきあいでした。



2000年のディベート甲子園の記録に、こんなことを書いてます。

「 講評を待つ間に、今年は人数が揃わなくて関東大会に出らず、見学に来ていたある先生がそっと近づいてきた。大学時代ESSで活躍していた方だ。

 「先生、否定側の1反の議論ですが、あれはジャッジによっては新出議論ということでとってもらえない可能性がありますよ…」」



対青雲高校との試合を深井さんが観戦して下さっていたんですね。



翌年からでしたか、慶応義塾高校が地区大会に出て来てくれるようになりました。



「あいつら思い上がっているんで、ちょっと痛い目にあった方がいいんですよ」と言い放ちつつ、でも、いつも生徒たち温かく見守っている彼の姿が忘れられません。



嶽南亭さん深井さんチーム対臼井さんチームだと、僕はタイムキーパーか司会でもさせていただきましょう。





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Unknown (アマサイ)
2006-07-07 12:00:46
>デイリーヨミウリの大会に君を誘ったときには、ハワイに留学中だったし

わたくしが獄南亭主人殿とDYに出たのは、この方のピンチヒッターであったのでしょうか。いや、そうであったなら、限りなく申し訳ない。

そうであっても、なくても、すばらしい方ですね。

人生は長さではないけれど、短すぎる一生。

面識のない深井智純さん、獄南亭殿の言葉を介して「知人」となりました。

ご冥福をお祈りいたします。
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答礼 (嶽南亭)
2006-07-07 20:36:19
臼井さん>



おみ足の具合はいかがでしょうか?ディベートが広く社会に、とりわけ次世代に浸透していくことを深井君が祈念していたのはおっしゃる通り。そのためにも、DBコミュニティーにおける臼井さんのプレゼンスはかけがえのないものですから、どうか、くれぐれもご自愛ください。蛇足ながら、プリン体対策としては、ホッピーがよろしいかと・・・





ゆくゆくの対戦時には、肯定側を取らせて頂きます。そうなると、私が1AC/1AR、深井君が2AC/2ARを担当することになります。びっくりアファをご用意しますので、どうかご期待ください。



イクトスさん>



大会出場は、人数不足のため、昨年限りではないかと心配した慶應高。今年度も地区大会に参加してくれたようで何よりです。泉下の深井君も喜んでいることでしょう。参加拡大の趣旨からも、秋の大会、それに来年の全国選手権での同校の活躍を期待したいと思います。



タイムキーパーや司会をイクトスさんにお願いするのは、もったいないです。是非、審判をお願いします。「大人のディベート」をお目にかけたいと思います。



アマサイさん>



>わたくしが獄南亭主人殿とDYに出たのは、この方のピンチヒッターであったのでしょうか。



実はその通りでございます。さりながら「申し訳ない」などとお感じ頂く必要はさらになく、おかげで出場できた訳ですから、私こそアマサイさんに御礼申し上げなければなりません。



その意味でも、記憶に残るDY大会となりました。



諸般の事情により、開催が中断している同大会ですが、復活を願ってやみません。

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Unknown (95期財務)
2009-03-18 00:12:51
深井智純で検索して引っかかりました。
ネット上では彼はまだ生きていたんです¥¥大馬鹿野郎のせいで私も相当答えましたが、故人の遺志をついでリベンジするべく、彼がついていた役職についています。
 日吉の駅をまたいで右往左往しています。日吉の駅は、一昨日工事が終わりました。地下鉄が通り、駅舎も改造され、プールの跡に新しい校舎もでき、当時の面影もどんどんなくなっていますが、やっぱり日吉は日吉です。
 忙しくて墓参りしてないのが、心残りで引っかかっているので、近々行きたいです。
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御礼 (岳南亭)
2009-04-22 06:04:32
95期財務様>

貴兄が95期財務なら、私は93期財務のはずですね。

いや、意外なお運び、本当にありがとうございます。

日吉も、さぞや様変わりしたことでしょう。折を見て、行きたいと思います。深井君との懐かしい思い出のスポットが、いまも変わらず残されていることを祈りながら。
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