(1)葵上(能)
今の怨みは ありし報い
瞋恚の焔は 身を焦がす
思ひ知らずや 思ひしれ
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行者は加持に参らんと
役の行者の跡を継ぎ
胎金両部の峯を分け
七宝の露を払ひし篠懸に
不浄を隔つる忍辱の袈裟
赤木の珠数のいらたかを
さらりさらりと押しもんで
一祈りこそ祈つたれ
如何に行者早帰り給へ
帰らで不覚し給ふなよ
たとひ如何なる悪霊なりとも
行者の法力尽くべきかと
重ねて珠数を押しもんで
東方に降三世明王
南方軍荼利夜叉
西方大威徳明王
北方金剛地夜叉明王
中央大聖地不動明王
なまくさまんだばさらだ
(2)船弁慶(能)
そもそもこれハ 桓武天皇九代乃後胤
平乃知盛 幽霊なり
あら珍しやいかに義経
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その時義経少しも騒がず
打物抜き持ち現乃人に 向ふが如く
言葉を交わし 戦ひ給へば
弁慶押し隔て打物業にて叶ふまじと
数珠さらさらと押し揉んで
東方降三世
南方軍茶利夜叉
西方大威徳
北方金剛叉明王
中央大聖
不動明王乃索にかけて
祈り祈られ悪霊次第に遠ざかれば
辨慶舟子に力を合はせ
お船を漕ぎ退け汀に寄すれば
なほ怨霊ハ慕ひ来るを
追っ拂い祈り退けまた引く汐に
ゆられ流れ また引く汐に
ゆられ流れて 跡白波とぞ なりにける
(3)船弁慶(落語)
「あ、あんた。こんなとこで何してなはんねん?」
お松さんが大きな声を出しましたんで、喜六は一瞬「ギクッ!」としましたが、そこは酒が入ったぁる、友達の手前がある「何ぃ~ッ」ド~ンと突きますといぅと、お松さん可哀想ぉに川の中へドボ~ン。
立ち上がりますといぅと、幸い川は浅瀬でございます。水は腰きりよりございません。白地の浴衣が身にピチ~ッとまといついて、髪はさんばら、顔は真っ青。上手から流れてまいりました手ごろな竹をつかむと、川の真中へすっくと立って~……、
「そもそもこれわぁ~桓武天皇九代の後胤、平の知盛幽霊なぁりぃ~、あぁ~ら珍らしや、いかに義経、思いもよらぬ浦浪のぉ~……」
「喜ぃ公、えらいことなってしもたがな」
「大丈夫、大丈夫。チョネやんちょっとシゴキ貸してんか……」
シゴキを輪ぁにしたやつを数珠の代わりにいたしますと、
「その時ぃ 喜六わぁ 少しも騒がずぅ
数珠さらさらとぉ 押しもんでぇ
東方降三世夜叉明王
南方軍茶利夜叉明王
西方大威徳夜叉明王
北方金剛夜叉明王
中央大日大聖不動明王ぉ~
「もし、えらい喧嘩だんなぁ」
「あれを喧嘩と見てやったら可哀想ぉだっせ、あら仁輪加だんなぁ。男は太鼓持ち、女ごは仲居、夫婦喧嘩と見せかけて弁慶と知盛の「祈り」やってまんねんがな。こんなもん褒めたらな、褒めるとこおまへんで。」
「さよか、それ知らんもんだっさかい……。ヨォヨォヨォ本日の秀逸。川の中の知盛はんもえぇけど、船ん中の弁慶ぇはん……、弁慶ぇ~は~んッ!」
サゲ(枝雀師):「何? 弁慶はん? 清ぇやん、今日の割り前取らんとぉいてや」
サゲ(文珍師):「何? 弁慶やと? 今日は三円の割り前じゃい」
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先に聞いたのは、文珍さんバージョン。その後に枝雀さんバージョンをきいて、ハタと気づいた。
これら2つのサゲの意味するところは:
【枝雀バージョン】「弁慶」ならば「遊びの割り勘を払わない」
【文珍バージョン】「遊びの割り勘を払っている」ならば「弁慶ではない」
ということ。
ならば「弁慶」とは「金を払わずに遊ぶこと」という意が、強く示唆される。
そうそう、サゲの「弁慶」といえば「青菜」。
青菜では「それでは義経にしておけ」となるところが、おかみさんにそこを先に言われてしまったので、苦し紛れに「弁慶にしておけ」でサゲとなるのだが、ずいぶんと長い間「そりゃ、義経に弁慶はつきものであるよなぁ」ぐらいの理解で放ってあった。
なるほど。植木屋さんがタダで飲み食いをさせてあげている以上、サゲでは、義経のお供の中であっても、駿河次郎でも、伊勢三郎でもなく、「弁慶」であらねばならないのは当然だ。
あらためて、確認しようという気になった。果たして「弁慶とは、自腹を切らず金を持っている者にたかって遊ぶ者を意味する花柳界の隠語」(Wikipedia)とあった。
かくして、積年の謎が、またひとつ解けた。