嶽南亭主人 ディベート心得帳

ディベートとブラスバンドを双璧に、とにかく道楽のことばっかり・・・

ディベート甲子園全国大会: 引退する高校生ディベーターがくれた「金メダル」

2008-08-27 03:28:00 | ディベート
さっきから、イクトス先生の様子がちょっとおかしい。

泣くのをこらえようとしているようなお顔つきである。特段に悲しいシチュエーションとも思われぬのに、解せない。

声をかけると、少々照れくさそうにしながら、新聞記事を見せてくれた。

***

読売新聞 2008年8月11日(月曜日)
 若者ひろば

社会に関心持てたディベート部活動
  高校生 ●●●●● (東京都足立区)

 ディベート部に入っていると言うと驚いた顔をされる。確かに地味な部だと思うが、これほど有意義な部活はないのではないか。

 入部してからは新聞を読むようになり、政治面にも目を通すようになった。日本には様々な問題がある。どうしたら解決できるのかを自分なりに考えて、選挙権が与えられたら、投票に行って政治に参加したいと思っている。

 今年の夏で部活を引退するが、入部のきっかけを与えてくれた顧問の先生、一緒に戦ったチームメートたちに感謝したい。

****

そういうことでしたか!! 私も、感動のおすそ分けを頂いた。

ディベートの教育的効果として、批判的思考力・コミュニケーション能力を獲得するということがある。

そのような技量を獲得することは、確かに重要だが、それが「私」の人生と「私たち」の社会を豊かにしてこそ、ナンボのもの。

しかるに、この生徒さんは、教室ディベートに取り組むことを通じ、

『社会に対する当事者意識』

を、立派に身につけてくれた。誠に、すばらしい。

そうなのだ。これは社会人を育成する方法としての教室ディベートの有効性を立証してくれる「証言」なのである。換言すれば、ディベート甲子園なる催事の社会的意義を証明してくれる「証拠資料」なのである。

この投書。こういう生徒さんを育てた、顧問のイクトス先生への「金メダル」というべきであろう。

同時に、これはNADEにとっても、年次報告書に掲載するなどして、長く記録に残すべき資料であろうと思量される。その運営の任にあたっておられる方々には、ぜひ左様にお心得頂きたいと存ずる。

ディベート甲子園全国大会: 決勝・講評(導入部)

2008-08-21 06:32:27 | ディベート
それでは、講評・判定を申し上げます。

ディベート甲子園も、今年で13回目をむかえました。今後、この催しがますます発展していくことを祈りつつ、例のセリフにも13年目となる機会を与えたいと思います。

ディベートって、「みんなの意見をつくる営み」なんだと、私は感じています。

***

今回の論題、「働くとはどういうことか」、を我々に問いかけています。

この「働く」ということに関して、日本総研の寺島実郎さんという方が、非常に示唆深いことをおっしゃっています。

いわく、人間が社会で大人であると評価されるためには二つの条件があるのだそうです。

一つは「かせぎ(稼ぎ)」、つまり技術と力量を身に付けて、経済的に自立するということです。

一人の人間の一回分の食事を一人前と呼びますが、それを「稼いでくる」人間のことをも、一人前というのは、皆さん、ご存知でしょう。

しかし経済的自立だけでは、まだ十分ではありません。もうひとつの条件があります。

そのもう一つの条件が「つとめ(務め)」です。「かせぎ」と「つとめ」の両方がそろってはじめて、社会においてひとかどの人間としてとみなされるという訳です。

ここで「つとめ」とは、なすべきことをなす、役割を果たすということを指しますが、より具体的に申せば、「社会に参加し、貢献していくこと」を意味します。

その伝統的なかたちのひとつが、例えば地域のお祭りの運営です。

お祭りは、一人ではできません。準備から祭り納めまで、仕切る人、神輿に乗る人、かつぐ人、音頭取る人、踊る人、さまざまな人が寄り合って、それぞれの役割を果たすことによって、はじめてお祭りが成立します。

このような、コミュニティのみんなに係わるがゆえに一人では解決できないこや、みんなが力を集めることによって成し遂げられるようなコトガラを、「おおやけ」の問題と呼びます。

社会のルールや仕組みを作るということ、少々硬いコトバで言えば、制度をつくるというのは、その最たるものです。

労働者派遣という制度がいかにあるべきかについては、いま、実社会でも大きくゆれています。

「人間らしい暮らし、人間の尊厳を保障せよ」と、原則禁止を主張する考えがあります。他方に、「グローバルな競争にさらされる中、これなくしては、日本経済は生き残れない」と、全面解禁をもとめる考え方があります。

この鋭い意見の対立は、いまも続いています。リサーチを進めてきた選手諸君は、この点、私などよりもよく学習なさったことと思います。労働者派遣という法制度がどうなっていくか、全く予断を許さないのが実情です。

このがっぷり四つがどのような決着をみるのか、そのカギを握るのが世論、ひらたく申せば「みんなの意見」です。

みんなの意見として、どのような制度を望ましいと思うか、どのような社会が望ましいと考えるのか、

それが見えざる推進力となって、各種の政治行政の意思決定プロセスを経て、制度が作り出されていきます。

***

私たちが取り組んでいる教室ディベートは、「公の議論」のための力量と文化を育んでんでいこうという営みです。

今日、多くの皆さんの理解と支援とを得て開催されているこの大会は、本年度の教室ディベート日本一を決める大会であることは確かです。

しかし同時に、議論に取り組む選手の皆さん、そしてご覧になっている皆さんとの共同作業によって、期せずして今日ただ今、私たちは、

こんな事実もあったのか、

そんな見方や考え方があるのか

と気付くことを通じて、みんなの意見というタペストリーを織り上げていくプロセスに参加している、少々大げさに申せば、

【世論形成の瞬間に立ち会っている】

ということも、また確かに言えるのです。

そしてまた、

世論の担い手としての自覚を新たにしつつ、ディベートを通じて肯定・否定、複
眼的にものごとの本質を考え、議論の中で自分の意見を柔軟に見直していく。

それを通じて、「あらまほしき未来の社会の姿を、みんなでデザインしていく」

ということは、選手諸君に限らず、我々みんなの「つとめ」でもあるのです、

と、まずもって申し上げておきたいと思います。


それでは、試合における議論の評価に入ります。

(以下、割愛)

言い訳~全国大会 中学準々決勝

2008-08-10 23:19:16 | ディベート
「先生に叱られてたよ」と、支部長のご子息に指摘された・・・・

***

うん。講評にちょっと熱がこもって、そうなっちゃったかもしれない。言い方、ちょっときつく見えたかもしれない。反省してる。

でもね。

たしかに叱っていたかもしれないけど、決して怒ってはいなかったんだよ。

「コミュニケーション・スキル」っていうのは、ディベートの試合の中の、単なる議論の一つという訳ではなくて、そのスキルが身について、実践できるようになれば、お互い、もうちょっと生きていきやすくなるかもしれないね、って思っていたんだよ。

携帯から送られた「おまえは、40人41脚の邪魔になる」っていう心無い言葉が、生徒さんを自殺に追い込んだ事実があるとしても、それは携帯のせいだったのか、そうでないのか。

いや、そもそも、どうしたらそういう悲劇が回避できた(かもしれない)のか。

ぼくらは、それをいっしょうけんめい考えながら、皆さんのスピーチを聞いていた、っていうことを、伝えたかっただけなんだよ。

どう? ディベート、やってみない? 僕には、君に伝えたいことがいっぱいあるんだ。

関東大会雑感: 結び

2008-08-08 03:32:21 | ディベート
一連の投稿におつきあい頂き、厚く感謝申し上げる

くどくどと申し述べてきた分、まとめはシンプルに申し上げる。

●ネット資料は玉石混交。石を見抜く目を持つべし。
●基本はウラとり。ウラなしで発言するリスクに思いを致すべし。
●出典を省略すべからず。
●権威によりかかった論証は、実はあぶない。新聞記事をも疑ってかかるべし。
●説明に筋が通るかどうかがキモ。換言すれば、自分で自分を納得させられるかがポイント。

気がつけば、今週末は全国大会だ。

全国大会に臨まれる諸君には、全力投球を期待したい。

では、「ディベートの聖地」、東洋大学にて、お待ち申し上げる。


関東大会雑感: これまで引用したネット資料を論評してみる

2008-08-04 23:58:50 | ディベート
それでは、正解に照らして、これまで引用した各種のネット資料にダメ出しをしてみることとする。

●資料1 はてなダイアリー

1963年11月9日21時40分頃、東海道本線鶴見-新子安間で発生した鉄道事故。脱線して停車していた貨物列車に横須賀線下り電車が衝突、脱線し、上り線をふさぐ形で停車。その電車に更に横須賀線上り電車が衝突したという二重衝突事故。死者161人。

【論評】
・事故発生時刻を、なぜ「21時40分頃」としてあるのか、理由は判然としない。
・脱線して停車していた貨物列車に衝突したのは「横須賀線上り電車」の誤り。
・「上り線をふさぐ形で停車」などしていない。
・「更に横須賀線上り電車が衝突」した訳ではない。
・たった数行の記述なのに、これだけの間違いがあるのでは、資料としては「石」と断じて構わない。

●資料2  特集-鉄道事故と安全への取り組みの歴史(個人HP)

鶴見三重衝突事故: 昭和38年(1963年)11月9日21時51分、東海道本線(3複線で現在は横須賀線となっている線路)鶴見~新子安を走行していた下り第2365貨物列車(45輌 換算不明・牽引EF15)の43輌目のワラ501(ワラ1形式・2軸車)が進行方向左側に脱線し、続く2輌も脱線して旅客線(東海道本線、当時は横須賀線の列車もここを走行)に支障したまま引きずられ架線柱に衝突した。直後この旅客線に上り第2000S列車(横須賀線70系電車 12輌)がやってきて脱線貨車と衝突。同時期に下り第2113S列車(横須賀線70系電車12輌)が架線異常を察知し、非常制動をかけながらやってきた。上り電車の1輌目は貨車と衝突後下り電車の4輌目と5輌目に衝突して上り電車の2・3輌目も貨物線側に脱線し、死者162人負傷者120人を出す大惨事となった。

【論評】
・「同時期に」とあるが、下り電車が事故現場に到着・停車するのは、明らかに、上り電車と脱線貨車との衝突の「前」。この辺の時間的な前後関係の説明には、もう少し明瞭さが欲しい。
・死者162人とあるが、その根拠は不明。
・とはいえ、細部の記述の緻密さなど、なかなか詳細な資料である。上記のポイントは、まさしく「玉にキズ」。惜しい。

●資料3  鶴見歴史の会 副会長、 横浜市鶴見区HP、「鶴見歴史の会」が語る鶴見の歴史(第10回) 大本山總持寺境内にある鉄道事故関係慰霊碑等について

鶴見事故とは、昭和38年(1963年)11月9日午後9時40分、国鉄(現・JR)東海道線新子安・鶴見間の滝坂不動踏切から、鶴見寄り約500m地点で、脱線転覆した下り貨物列車に衝突した上り横須賀線電車が脱線し、さらにさしかかった横須賀線下り電車が衝突した三重衝突事故である。この事故により死者161名、重軽傷者119名の犠牲者を出す大惨事が起きた。

【論評】
・重軽傷者は、国鉄の記録より1名少ない119名となっているが、理由は不明。
・「さらにさしかかった横須賀線下り電車が衝突した」のではなく、正確には「さらに【既にさしかかっていた】横須賀線下り電車【に】衝突した」。「が」と「に」が変わるだけで、意味は正反対に入れ替わるのが怖いところ。
・文責を明らかにしておられる点に誠実さを感じる資料ではあるが、「が」と「に」の取り違えは、やはり問題である。

●資料4 事件史探求HP

昭和38年11月9日午後9時40分頃、東海道線の鶴見駅と新子安駅の間で国鉄(現在JR)の下り貨物列車が脱線転覆した。そこへ、上りの横須賀線の電車が貨物列車に衝突脱線した。さらに下りの横須賀線の電車が衝突し付近は騒然となった。この3重衝突で死者161人、重軽傷者119人の犠牲者を出す大惨事となった。

【論評】
・事故発生時刻が、午後9時40分となっている理由は不明。
・重軽傷者は、国鉄の記録より1名少ない119名となっている理由も不明。
・資料3と同様に、「下りの横須賀線の電車が衝突し」ではなく、「下りの横須賀線に衝突し」が正しい。
・このHP、主人もちょいちょい参照させて頂く、戦後の主要事件や事故を網羅する、よくできたデータベースである。他所でも、引用されたりもしている。それだけに、特に上記3点目の記述のキズが惜しまれる。

●資料5 国鉄鶴見事故&幕末の生麦事件―ワイワイマップ Yahoo地図 国鉄鶴見事故&幕末の生麦事件

昭和38年11月9日午後9時40分頃、東海道線の鶴見駅と新子安駅の間で国鉄(現在JR)の下り貨物列車が脱線転覆した。そこへ、上りの横須賀線の電車が貨物列車に衝突脱線した。さらに下りの横須賀線の電車が衝突し付近は騒然となった。この3重衝突で死者161人、重軽傷者119人の犠牲者を出す大惨事となった。

【論評】
・これはヒドイ。資料4と一言半句たがわない。明らかにコピペの産物である。
・引用元が示すのは、遡って検証することもできるようにするという目的があってのことだ。そうしていないのは、悪意の産物でなければ、著者のナイーブさのなせる業であろう。
・かくして、原資料の誤りまでもが複製、再生産されて、ネット上にさらに流布していく。ディベーター諸君。ネット資料におけるこの恐ろしさを十分に承知されたし

●資料6  西日本新聞HP  今月の災害・事故  -  東海道線で二重衝突、死者 161人(鶴見事故)1963/11/09

横浜市鶴見区の鶴見駅近くで、貨物列車の最後部が脱線、その貨車に下り横須賀線電車が衝突、脱線した。さらにちょうどすれ違い中の上り電車が線路にはみ出た下り電車に衝突した。この二重衝突で161人が死亡、120人が重軽傷を負った。取材記者によると、現場の状況は上り線に乗り出して横倒しとなった下り電車の中で倒れてもがく乗客がいっぱいにつまったその車両に、上り電車が突っ込んできた。ごう音と悲鳴、電車の屋根、側面がコナみじんに吹っ飛び、人間が車両の下にのまれ、数多くの生命が、救いを待ちながら消えていったものと考えられた。

【論評】
・この資料は、別の意味でヒドイ。資料1と同様に、下り電車と上り電車を完全に取り違えている。
・さらに罪深いのは、「取材記者によると」以降の記述。鶴見事故では、このようなことはありえない。上り電車の先頭車両に横から突っ込まれるまでは、下り電車は無傷であり、「上り線に乗り出して横倒しとなった下り電車」などはない。この段、完全に著者による「作文」になってしまっている。
・実は、脱線貨車への下り電車の衝突、上り線への横転、そこへと上り電車が突っ込んでくるという事態の展開は、鶴見事故のものではなく、その先年の三河島事故、そのものである。この記事の著者は、確かに「取材記者」に話を聞いたのかもしれない。しかしながら、取材記者が記憶を取り違えた、もしくは記事の著者が思い違いを起こしたかによって、不正確極まりない記事が出来した。「伝聞でございます」という言い訳を担保するためか、文末が「と考えられた」などという語尾も妙だし、微妙な責任回避がこすっからい。
・ここに重要な教訓がある。権威がありそうな出典でも、内容においていい加減なものもあったりするという例として、ディベーター諸君に置いては、記憶に留められたい。ついでに申さば、新聞記事は、常に疑ってかかるくらいの方が身のためである。

●資料7 昭和毎日 国鉄鶴見事故 1963年11月09日 毎日.jp

午後9時50分ごろ、横浜市の東海道線鶴見駅と新子安駅間で、下り貨物列車の後 部3両が脱線、隣の横須賀線路上にはみだした。そこに東京行き上り電車が突っ込み脱線、1両目がさらに隣の下り線を徐行していた逗子行き下り電車の4、5両目に激突して乗り上げた。この二重衝突で死者161人、重軽傷者120人を出した。

【論評】
・こちらの資料は、ほぼ正しい。強いて申さば、「隣の下り線を徐行していた」が「徐行、【停止】していた」であればなおよかったのであるが、全般に記述は妥当である。

さて、最後に我らがウィキペディアの記事も確認しておこうか。

●(おまけ) ウィキペディア

鶴見事故(つるみじこ)は、1963年(昭和38年)11月9日午後9時40分頃に日本国有鉄道(国鉄)東海道本線鶴見駅~新子安駅間の滝坂不動踏切(神奈川県横浜市鶴見区)付近で発生した列車脱線多重衝突事故である。

概要

事故地点における貨物線(現在の横須賀線線路)走行中の下り貨物列車(EF15形牽引、45両編成)後部3両目のワラ1形2軸貨車(ワラ501)が突然脱線。引きずられて架線柱に衝突した後に編成から外れ、隣の東海道本線上り線を支障。そこへ東海道本線線路を走行中の横須賀線の上り2000S・下り2113S電車列車(それぞれ12両編成)がほぼ同時に進入した。

時速90km前後という高速のまま進入した上り列車は貨車と衝突。先頭車は下り線方向に弾き出され、架線の異常を発見して減速、停車していた下り列車の4両目を側面から串刺しにした後、後続車両に押されて横向きになりながら5両目までの車体を削り取る形になり、やっと停止した。その下り列車4・5両目のモハ70079とクモハ50006は車端部を残して全く原形を留めないほどに粉砕され、5両目に乗り上げた形で停止した上り列車先頭車のクハ76039も大破。上下列車合わせて死者161名、重軽傷者120名を出す大惨事になった。

【論評】
・最後の段落の記述の細やかさは「秀逸」であるが、事故の発生時刻が「9時40分頃」としている点の根拠は不明であり、また再三述べたように「ほぼ同時に進入した」というのでは不正確の恨みが残り、下り電車の方が先に到着して、上り電車を待ち受ける形になったというのは明らかであるので、せめて「下り電車、上り電車が相次いで進入した」というような記述にしておくほうが妥当であろう。
・鶴見事故に関しては、ウィキペディアの記述は、他のネット資料に比較すれば、かなりマシな部類には入るが、上記の不安定さが残る分、まともな論文を書く際、あるいはディベートの証拠資料とする際には、他の資料、例えば国鉄百年史の該当部分を参照しておくのが無難であろう、とやはり思う。

さて、この連載、いよいよ次回、結論を申し上げたい。

関東大会雑感: 解決編、あるいは納得のいく資料にたどりつくために(後編)

2008-08-02 05:39:23 | ディベート
前編からの続きである。

【方法3】 客観情報と合理的推論で、納得できる結論を導出してみる。

ここで使用した情報は、事故現場のヘリコプター写真と、少しの鉄道関連の基礎知識である。

この写真は、朝日新聞S38年11月11日の夕刊からの引用である。

1.写真を見ると、上から3本目と4本目の線路で、2本の旅客列車が事故を起こしているのがわかる。車両の塗装から、両方とも横須賀線であることがわかる。その上方、少々見づらいが、上から2本目の線路に、最初に脱線事故を起こしたとされる貨物列車の残骸が見える。

2.事故現場の鶴見・新子安間は、以下のように、8本の線路が並存する区間である。

 ======貨物線上り
 ======貨物線下り
 ======横須賀線・東海道線上り※
 ======横須賀線・東海道線下り※
 ======京浜東北線・上り
 ======京浜東北線・下り
 ======京浜急行・上り
 ======京浜急行・下り

 (※当時、横須賀線は東海道線の線路との共用で運行されていた)

国鉄の貨物線が京浜急行の線路を通行することはありえない(線路の幅も違う)。また、先述の車両の塗装からも、事故車両は横須賀線の列車である。よって、この写真は、事故現場を東南から北西方向に向けて撮影したものであることがわかる。写真上の線路は、上の図の通りの並びに従うことになる。

3.日本の鉄道は、左側通行である。ということは、上から3本目の線路上の列車は横須賀線上り列車、同じく4本目の線路上の列車は、横須賀線下り列車であるということが明らかになる。

4.ここで写真をさらによく見てみる。車両の衝突の様態は非常に特徴的であって、上り列車が下り列車に乗り上げて、横から串刺しにする形を呈している。ということは、「下り列車が、上り列車に対して衝突した」という可能性は、完全に排除できる。このような形になるのは、上り列車が下り列車に突っ込む時しかありえない。

5.どうやったら、隣の線路にある下り列車を、上り列車は横から串刺しにできたのか。

簡単な話である。上り列車の線路上に何らかの支障物があったからだ。高速で進行してきた列車が線路上の大きな支障物に衝突すると、先頭車両は進行方向に対して横を向いてしまう。(現に、三河島事故でも、大破した上り旅客列車の1両目の残骸は、横向きだ)。鶴見事故でも、そうなった。そして誠に不運なことに、上り列車の先頭車両は、北側の貨物線に対してではなく、南側の下り旅客列車へと横から突っ込んでしまったのである。

 まとめよう。以上の推論の結果、

 「上り旅客列車が、下り旅客列車に(横から)衝突した」

 という事実が言える。

 鶴見の三重事故を発生順にならべれば、

 第1の事故: 下り貨物列車の後部3両が「競合脱線」。隣の横須賀線上り線の線路を支障。
 第2の事故: 上り旅客列車が、脱線した貨物列車に衝突。前3両が脱線。
 第3の事故: 脱線した上り旅客列車(の先頭車両)が、隣の線路の下り旅客列車(の4両目)に衝突(4両目後部から5両目が大破)。

という次第になる。

問題が解決したところで、この事実関係に照らして、これまでに出てきた各種のネット「資料」を評価してみよう。

関東大会雑感: 解決編、あるいは納得のいく資料にたどりつくために(前編)

2008-08-02 05:26:37 | ディベート
関東大会の講評では、あえてお示ししなかった正解、「鶴見事故の概要」は、このようなものになる。

第1の事故: 下り貨物列車の後部3両が「競合脱線」。隣の横須賀線上り線の線路を支障。
第2の事故: 上り旅客列車が、脱線した貨物列車に衝突。前3両が脱線。
第3の事故: 脱線した上り旅客列車(の先頭車両)が、隣の線路にいた下り旅客列車(の4両目)に、横から衝突。

「で、お前はどうして、そのように断定できたのか?」

との声が聞こえてくる。

このたび、私は、事故発生の概要を調査・確認するために、以下に示す方法を取った。

【方法1】信頼できる資料でウラを取る

事実確認の基本は裏をとることである。

とはいえ、ネット資料を裏づけようとするとき、出自の不確かな資料や怪しげな資料をいくらそろえても、不安が残る。コピペ全盛の昨今、著者が安易に不確か/怪しげな資料を参照・引用(それも出典を明示せずに!)してしまっているかもしれない。

ならば、ネットで公開されている資料であるならば、別途、信用するに足ると思われる要素が欲しい。

今回見た限りでは、以下の資料が、ネットで公開されているなかでは、最も優れている。

その資料は、神奈川県のHP、公文書館だよりのコーナーで、歴史的資料として公開されていたものだ。

●公文書館だより 第16号 神奈川県HP
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所蔵資料紹介 歴史的公文書「昭和38争 防災関係綴(鶴見列車事故)」(30-4-3-801)

今回ご紹介するのは昭和38年(1963)に発生した鶴見事故に関する公文書です。

鶴見事故は昭和38年11月9日の午後9時50分頃、横浜市鶴見区生麦町の国鉄(当時)横須賀線で発生した列車事故で、死者161名、重軽傷者79名という大惨事でした。

事故の詳細は、最初に貨物列車の後尾貨車3両が脱線し、隣の東海道線軌道上に転覆します。同じ時刻に横須賀線下り列車が貨物列車の事故を確認し事故附近に停車します。しかし、1分後に横須賀線上り列車が貨車に衝突し、さらに停車していた下り列車にも乗り上げたことで被害が拡大しました。

鶴見事故は三河島事故や桜木町事故などとならんで、戦後の大規模な国鉄の電車事故の一つに数えられています。

本資料は、県企画調査部防災消防課や県警から国へ提出された事故報告書が中心となります。また、事故発生時に被害者の救出・遺体の搬送に尽力した地元自治会・消防団への表彰に関する文書や、事故現場の写真なども含まれています。
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これで一安心。しかしながら、出自が明らかな出典であっても、内容が間違えていることも、ままある。前回の新聞社HPの例が好例である。そもそも新聞には誤報がつきものであるし、官庁では新聞記事が出ると、その記事の「本当のところ」を解説するメモが、すぐに作成され、内部に供覧されたりもする。

裏づけ1枚では心配である。さて、どうしようか。

【方法2】 当事者による情報・記録にあたってみる。

私は、ここでいったんウェブを離れ、図書館で、以下の資料を確認した。

●日本国有鉄道百年史 第13巻 昭和49年2月28日 日本国有鉄道・編 p.548
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鶴見事故と競合脱線事故

(昭和)38年11月9日21時51分、東海道本線鶴見・新子安間を貨第2365列車が時速60キロメートルで力行運転中、前から43両目貨車(ワラ501、ビール麦積み)が進行左側に脱線し、続く44・45両目も脱線し、43両目の貨車は旅客上り本線を支障し、電車線電柱を傾斜させた。

おりから旅客下り本線を時速90キロメートルで進行中の第2113S電車の電車運転士が、架線の異常動揺を感知して急停止した。

このさい、旅客上り本線を運転してきた第2000S電車が脱線貨車に衝突して電車3両が脱線した。

この前頭車1両が第2113S電車の前から4・5両目に衝撃して、これを大破した。
このため、両電車の乗客160人、職員1人が死亡し、旅客119人、職員1人が負傷した。
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 国鉄の正史の記述は、事故当事者の公式の記録であるので、その信憑性に問題は、まずない。

 これで信頼できる筋からの情報の裏づけが複数与えられた形には、なった。ここで、捜索を打ち切ることもできる。

 ここで、敬愛する島谷泰彦さんから教えて頂いた教訓に「自伝信ずべからず、他伝信ずべからず」という金言が思い出される。
 
 評伝を読む際には、その人物を美化しようという動機や 言い訳を考え出して正当化を図ろうとする意図、さらには都合の悪いことは書かないで置こうという策略が入りやすいので、伝記を味わう際には、十分に注意すべきであるという警句である。

 その教えに習い、今回は、客観的な情報と背景知識をもとに、合理的な説明が成立するかどうか、念のため、さらにチェックを行ってみることにした。

(長くなるので、残りは後編で)

関東大会雑感: 資料の出所が確かだったとしても・・・

2008-08-01 21:37:21 | ディベート
「素性がはっきりしない資料は、ちょっと・・・・」

とお感じの方もおられよう。

ごもっとも。

では、出自のはっきりしている資料をお目にかける。

以下、新聞社が運営するHPで提供されている情報(またしても、両方とも、WEBから入手できる情報です)させて頂こう。

○資料6 昭和毎日 国鉄鶴見事故 1963年11月09日 毎日.jp

午後9時50分ごろ、横浜市の東海道線鶴見駅と新子安駅間で、下り貨物列車の
後部3両が脱線、隣の横須賀線路上にはみだした。そこに東京行き上り電車が突
っ込み脱線、1両目がさらに隣の下り線を徐行していた逗子行き下り電車の4、
5両目に激突して乗り上げた。この二重衝突で死者161人、重軽傷者120人を出した。

○資料7 西日本新聞HP  今月の災害・事故 - 東海道線で二重衝突、死者161人(鶴見事故)1963/11/09

横浜市鶴見区の鶴見駅近くで、貨物列車の最後部が脱線、その貨車に下り横須賀線電車が衝突、脱線した。さらにちょうどすれ違い中の上り電車が線路にはみ出た下り電車に衝突した。この二重衝突で161人が死亡、120人が重軽傷を負った。取材記者によると、現場の状況は上り線に乗り出して横倒しとなった下り電車の中で倒れてもがく乗客がいっぱいにつまったその車両に、上り電車が突っ込んできた。ごう音と悲鳴、電車の屋根、側面がコナみじんに吹っ飛び、人間が車両の下にのまれ、数多くの生命が、救いを待ちながら消えていったものと考えられた。

***

・・・ちなみに、この2つの資料のうち一方に、明らかな間違いがある。

ここで、皆さんに、同じ質問を重ねて問う。

 「鶴見事故って、どんな事故?」

第1の事故:貨物列車が起こした脱線事故
第2の事故:
第3の事故:

***

正解の説明は、いよいよ次回!