嶽南亭主人 ディベート心得帳

ディベートとブラスバンドを双璧に、とにかく道楽のことばっかり・・・

DB甲子園回顧(3):講評「全般的なコメントを2つ」

2006-08-27 23:58:09 | ディベート
それでは、今回の決勝戦の試合をみて、気づいたことを2点申し上げます。

1点目は、スピーチのスピードの問題です。

今回のスピーチ、肯定側、否定側とも、立て板に水ともいえる流暢なスピーチでしたが、聞き取ることは十分に可能でした。

その一方で、内容を書き取るという意味では、少々腕が疲れた、というのも正直なところです。

限られた時間の中、できるだけ多くの情報を伝えようという気持ちが起きるのは、理解できます。

しかし、ディベートは、あくまでスピーチコミュニケーションなのですから、聞き手に聞き取らせるのが基本です。

大切な点、特に伝えたい点で、スピードを落としたり、内容を繰り返すといった方法を実践している方は多いと思います。

それに加えて、皆さんに留意、工夫してほしいのは、「間の取り方」です。

どうしても伝えたい点の後にほんの少しだけでもポーズをおけば、聞き手はだいぶ助かります。書き取る手も、追いつけます。

逆に、適切な「間」のないスピーチは、句読点のない文章のようなもので、一般にとても聞きづらいものになります。

昔から「間をうまくとれないこと」、「間がぬけていること」をさして、

間抜け

と呼びます。いわずと知れた蔑みの表現です。

さらに、聞き手の年齢によっても、音声の聞き取りに差が出てくるということも、忘れてはなりません。

例えば、ある種の音は、20代の人までしか聞き取ることができないということが知られています。いま、笑った人は、きっと、今週号のスピリッツの気まぐれコンセプトをお読みになった方だと思いますが。

また、若手のお笑い芸人のトークでも、お年寄りには聞き取ることが難しいということも事実です。エンタの神様という番組で、画面の下にサブタイトルが出ているというのは、故なきことではないのです。

「ジャッジにさえ、聞き取ってもらえばよい」というのは、よろしくない考え方です。そのようなお考えをお持ちになれば、いつかどこかで、きっとしっぺ返しをくらうことでしょう。

そもそもジャッジは、聴衆の代表に過ぎません。そうであれば、ディベーターは、ジャッジに向かって語りかけるのみならず、会場全体を見回し、聴衆すべてを納得させるつもりでスピーチをして欲しいと思います。

 2点目は・・・・

DB甲子園回顧(2):講評「ディベートって・・」

2006-08-11 05:05:47 | ディベート
こんにちは。これから、高校の部の決勝の講評・判定を申し上げます。

●高校の部の決勝の講評は、恒例により、

「ディベートって・・・」

という台詞で始まるのが期待されているということは、よく承知しています。

しかし私は、松本茂先生のように、ディベートって「ドラマ」とか、「愛」とか、「脳と手を鍛える」とか、「女性を輝かせる」とか、気の利いた台詞を言うことはとてもできません。できれば、勘弁してほしいところです。

でも、「おまえのせいで、伝統が途絶えた」と言われるのは癪ですので、意を決して言うことにしました。


ディベートって・・・


・・・プログラムの10ページ目に、書いておきました。お手元のプログラムをご確認ください。本文は後でお目通しくだされば結構です。


ディベートって「未来を選択する訓練」なのだと、私は思います。



●まずこの試合の講評に入る前に、道州制についてディベートを行うことの意義を確認しておきましょう。

平成18年度2月28日 第28次地方制度調査会「道州制のあり方に関する答申」は、このように結ばれています。引用します。

引用)本答申を基礎として、今後、国民的な論議が幅広く行われることを期待する(引用終了

国民みんなで議論をしてほしいと、ただ言われても、困ります。「国民的な論議」を行うには、具体的な「場」が必要です。

皆さん、お気づきの通り、ディベート甲子園で道州制についてディベートを行い、そのディベートを見て、みんなで意見や感想をあれこれと語り合うことは、「国民的な論議」を具体的に実践すること、そのものなのです。地方制度調査会は、以って瞑すべしだと思います。


●道州制ディベートは、日本の中央・地方関係、あるいは「国のかたち」はいかにあるべきか、を考えることを意味します。そもそも、国の中央・地方関係を根本から造り変えようという道州制は、明治の廃藩置県に匹敵する大改革なのです。

行政体制、さらには政治体制を大掛かりに変革しようと思うと、うっかりすると「力くらべ」になってしまいます。暴力的で急激な体制変更を、政治学では「革命」と称します。

この決勝戦、奇しくも会津高校が舞台にのぼりました。明治維新の折、鳥羽伏見の戦いから函館戦争まで、その中に会津の攻防戦があるわけですが、日本人同士による戦い、つまり内戦を経験しました。その悲しい事実を、我々は忘れてはいけません。

体制変更を物理的な力比べによってではなく、「言葉の力」で行う、すなわち議論によるものに変えていくことに、社会の進歩があります。あるいは人類の進歩だと言ってもよいくらいです。

ディベートに実際に取り組むこと、あるいはディベートを見ることにより、「議論を通じて将来を考え、議論を通じて将来のシナリオを選択していく」こと。ここに、ディベートの社会的意義があります。

これから有権者になる皆さんは、ディベートで議論を行ったり、議論を評価できる力量を養うことで、より良い有権者になっていくことでしょう。少なくとも、今回の論題に取り組んだ皆さんは、こと道州制については、社会の先生より詳しいということは、私が保証します。

また、すでに有権者である大人についても、よりよい議論の実践を通じて、「少しでもマシな将来」を、あるいは将来は今よりもよくなるという確信を、今投票権を有していない世代、さらにはいままだ生まれてもいない将来の世代に残していくことが、いま現に投票権を持っている我々のつとめなのだと思います。


次に、試合全体の講評として、2点、お話します。

伝説の誕生: DB甲子園回顧(1)

2006-08-10 01:19:33 | ディベート
第11回ディベート甲子園が終わった。

とりわけ高校決勝は、その名に相応しい名勝負だった。試合終了後の拍手が、何よりもそれを裏付けよう。伝説の試合として、後世に語り継がれていく予感がする。


この試合のすばらしい点として、とりわけ肯定側および否定側の第二反駁のスピーチの流暢さ・巧みさを指摘する人は多かろう。しかし、それはやや皮相に留まる見解であろう。

1.この試合で見過ごせないのは、立論から質疑を経ての第一反駁までの流れ、そしてそれが第二反駁によって収束を与えられて形づくられた「立論と反論の総体」が、道州制の本質にまで深く到達している点である。

2.さらに、それが「出場者全員のチームプレー」によって展開されているという点である。

3.さらにさらに、これが肯定側、否定側の両方ともにあてはまるのである。

私は深い感動を覚える。


この試合を見ながら、平成10年の夏の甲子園の準々決勝、

怪物・松坂大輔を擁する横浜高校 
vs
直前の春のセンバツの借りを返そうと燃えるPL学園


との延長17回の死闘(横浜○9-7●PL学園)

を、何となく思い出していた。


誤解のないように申し添えておくが、すでに述べたように、会津高校はチーム全体の力が飛びぬけていたのであり、松坂の力がひとり飛びぬけていた横浜高校とは異なる。

が、あえて言えば・・・

「会津高校には松坂が二人いた

といったところだろうか。そりゃ、強いわけだ。

***

これから、講評・判定理由を再現しながら、この試合を振り返ることにする。

なお、これは、当日の発言の忠実な再現ではない。手元の準備メモとフローシートを頼りに再現を行いつつ、当日は時間制約や結論を最後までひっぱらざるをえなかったことから言及できなかったコメントを織り交ぜながら書いていく。

その点、あらかじめご承知置き下されたく。

「甲子園」本日開幕!

2006-08-05 03:47:54 | ディベート
・・・といっても、これは「ディベート甲子園」=全国中学・高校ディベート選手権の話。

この週末は、これの審査員と試合解説者の掛け持ちで、かかりっきりになります。

今年の高校論題は、道州制導入の是非。←これだけでも、ワクワクしてきます。また、年1回、このときに集う全国の仲間に会えるのが、さらに楽しみ。

では、東洋大学に出撃して参ります。