嶽南亭主人 ディベート心得帳

ディベートとブラスバンドを双璧に、とにかく道楽のことばっかり・・・

否定側の守護神、ついに登場

2007-06-28 03:24:36 | ディベート
過日、名古屋の中級セミナーに出向く前、手に取った朝刊。ある書評が、とりわけ目を引いた。

W.リップマンの「The Phantom Public」(1925)の邦訳が、ついに出たという。

18歳選挙権・被選挙権論題。彼こそは、この論題における「否定側の守護神」である。「無責任な投票」といったようなデメリットを思いついたものの、行き詰まってしまった諸君。彼の言説に、じっくりと耳を傾けるが良い。

●リップマンは「完璧な市民」という古典的な民主主義の理想をまず手放すべきだという。つまり、市民がよく関心をもち、よく新聞を読み、よく議論すれば、公的な諸問題を十分に処理できるという市民参加モデルの否定である。確かに政治参加は望ましい理想だが、市民が公的問題に割ける時間は乏しく、議論に必要な知識を得ることは不可能だ。そのため市民の参加は二者択一に単純化され、結果への失望だけが増幅される。この政治不信から人々の目を前方に逸らすため、教育がいつも切り札とされた。だが不満を生まなかった教育改革など存在しない。とすれば、市民参加の目標をより現実的な水準に切り下げるべきである。

・・・という主張を展開するリップマンが、18歳に選挙権のみならず被選挙権を付与するなどということを聞いたら、おそらく昏倒してしまうであろう。

「生活を良くすることは個人の私的な労働による。輿論や大衆の行動によってなされることに、私は重きを置かない」とリップマン。

 この論題、おそらく肯定側の重要性の議論は、建前の議論のオンパレードになる。建前であるが故に、一見反論するのに躊躇してしまうかもしれない。

 しかし現実は、リップマンの考察する通り、おそらく「そうとは言えない」ことの方が多かろう。

 徹底した現実主義者であり、卓越したジャーナリストであるリップマンの視点を借りて、いま一度、否定側の議論をたたき直してみてはいかがであろうか。

短調によせる「こころ」

2007-06-19 20:50:09 | ブラスバンド
読売新聞 2007年6月12日夕刊 山折哲雄の宗教つれづれ 

に気になる一節があった。長文になるが、引用する。

「『おしん』という朝のテレビ番組がお茶の間の人気をさらったのが、昭和58年から翌年にかけてだった。24年前のことになる。時代は明治、奉公に出された少女おしんが苦難に耐えながら生き抜く姿を描いて、視聴者の涙をさそったのである。
「驚くべきことに最高視聴率が60パーセントをこえ、さらにアジアを中心に放映されて話題を呼び、「おしん」ブームが世界中に広がる勢いをみせた。
「あの現象はいったい何だったのか。今からふり返れば、おしんの子守姿が目に焼きついている。差別と貧しさにあえぐ子守への同情と共感に多くの人々が胸をしめつけられたのである。アジアの各地で大きな反響を呼んだのも、それらの発展途上国に子守文化が深く根づいていたからだった。

「それから間もないころのことだ。ふと思い立って、当時の学校や家庭でどんな子守唄が唄われているのか調べたことがある。(略)それを一つずつ点検していくうちに意外な事実が明らかになった。それらの音楽教材に、日本の伝統的な子守唄がほとんど含まれていなかったからだ。学校や家庭では、哀調を帯びた五木の子守唄や中国地方の子守唄がいつのまにかうたわれなくなっていたのである

 「時代は明らかに、短調の旋律をおき去りにしたまま経済発展の道を追い求めていたのである。

 「さきに私は、幼児用、低学年用の音楽教材から子守唄が姿を消してしまったといったけれども、正確にいうとかならずしもそうではない。なぜならそのなかにはシューベルトやブラームスの子守唄はちゃんと収められていたからである。それらはすでに明治時代の尋常小学校唱歌集などに登場していた。また歌詞をみればわかるが、そこには西欧中産階級の幸福な家庭と優しい母の姿が描き出されている。
 「五木の子守唄や中国地方の子守唄とは雲泥の差といっていいだろう。そこでうたわれている小さな主人公たちは、いずれも貧困と差別と人生苦にあえぐ、「おしん」のような子守娘たちだった。そしてそんな暗い時代の記憶を否定し、のり越えるためにこそ、われわれの近代はあったのである。」

 そうして、山折氏は結ぶ。

 「だが、どうだろう。もしもそのために、わが国の子守唄が担ってきたはずの悲哀のメロディーを手放し、人の悲しみに共感し涙するこころまでが枯れはててしまったとしたらどういうことになるか。われわれはもっとと大切なこころの遺産までを失うことになるのではないだろうか。」

***

 高校の頃の現代国語といえば、誠に退屈で、しかも試験では「教科書ガイド」なる参考書の問題がそのまま出題されたりしたものだから、面白いとおもった記憶がほとんどない。

が、ありがたいことに、教科書の教材そのものはどれも面白かった。レモンを本屋に置き去りにしてくるという悪戯も、率先してやった。

山折氏の慨嘆に接し、頭に思い浮かんだのは、高校3年の現代国語の教科書にあった「清光館哀史」(柳田國男) の、この一節だ。

「忘れても忘れきれない常の日のさまざまの実験、遣瀬無い生存の痛苦、どんなに働いてもなほ迫つて来る災厄、如何に愛しても忽ち催す別離、斯ういふ数限りも無い明朝の不安があればこそ

   はアどしよそいな

と謂つて見ても、

   あア何でもせい

と歌つて見ても、依然として踊の歌の調は悲しいのであつた

(略)

痛みがあればこそバルサムは世に存在する。だからあの清光館のおとなしい細君なども、色々として我々が尋ねて見たけれども、黙つて笑ふばかりでどうしても此歌を教へてはくれなかつたのだ。通りすがりの一夜の旅の者には、仮令話して聴かせても此心持は解らぬといふことを、知つて居たのでは無いまでも感じて居たのである。」

この「心持」を分かち合えるかどうか。「解らぬ」までも察することができるかどうか。子守唄や九戸・小子内の盆のをどり歌によせられた、そのようなこころを持てるかどうか。それは、日本の文化・伝統に想いをいたす時、美しい国の復権に力を込めるのもよいけれども、それよりももっと基本的なことであるように思う。

そう思いながら、今日は、A.ハチャトリアンの仮面舞踏会「ワルツ」を聴いている。もちろん短調である。

シラバス2: 6/24東海支部セミナー

2007-06-14 01:28:22 | ディベート
先の「関東入門セミナー」のこと。

2003年であったと思う。長瀞で開催されたディベーターズ・スクールにワークショップ企画を提供した。その再演をねらって、中級者に焦点を当てた企画を立案したところ、「入門セミナーを」という主催者のご意向に接し、軌道修正を受け入れた(当該セミナーの折の所感、学びと反省は、また追って)。

そうこうしてしたところ、東海の村上先生より、講師のご依頼あり。日程の都合がたまたまついたこともあり、コレ幸いと、リベンジにうかがうことした。

現時点でのシラバスは、以下の通り(一部修正)。

***

【6月24日 東海支部セミナー 企画・案】

●テーマ 
より深い議論を構築するために~第12回ディベート甲子園高校論題中級講座

●ねらい
高校論題で第12回ディベート甲子園に取り組んでいる中級以上(本論題での大会を1回以上経験していることを想定)の指導者・選手を対象として、講義およびワークショップ形式の作業・発表を通じて、論題の原初的な部分について参加者が理解を深めるためのヒントを提示するとともに、より高度な議論構築のための方法論とアプローチを具体的に例示することをもって、指導者・選手の議論構築における力量向上を図ることを目的とする。

●進め方(案)3時間コース

(1)イントロダクション: 講座のねらいと内容の説明

(2)ワークショップⅠ: 議論がなぜ大切か? をあらためて振り返る
・問題設定 「共有地の悲劇」
・「共有地の悲劇」に対するソリューションを考えてみよう
・検討結果発表
・「解決案の決め方」を考えてみよう
・まとめ
 1)「強制力の行使を通じて公益の実現を図るシステム」の必要性→「公共財の供給主体としての政府」
 2)政治の3手段:恫喝、誘導、説得
 3)よりよい社会的合意形成のためのコミュニケーションの訓練として

(3)講義Ⅰ: 議論構築の手法の紹介
①「リンクマップ(因果連鎖図)」
 →メリット/デメリットのブレーンストーミング技法として
②「プラン前後のリンク比較(システムマップ)図」
 →リンクマップから立論構成を考える橋渡しのツールとして
③「黒白(●○)図」
 →立論の構造を把握し、反駁を戦略的に鳥瞰+デザインする枠組として

<休憩>

(4) 講義Ⅱ: よい「政治」について、さらに踏み込んで考えてみる
①政治で実現されるべき「より良い社会」はどこにある? ~自由と規律のせめぎあい
 政治面の価値軸: 個人の権利 vs 全体の秩序
 社会面の価値軸: 個人の判断 vs 伝統の知恵
 経済面の価値軸: 経済成長(自由に稼ぐ) vs 富の分配(稼ぎを公平に分ける)
②政府の「守備範囲」は?: 大きな政府 vs 小さな政府
 →政治ポジションテストの紹介
③誰が政治的な意思決定を行うべきか?: 入力重視? 出力重視?
    ※一般的な良い意思決定の条件
     ア 公正で、納得のいく手続きによって決定が行われること
     イ 決定が本来の目的に資すること
    ※「全員を拘束する意思決定=政治的決定」において重要なのは・・・
     A 手続き上の包括性か?
     B 決定の質か?

(5)ワークショップⅡ: 強いスタンスを考える
・スタンスと、その重要性
「スタンス」=「主張における一貫した思想、世界観・価値観」のことであり、特にメリット・デメリットの比較衡量において判断基準や原理・原則として機能する議論のこと。
・問題提起
・チームごと検討: オプションを選択。それに対して批判的に検討を加える
・検討結果発表+他のチームから質疑・応答
・まとめ
1)重要性を「放置」しないこと。実践すべきは「質疑→第1反駁→第2反駁」の連携。
2)ポイントは「今の日本社会へのフィット感」
(16:30までの予定。時間の許す限り、質疑応答)

・・・・という次第で、気合を入れなおしているところ。

【今日のBGM】 L.ヤナーチェク「タラス・ブーリバ 第3楽章 タラス・ブーリバの予言と死」

2007-06-14 01:08:11 | ブラスバンド
演奏は、ノイマンのチェコフィル。

高校の大先輩である「太陽爺」氏いわく:

「お国ものは、お国のオケがやると、ちょっとかなわない演奏ができあがる」

この演奏も、かなりクセがあるものの、堂々の佳演(それにしても、エンディングのこのパイプオルガンの音の残り方は何なんだろう?)。

主人の「鐘の音」好きは、人後に落ちないところだが・・・

チャイムの音 と パイプオルガンの音

の両者が出揃うこの曲。それだけで心が安らぐ。

まだ学生のころ、大学のブラスバンドサークルがこの曲をとりあげ、杉並公会堂でこの曲を演じたことがあったが、その時にはパイプオルガンを、なんとシンセで代用するという挙に出た。

しかし、それはそれで、満足のいく演奏であったのが、いまもって不思議だ。


【今日のBGM】 D.ギリングハム 「And Can It Be?」

2007-06-05 02:15:10 | ブラスバンド
演奏は、北テキサス大学シンフォニックバンド。
「The Music of Gillingham」より。

直訳を試みれば「どうすれば、このようなことが起き得るのか?」ぐらいであろうが、

定着しつつある邦題は、「米国コロンバイン高校 銃乱射事件を題材にした『神が愛なら、どうしてこんな悲劇が起こるのか?』:アンド・キャン・イット・ビー?」

この祈りのメロディーを、

オヤジギャクの巧手、羽田健太郎氏、

それに「事件狩り」の「やくざ弁護士」の石立鉄男氏、

両氏のご冥福を祈りつつ。

・・・And Can It Be?