嶽南亭主人 ディベート心得帳

ディベートとブラスバンドを双璧に、とにかく道楽のことばっかり・・・

ジャッジに「わからせる」ために

2005-10-28 17:54:04 | ディベート
長尾真(「わかる」とは何か,岩波新書2001)によれば、「わかる」ということには、以下の三層構造があるという。

①言語の範囲内で理解する「第1レベル」
②文が述べている対象世界との関係で理解する「第2レベル」
③自分の知識、経験、感覚と照らして理解する「第3レベル」

ううむ。抽象度が高くて、ようわからん。

ここで、この枠組を用い、遺伝子組み換え表示制度パンフレットにおける「わからない」言葉を、実証的に検証、分類を試みた研究がある(科学技術に関するメッセージ作成の留意点、電力中央研究所研究報告Y01002 平成13年7月)。その結果をみて、なんとなく「わかって」きた。

●遺伝子組み換え表示制度パンフレットにおける「わからない」言葉の例

第1レベルと分類された語句の事例: ほ場、デキストリン、異性化液糖
第2レベルと分類された語句の事例: 遺伝子組み換え不分別、閉鎖系温室、病気に強い
第3レベルと分類された語句の事例: 表示義務はありません、安全性が確認されている

そうか。こういうことか。

①わからない第1レベルとは・・・「言語の意味が不明」
=「そもそも言葉の意味が理解できない。何言ってんだか、想像すらできない」

例→「『デキストリン』って、いったい何?」

②わからない第2レベルとは・・・「自分の理解と発言者の説明とが一致するか不明」
=「文字面からなんとなくイメージは浮かぶが、そのイメージが、発言者が実際に示したかったモノや概念と一致しているかどうか、確信が得られない。」

例→「えーと、『閉鎖系温室』って、密閉されて外部と空気が行き来しないガラスとかの温室のことかなぁ。でも、ほんとに、『閉鎖系温室』の実物って、そういうものなのかなぁ?」

③わからない第3レベルとは・・・「発言の信憑性、論理整合性が不明」
=「言葉の意味はわかるが、なぜそういえるのかの背景や根拠、発言者の意図が読めない」

例→「どうして『表示義務はありません』で許されるんだ! 『安全性確認してます』って、どうしてそういい切れるんだよ!」

【ディベーターへの教訓】

1.①のレベルでは、専門用語は必ず解説しましょうということ。遺伝子組み換え論題や原発論題を経験した皆さんは、とっくにご案内のこととは思うが。

2.②のレベルでは、皆さんの発言を聞いてジャッジの頭に浮かぶイメージは、あなたの伝えたい内容とは違っているかもしれないということを、肝に銘じておくこと。その差異を埋めるのは、理解を促進するイメージ、すなわち「たとえ話(実例、仮想例)」を活用することが有効。

3.③のレベルでは、主張には論理もしくは公表資料を証拠として提出することで、客観性を持たせるよう、最大限努力すること。基本中の基本。

だから!

秋季大会で「総合学習は生徒の自主性を育てます」と、“不用意”に仰らないで頂きたい。
→私にとっては、「総合学習」という語句にレベル②の問題が発生する、
→ほとんどすべてのジャッジは、レベル③の問題を看過してはくれない、
ので、ご注意の程を。

では、各種大会でのみなさんのご健闘を心より祈りつつ、かつまた、明後日、成蹊大学でお会いできることを楽しみに。


みんなで作りあげる【良い試合】

2005-10-18 20:44:56 | ディベート
「視聴者参加型オンラインディベート」が、折り返し地点を迎えた。

主人も、イクトス、社長、愚留米の諸兄とともに、解説のコメントを申し上げているのであるが、

これがまた、べらぼうに面白い!

通常の試合だと、選手とジャッジ+観客の間には、深い溝がある。
それは「作る人」と「食べる人」の役割分担なので仕方ないことなのであるが。

ところが、この試行的モデルディベートでは、

【選手と解説者と観客とが、手を携えて、良い試合を創造できる】

のである。現に、そうなっている。

選挙の分析理論に「有効性感覚」という概念がある。

投票に行くかどうかの要因として、「この一票で、変わるかもしれない」と有権者が感じるかどうか、を意味する。

このモデルディベートでは、両サイドの選手とも、解説、声援、野次をじっくりとご覧になり、その上で、次に何を議論するか、深く考えておられる。「有効性感覚」の体現そのもの、と言わずして何と言おう。

モデルディベートは、これから佳境、反駁のステージに入る。

この「有効性感覚」を体験なさりたい方は、ぜひ、今のうちにサイトにお運びあれ。


今日(9/27)のBGM: V.ウィリアムズ「イギリス民謡組曲」

2005-10-16 18:35:21 | ブラスバンド
指揮・演奏ともに不明、しかもオケ版。

ロンドンは、Mayfairのホテルに滞在していたときのこと。

前日のヒアリング結果を朝までに打つべしとの仰せのもと、パソコンをいじっていたのだが、程なくして、案の定、煮詰まった。

とまっている部屋が禁煙室だったものですから・・・・

そこで、ホテルのロビーに降りてタバコを吸っていたところ、この曲が流れてきたのですよ。

【あふれんばかりの英国情緒。しかもここはロンドンだ!】

ブラスの曲では古典中の古典だが、ひとしきり聞いていて、ほんとに心が和んだ。元気も出てきた。

その勢いをかって、部屋に戻る。

いま、朝の3時。あと2時間くらいで仕上がるな、これは。
翌日のユーロスター乗車を楽しみにしつつ、よーし、がんばろ。


ジャッジング・フィロソフィー2005年度版

2005-10-12 14:44:20 | ディベート
 「ジャッジの持つ価値観のばらつきに対応する方策として、ジャッジングにあたってのフィロソフィー/哲学を公表すべきだ」との意見に接した。

 フィロソフィーそのものは、大会主催者に要請されれば提出する文書でもあり、別に公表を妨げる理由はなく、ここに公表してみようと思い立った次第。

<<<ただし>>>

●以下の形式が典型ということは決して【ない】ので、各位におかれては、くれぐれも誤解なきように。これより短いものから、さらに細部まで説明を尽くしたものまで、様々である。

●ご覧いただければ明らかであるが、フィロソフィーは「どんな議論を、どのように判断するのか」に関して、ジャッジ個人の一定の基準を示すものではある。しかし、実のところその内容の大部分は、「議論の構成要件等、意見が分かれるセオリー上の問題に対する個人的見解の表明」に過ぎない。論題固有の議論の評価、特に度々問題とされる価値比較については、「ディベーターの皆さん、よろしく」と言うよりないという点、ディベーターの皆さんには特にご理解を頂きたい。

●また、以下は本日時点のものであり、予告なく変更することもあるのでご承知頂きたい。

*****

ジャッジング・フィロソフィー 2005年版

【意思決定のパラダイム】
●ポリシー・メイキング・パラダイムが採用される。

【肯定側の挙証責任】
●肯定側はいわゆる「一見、明白な水準」に達するまで挙証責任を負う。当該挙証責任が果たされるまでは、“推定無罪”の原則が機能し、投票は否定側に対してなされる。

【論題充当性】
●肯定側に対して反対票を投じる独立の論点である。ただし、否定側から論題非充当である旨の議論が提出されない限り、すべてのプランは論題充当的であると推定される。
●肯定側のプランが論題充当的であるかどうかは、合理的な解釈が成立するかどうかを基準として査定される。 いわゆる「より良い定義」に関する議論は、当該議論を採用すべき根拠が明示的に論じられなければならない。

【カウンタープラン】
●1) 論題非充当性、2) 競合性、 3) 優越性の3点が示されなければならない。論題充当的なカウンタープランは、その純利益が正であれば、否定側が提出したものであっても、論題を肯定する材料として機能し、肯定側への投票理由を構成するので注意されたい。競合性では、相互背反、純利益の各基準は無条件で採用されるが、重複性基準が競合性として認められるためには、何らかの根拠が説明されなければならない。

【否定側のフィアット】
●行為主体が国もしくは地方政府である際にはカウンタープランにフィアットが認められる(これは、ジャッジ自身を政策決定者として擬制している点、政策決定者にとっては「公共政策」の望ましさに主たる関心がある点に由来する)。よって、その他の行為主体(例:民間組織、国際連合等、論題上の行為主体とは解釈し難い主体)によるカウンタープランへのフィアットは自動的には認められず、代わりに当該行為主体の実施の意思を論証することが、否定側に要求される。

【カウンターワラント】
●何ゆえにそれが否定側への投票理由たり得るのかの根拠が十分に説明・論証されない限り、ワラントそのものが論証されていたとしても、否定側へは投票されない。

【クリティーク】
●否定側への投票理由となりうる。投票理由となる根拠が明示的に議論されることが望ましいが、暗示されるだけでも十分とみなす。

【価値体系】
●ディベーターによる議論に依存する。ディベーターは積極的に価値比較を論ずることが推奨される。価値相互の優先劣後についての議論、もしくは価値についての判断材料が、試合中の議論として提供されなかった場合は、私個人の価値観および判断基準が、メリット・デメリットの評価の際に援用される。

【証拠資料】
●著者名および発行年以外の属性・周辺情報をスピーチ中で読み上げることが強く推奨される(ただし義務ではない)。なお、属性不明の発言者による証拠資料は、その分信憑性が低く受け止められるので留意されたい。
●いわゆる「発言者の権威のみに依存する証拠の引用」であった場合、証拠資料なしであっても合理的な根拠が準備された議論による反証に対して、常に優先されるとは限らない。

【肯定側第2立論におけるプラン修正やスパイクプランの追加】
●否定側第1立論における議論を不当に妨害するものとして、認められない。論題の別解釈による新規のプランおよびケースを肯定側第2立論で提示しようとする場合を除き、すべてのプランは肯定側第1立論で提示することが、肯定側に求められる。

※ご注意※ 以上の記述は、すべて「デフォールト・オプション(=何も言われなければ、私はこうする)」の表明であるとお考え下さい。試合中に、ジャッジとして採用すべき、フィロソフィーの各項目についての代替的思考/行為について議論することはディベーターの方の自由ですし、そのようにすることは歓迎されます。当方は、試合当事者間での議論の結果を尊重、検討した上で、フィロソフィーの各項目についての認識・考え方を、随時、変更し、その上で判定を下します。判定を下した後は、また上記のデフォールト状態に復帰します。

以上です。

→よくわからない用語等がありましたら、復刊される「ディベート通論」をお読みになることをお勧めします。


「劇場」から「寄席」へ 

2005-10-11 19:57:39 | ディベート
 先の総選挙に関連して、ひとこと。

(引用)この特性を小泉はよくわかっていた。テレビで放送されることを見越して、「改革の流れを止めたら日本は終わる」と叫んでいた。

 その言葉に根拠がなくとも、こういうレトリックに若者層は動く。「本当にそうなのか?」と、自分で考える力がないからだ。 

 あるTVドラマ関係者は「視聴者の物語読解能力が低下した」と嘆いていた。彼によればドラマ番組でさえ、“難しくても面白い本格派”は敬遠されるという。(略)。

 物語読解能力の問題は、テレビに限った話でない。これは「言葉の力の減衰」という大きな社会的かつ文化的問題なのだ。今回の劇場型選挙がウケた原因は、まさにこの土壌にある。(引用終了)

《出典》コラムニスト 清野徹 「週間文春」2005年10月13日号

 寄席では、観客の眼が肥えれば、芸人が育つと言われる。
 
政治もまた然り。 

 良い政治家は、確かな眼を持つ有権者が育てる

 清野氏の指摘が当を得ているか否かは別としても、「本当にそうなのか?と問う力」が衰えるのは、本当にマズイ。

 教育ディベートの発展が、切に望まれる所以でもある。



【追伸】

私は、あれを「小泉劇場」と呼ぶのは当たっていないと思う。
むしろ「テレビと視聴者」の関係に近いのではないか。

・演ずる側が気にしているのは、実は「率」だけ
・観る方も、見流しているだけ
・演者と観客の距離が近いと感じるのは錯覚で、実はべらぼうに「遠い」。

あんなものを「劇場」と呼ぶのは、舞台役者さんやスタッフの皆さんに失礼極まりない!

と、学生時代に英語劇に手を染めたことのある主人は、つくづく思う。