嶽南亭主人 ディベート心得帳

ディベートとブラスバンドを双璧に、とにかく道楽のことばっかり・・・

【解釈に係る雑感2-2】 いちごT/うるしTに関する主人の所見

2009-06-24 22:28:21 | ディベート
いちごT・うるしT問題は、もともとは、先にJDA(日本ディベート協会)のメーリングリストで話題になったものである。何が問題なのかについては、愚留米氏が、当たるを幸いなぎ倒さんばかりに力強い論旨をもって論陣を張っておられるので、詳しくはそちらをご参照いただくとして。

Tとは、Topicalityの頭文字で、トピカリティ(論題充当性もしくは命題性)の議論の通称である。

いちごTとは、英文の論題の特定の「一語」の定義を論ずるようなTの議論であるが、揶揄の意味を込めて「苺」の含みがにじむよう(要は洒落です)、ひらがなで表記されることが多い(と理解している。誤解があればご指摘頂ければ幸甚)。

うるしTとは、いちごTの一種であるが、できの悪い方に分類されるもので、論題上の「Japan」を「うるし」と曲解するような(その解説は後日に譲るが)トンデモナイ議論である。

愚留米氏の論考によれば、主に英語会系のディベーターは、以下のようなスタンスを持っていると整理されている。 

>これに対するJDA-MLの英語ディベーター(ほとんどは年長のOB)の反応は概ね2種に分かれており、第一の見解は「議論を出すのは自由であり、制限すべきでない」という方向、第二の見解は「馬鹿げた議論ではあるが、母国語ではないので限界もあるのではないか(後段の点については論者により濃淡があります)」という方向でした。

主人の立ち位置が、どちらに類型化されるのか良くわからないが、まずは、いちごT/うるしTに対する主人の見解を表明しておきたいと思う。

●いちごTにも妥当なものがありうるので、一概には否定しない。

●ただし、うるしTに代表されるような「妥当ではない、出来の悪いいちごT」は採用できない。うるしTは、論題解釈の議論=論題充当性の議論として、そもそも成立していないからである。

●主人、ディベーターが愚かな議論を展開することそのものは否定しない。試合において展開する議論の取捨選択はディベーターの自由に属する事項だからである。

●しかし、もしうるしTを主人に対して提出するならば、それを採用しない(成立していない議論など、採用できる訳がない)のみならず、「爆笑」して差し上げたいと思う。そうして、規制によらずして、うるしTを駆逐していくのが常道だと思う。

●一方、本来うるしTを投票事由とすることはできないにもかかわらず、もしうるしTを投票事由とする審判がいるなら、それは大問題だといわねばならない。

愚留米氏の類型の用語に沿う形で換言すれば、こういう風になろう。

1)馬鹿げた議論であっても、議論を出すのは自由。制限すべきではない。

2)馬鹿げた議論は、馬鹿げた議論だということを、きちんとディベーターに認識させてあげればよいだけの話。具体的には「鬚を剃った魚」並みの恥ずかしい議論なのだという旨を、ジャッジは嘲笑あるいは爆笑とともにフィードバックするのが良いだろう。

3)日本語だろうが、英語だろうが、ディベートにおいて、かりそめにも成立していない馬鹿げた議論を投票事由にするなどは論外。ジャッジとしての見識が問われる。

根本的には、3の点が重要である。本来あってはならないが、馬鹿げた議論で勝たせてしまうジャッジがいるがゆえに、ディベーターはその馬鹿げた議論をやめないというのが、病巣の中核であるように思う。淘汰されるべき議論が淘汰されないのは、その任に当たる人の職務怠慢だということだ。

次回以降、より詳しく、主人の所感を申し述べる。

【解釈に係る雑感2-1】 序: 鬚を剃った魚の話

2009-06-19 20:23:06 | ディベート
主人、一体にエッセイが大好きだ。

書き手でいえば、

寺田寅彦
山口瞳
向田邦子
林望

が、主人の好みのうちでも四天王。

JRの東日本の車内誌の山川静雄、全日空の機内誌の浅田次郎のエッセイなどは、まず何を差し置いても目を通していた。

そうそう、忘れられないエッセイがもう一つ。

伊丹十三(彼が今この世にないのは、本当に惜しい)の「女たちよ」。

この本は、文庫で、高校2年のときに読んだ。伝法小学校の東にあるちっぽけな古本屋で買った100円の本だったが、あまりに面白く、繰り返して読んだ。友人にも薦めて歩いた。そして「アルデンテ」という言葉、シトロエンの2CVにはアップライトピアノが載るということや、マイクルのキャベツのレシピを学んだ。

いま、思い立って読み返してみて、往時の感激が蘇ってきた。というか今でも、手放しに面白い。「これが私のスタイルなのだ」と、自信をもって押し通す筆致が痛快だ。しかも書かれたのが、40年前なのだ。

プラス、当時知らないまま読み流していた固有名詞(例えば、浅草の蕎麦屋、尾張屋とか!)に、実物イメージが思い浮かぶようになっていることが、なんとなくうれしい。

***

さて、「いちごT」、とりわけ「うるしT」のお話である。

それが一体何を意味するかは、後述していくとして、「うるしT」なる議論に初めてお目にかかったときには、腰を抜かさんばかりに驚いた。そして、爆笑した。

その笑いに、妙な既視感があった。

そうそう。

伊丹十三「女たちよ」のなかの『鬚を剃った魚の話』という一章を読んだときの笑いと、これは同質だ。

という次第で、【解釈を巡る雑感2】の序として、このお話をご紹介したい。長文になるが、その一部を引用させていただきたい。


***

■鬚を剃った魚の話

 うちの家主はデリク・プラウスといって日本へもきたことがある評論家であるが、相当な日本通であるからして、うちの台所には常に好奇の目を光らせている。

 梅干や葉唐辛子の瓶を手に取って長い間小首をかしげていたりする。

 彼の趣味は、日本の商品に印刷してある英文の解説を読むことであった。その怪しげというか奇想天外というか、不思議千万の英文を熟読玩味するのが趣味なのである。


 たとえば「サクラあられ」の缶の裏側の「ソール・イムポーター」の綴りが「「ソール・インポスター」になっている。

 「ソール・イムポーター」は一手輸入元の義であるが、「インポスター」はペテン師という意味であるからして、「ソール・インポスター」は独占的ペテン師ということにでもなろうか。

 あるいは「ソール」には舌ビラメという意味もある。これはペテン師のあだ名であるとも考えられる。

 ペテン師「舌ビラメ」ーーなんだか颯爽たる名前ではないか。ドーヴァー海峡を股にかけて暗躍する「サクラあられ」密輸組織の陰の大立者、悪漢「舌ビラメ」!

 その人相書きにいう。顔面は扁平にして広く、両眼は著しく近接せりと。

 それからそれへと空想に耽るのであった。


 ある時、彼がごく不思議そうな顔で、これはなんだという。見ると手に「削り節」の箱を持っている。

 つまりそれは固く干し固めたマッカレルを機械で削ったものさ、と説明すると彼はいきなり気が狂ったように笑い出した。

 「だって、この箱には鬚を剃った魚と書いてあるぜ」

 そういってますます笑い転げるのである。私も仕方なく少し笑ったが、つまりはこういうことなのだ。


 英語で、かんなの削り屑を「シェイビング」という。かんなで削ることを「シェイブ」という。それ故にーーと鰹節屋の大学生の息子は考えたに違いないのだーー削られた魚は「シェイブド・フィッシュ」であるに違いない、と。

 語学において三段論法を適用する過ちはここにある。「シェイブド・フィッシュ」はあくまでも鬚を剃った魚であって「削り節」にはならない。

 強いていえば「フィッシュ・シェイビング」でもあろうか。これでも魚の髭剃り、という印象を免れない。

 「シェイブド・フィッシュ」は彼によほど強い印象を与えたに違いない。彼は私に「シェイブド・フィッシュ」の絵を描いてくれと子供のようにせがむのであった。(後略)

(出典) 伊丹十三 「女たちよ」 新潮文庫 H17.3.1, pp.41-44 ※この作品は昭和43年8月に文藝春秋より刊行され、昭和50年1月文春文庫に収録された。
 
***

 「うるしT」は、「鬚を剃った魚」、いやそれ以下の類似品であって、嘲笑に値するということを、以下、主人は申し述べたいのである。


【解釈に係る雑感1-8】 質問3と4の検討:肯定側へのコメント、及び証拠資料中略問題の総括

2009-06-18 21:52:16 | ディベート
否定側へのコメントに引き続き、肯定側の反論について検証し、コメントを申し述べよう。

***
【肯定側の主張の再掲】

(肯定側応答)
(5)立論の文字制限上、こちらの都合で中略しました。 中略をしてもしなくても、私達の主張の根拠となることにかわりはないと考えます。

(肯定側第1反駁)
資料の歪曲について
この資料の趣旨はあくまで、グローバリゼーションには迅速な対応が必要、ということです。
中略には”行政改革をはじめとする”という言葉が入っていますが、立法過程の改革は不要だ、ということまでは述べられていません。立法が迅速化する分だけ行政もよりスピーディーな対応ができるようになるわけですから、我々の主張と資料の内容に食い違いはありません。一院制は迅速な対応のための大きな手助けとなります。

(肯定側第2反駁)
<特段の言及なし>

***

【感想とコメント】

○上記の通り、実質的な反論は、肯定側第1反駁においてなされたのみである。

・・・「中略には”行政改革をはじめとする”という言葉が入っていますが、立法過程の改革は不要だ、ということまでは述べられていません。」

というのでは、なんとなく、言わんとしているところは想像できるのだが、説明不足である。より正確には、言葉足らずというべきであろう。

さらに・・・

・・・「立法が迅速化する分だけ行政もよりスピーディーな対応ができるようになるわけですから、我々の主張と資料の内容に食い違いはありません。」

との一文は、カードアタックに対する防御としては機能するものの、資料歪曲問題に対する返しにはなっていない(ということに、当事者が気づいておられれば良いのだが・・・)。

○肯定側として、根拠をつけて明確に主張すべきであったのは、「中略があっても、特に『政府の改革』の語義をめぐる文意に変動は生じない」点である。

○とすれば、「立法過程の改革は、不要だ、ということまでは述べられてはいません」というのでは、少々ピントがずれている。ここで行なうべきは、カードチェックの返しではないのである。肯定側としては、「中略があろうと、あるまいと、『政府の改革』には、立法過程の改革の要素が含まれおり、それゆえに文意は変わっておらず、歪曲にはあたらない」という主張を、【理由・根拠】をつけて、説明・展開すべきであったのだ。この点、どのような主張・理由付けが可能であったかは、1-5を中心に申し述べてきたので、ここでは繰り返さない。是非、独自に復習をお願いしたい>特に、会津高校の諸君、精進されたし。

○上記は、中略なし「広義」→中略あり「広義」というケースを想定しているが、否定側の主張に半分乗る形で、中略なし「狭義」→中略あり「狭義」という説明のアプローチも、あり得たかもしれない。この場合、中略ありの場合の「政府の改革」を狭義で解すべきであるとの正当な理由を説明するのがちょっと大変だが、頭の体操として取り組んでみる価値はあろう。

【証拠資料中略問題の総括】

○繰り返し申し述べておきたいが、ある語句の一つの解釈に対して、別の論理による整合的な解釈が成立することは普通に発生する。その際、自らが適切と考える解釈の妥当性を第三者に説得的に伝達するのは、実は相当に骨の折れる仕事である。今回の中略の有無にともなう文意の改変問題をめぐる議論は、自らの解釈の妥当性を争うという意味で、論題充当性の議論の応用問題とも理解できる。論題充当性の事例を想起して頂ければ明白だが、解釈をめぐる議論では、それ相応の時間と言葉を尽くさないと、第三者に伝え、理解・支持を獲得するのは容易ではないのである。

○中略を行なうことによって、「反論可能性が奪われた」とする異議申し立てを相手側から食らうリスクが生じるということが改めて確認されたのが、今回の事案だといえる。そのリスクを甘受できない、あるいは中略によって文意が変動しないと説明するのが「しんどい」と感じられるなら、最初から中略など行なわないのがよかろう。選手諸君におかれては、十分に、心しておかれたい。

***

これで一通り、主人としては、【解釈に係る雑感1】として申し上げたいことは、申し述べたことになる。誰が、このような雑文を読んでいるものか、というご指摘はあろうし、当方としてもきっとそうだろうなぁとは正直思えど、おぼしきことを申さぬは腹がふくれる心地がするので、今回の挙に及んだと思し召せ。

次回以降、雑感2として、いわゆる「いちごT/うるしT」問題へと筆を進めたい。



【解釈に係る雑感1-7】 質問3と4の検討:否定側へのコメント

2009-06-18 04:17:17 | ディベート
それでは、否定側の議論を検証しながら、主人の感想を申し述べたい。

****

【否定側の主張】

資料の文意改変問題に関連する、否定側の発言は以下の通り。

<否定側質疑>

●(5)重要性二点目の資料の[中略]部分には、「「小さな政府」実現を目指した*行政改革*をはじめとする…[強調は私がつけました]」という記述がありますが、ここを飛ばした意図は何ですか?

<否定側立論>

●最後に肯定側資料の歪曲について。

肯定側立論重要性二枚目の資料では、中略部分で「行政改革をはじめとする…」という文言があります。これを意図的に飛ばすことは、著者の意図を歪曲しています。肯定側は「中略しても意味が変わらない」などと言っていますが、この中略は、行政改革なしに、あたかも立法の改革だけで、理想的な政府ができると見せかけ、否定側の反論機会を奪う、極めて悪質な歪曲であり、甲子園ルール細則C-1-6に基づき肯定側を敗戦とすべきです。

<否定側第一反駁>

●重要性に対して

(略)

6 立論でも述べた通り、この資料は歪曲されていて、資料としての価値がありません。

<否定側第二反駁>

この試合には少なくとも三つの独立した、否定側への投票理由があります。

(略)

3 肯定側に資料の歪曲という重大なルール違反がある。

資料歪曲の議論

肯定側資料の中略は、行政に関する話を隠蔽し「行政改革無しには事態が改善しない」という反論の機会を奪う意図があったと取られても仕方のない省略です。

口頭のディベートなら反論が出来ず、この重要性が残る可能性が高いです。その点非常に悪質な中略であり、甲子園ルールを根拠とした、否定側への投票理由となります。最低でも、資料の無効化は避けがたいです。


【参考資料: 問題となった証拠資料の再掲】

1)グローバリゼーションが拡大・深化するなかで、人口減少や急速な少子・高齢化社会を迎える日本は、健全な経済社会を構築し、次世代に引き継ぐことが不可避の課題となっている。

2)したがって、「小さな政府」実現をめざした行政改革をはじめとする財政・税制、社会保障、教育などの構造改革への手綱を緩めてはならない。

3)特に、グローバリゼーションがもたらす多様かつ複雑な国内外の課題に対して、的確かつ迅速な対応を可能とする政府の改革に早急に取り組むべきである。

*******

【感想とコメント】

<中略部分の提示>

○すでに1-4にて述べたが、質疑~立論の段階において、中略箇所(=上記の再掲2)の文)を「行政改革をはじめとする・・・」とのみ言及して主張を展開しておられるところ、ここは試合中の議論として、省略に係る部分をすべて提示した上で、主張を展開した方が、審判・観客にフレンドリーな議論が展開できたであろうと強く思う。文字数制限がきついのはよく理解するが、それにも関わらず提出する価値があると思われたならば、中途半端な説明に終わらせて欲しくない。

○今回の中略部分の提示において、行政改革という語句に注目を集めたいとの意図からであろうが、そこだけに言及するのは、中略の不適切さの非をならそうという時に、「あなたこそ、『行政改革をはじめとする・・・・』と、・・・以下を省略しておられますが、その意図は何ですか」と逆に聞かれてしまいそうだ。特に今回、2)の文が細部までチェックされ、「行政改革」ではなく「行政改革を含む構造改革」の話だということが明らかになったとき、審判・観客の心証は、決してよろしくなかろう。

<解釈上の根拠の提示>

○否定側の主張における要石は、2)の文の中略がなかった場合の3)の文章における「政府の改革」は、「行政府の改革」と理解すべきである=狭義の解釈をとるべきである、というものである。

○今回の否定側の主張をあらためて眺めると、やはり少々説明不足のように思われる。

 ・・・中略部分で「行政改革をはじめとする…」という文言があります。これを意図的に飛ばすことは、著者の意図を歪曲しています。この中略は、行政改革なしに、あたかも立法の改革だけで、理想的な政府ができると見せかけ、否定側の反論機会を奪う、極めて悪質な歪曲であり

 という今回の説明では、(意図的な)中略の有無によって、どの語句の意味が、どのように変化したのか、だから歪曲だと判断できるのかが、いまひとつ判然としない。審判・聞き手が、否定側と同様に感じていたならば(今回のケースは、そうであったのだろうと思う)、これでOKかもしれないが、それは結果的な僥倖だったというべきではなかろうか。せめて、そこで前回(1-6)において例示した程度、すなわちイ)ーロ)ーハ)の形で再構成した程度には、説明しておいて欲しかったところである。

○また、問題だと感ずるのは、前述の要石たる「中略なしのときには、『政府』の改革は『行政府』の改革と解釈するのが妥当である」という部分の根拠が明確化されていない点である。「中略された2)の文において『行政改革』という語句があるから」というのは、説明としてもそれほど強力だとは思われない。例えば、

 ア)2)の文の主張するところは、否定側の言うような単なる「行政改革」ではない。資料をよく読めば、行政改革を含む「構造改革」であることは、明々白々である。

 イ)ここでの「構造改革」を行政府のみのマターだと解釈すべき理由はどこにもない。

 ウ)現に小泉元首相は、構造改革として、首相公選を訴えたではないか。首相公選は、議院内閣制をやめるという意味で、行政府の改革というよりも、統治機構としての政府の改革というのが相応しい

 エ)したがって、3)の文の「政府の改革」は、「行政府」の改革ではなく、「政治・行政・司法を含む統治機構」の改革として解釈するのが妥当である。

 オ)よって、中略があっても文意の変動は生じておらず、歪曲にはあたらない。

・・・というような反論をもしも受けたら、倒れてしまう程度の強度であるように思われる。

○さらに、「行政改革」という語句が見えるからといって、3)の文の「政府」の改革を「行政府」の改革だと解釈しようとするのは、早計だと考えられる理由がある、と、これまで1-5でも述べてきたところである。

<代替的アイデア>

○では、どのような説明が代替的に可能であったのか。・・・・考えてみたが、これはなかなかに難しい。

○主人が考え付いたのは、以下のような説明である。

A 2)の文における構造改革の課題―行政改革をはじめ、税制・財政、社会保障、教育―は、いずれも政策決定のアウトカムの話である。

B であれば、「特に」ではじまる3)の文章における「政府の改革」も、政策アウトカムの一環であると解釈するのが妥当である。ここには、政策決定の「プロセス」の要素=立法の要素は含意されない。

C よって、「政府の改革」の意味において、行政府vs統治機構という2つの解釈が想定されるとしても、前述の文脈上、ここは「行政府の改革」と解釈すべきである。

・・・いかがであろうか。

○そう自分で述べておいて、これを言い出すのは何なのだが、主人が考えたこの説明に対しても、上記の「首相公選」を例にとった反論が成立しうる。なので、この説明がベストだとは思われない。興味ある方は、より説得力のある説明をご研究いただきたい。そこでのポイントは、「構造改革」の意味・定義になることを申し添えておく。

【小括】

○今回の一件で、強く感じ、また皆さんに申し上げたかったことは、以下のようにまとめることができる。すなわち:

「ある一つの解釈に対して、別の論理による整合的な解釈が成立することも往々にしてある。その際、自らが適切と考える解釈の妥当性を第三者に説得的に伝達するのは、実は相当に骨の折れる仕事である。」

***

次回は、肯定側の見地から、検討、コメントしてみることにしよう。

【解釈に係る雑感1-6】 質問3と4の検討:否定側の主張を確認する

2009-06-17 20:43:17 | ディベート
●問い(3)~中略により文意が変化したとする主張について

上記、問い(1)および問い(2)の文章をあわせて見て、以下の主張がなされた。

肯定側は「中略しても意味が変わらない」などと言っていますが、この中略は、行政改革なしに、あたかも立法の改革だけで、理想的な政府ができると見せかけ、否定側の反論機会を奪う、極めて悪質な歪曲であり・・・(後略!)

質問3: この主張の背後には、中略の有無によって文意が変化するという認識が主張者にあることが伺える。このとき、問い(1)から問い(2)にかけて、文意におけるどの部分が、どのように変化したと考えられるか。その理由は何か。特に、文中の「政府の改革」という語句について、どのような意味上の変化が生じたと考えられるか。その理由は何か。

質問4: 質問3に対して、問い(1)から問い(2)にかけて文意は概ね変化していないと主張することは可能か。可能である場合、どのような説明・理由付けが考えられるか。

*****

中略の有無によって、文意が変わるとすれば、どのようにそれが生ずるのか。

否定側・肯定側の議論の検証の予備的作業として、否定側の主張に対する主人の理解を整理しておこう。

特に文意の改変が問題となっているのは、資料の3)の文における「【政府】の改革」という語句についてである。この語句の解釈として、「狭義=行政府」と「広義=統治機構」の二通りがあることは、再三述べてきた。以下の検討では、この語句に焦点をあてて、検討を進めてみる。

****

【検討: 否定側の主張の推察】

○否定側は、立論において、「中略部分で『行政改革をはじめとする…』という文言があります。これを意図的に飛ばすことは、著者の意図を歪曲しています。肯定側は『中略しても意味が変わらない』などと言っていますが、この中略は、行政改革なしに、あたかも立法の改革だけで、理想的な政府ができると見せかけ、否定側の反論機会を奪う、極めて悪質な歪曲であり」と、論じている。

○この主張、字面上のわかりやすさとは異なり、上記の主張を資料の記述と照らし合わせてみてみると、「あたかも立法の改革だけで、理想的な政府ができると見せかけ云々」という部分に関し、どのような理由に基づいて主張が展開されているのか、個人的には当惑を禁じえなかった(※注を参照)、それでもなんとか意味を汲み取ろうとすれば、おそらく、否定側は、概ね、下記のようなことを論じたいのではないか、と推察された。

 ※注:この点、もしも否定側が「問題の中略は、【政府】の改革を【立法府】の改革(=「統治機構」の改革では【ない】。為念)へと、意味を変化させてしまう」ということを”根拠”つきで説明していたならば、主人の当惑は消滅していたであろう。しかし、まさしくその「理由・根拠」を「説明」してもらわないと、「政府=行政府or統治機構」というデフォールトの解釈を有している人にとっては、「立法府の改革【だけ】」という部分に強いひっかかりが生じ、論理の飛躍が生じているように見えてしまう、ということに今、気がついた。

説明をもとにもどそう・・・・

(主人が推察した否定側の主張)

●そもそも、2)の中略がない場合、「行政改革をはじめとする・・・」という文言が示唆するように、3)の文章の「政府の改革」は「行政府の改革」と解釈するのが相当である。

●ところが、2)の中略を行なってしまうと、3)の「政府の改革」は、(一院制を含む)「統治機構の改革」を指す(=広義の解釈が成立する状態)かのように見えてしまう、<あるいは>、「統治機構の改革」を指すかもしれないし、「行政府の改革」を指すかもしれない(狭義もしくは広義、いずれかの解釈も成立しうる状態)かのように見えてしまう。

●すなわち、中略部分である2)「行政改革をはじめとする・・・」を読み飛ばしてしまうことにおって、「政府の改革」という語句の意味が変わる。

●この意味上の変化は、肯定側に有利になるような文意の変化である。

●そのような意味の変化を、中略によって生ぜしめる行為は、資料の歪曲に他ならない。

・・・・といったところであろうと、思われた。

上記を、より簡潔に表記すれば、

イ)中略なし → 3)の「政府の改革」は、「行政府の改革」を意味する。

ロ)中略あり → 「行政改革」というキーワードが隠されることで、3)の政府の改革は、「(一院制改革を含む)統治機構の改革」もしくは「(一院制機改革を含む)統治機構の改革、あるいは、行政府の改革」を意味するかのように変化する。

ハ)よって、中略を付すことにより、本来、含意しえない要素である「立法府の改革=一院制導入改革」を、資料上読み取る余地が生じてしまう。

・・・ということを否定側は主張したいのだろうと思われた。   

以下、項をあらためて検討を続ける。

【解釈に係る雑感1-5】 質問2の検討~主人、かく解釈せり

2009-06-12 21:08:43 | ディベート
中略部分をディベーターが紹介してくれなかったので、自らリンクをたどって原典を確認した。

すると、中略部分は、以下の(2)であることがわかった。

質問2を再掲する形で、ご紹介しよう。

●問い(2)~「中略なし」バージョンの場合

同様に、以下の引用文を読まれたい。

1)グローバリゼーションが拡大・深化するなかで、人口減少や急速な少子・高齢化社会を迎える日本は、健全な経済社会を構築し、次世代に引き継ぐことが不可避の課題となっている。

2)したがって、「小さな政府」実現をめざした行政改革をはじめとする財政・税制、社会保障、教育などの構造改革への手綱を緩めてはならない。

3)特に、グローバリゼーションがもたらす多様かつ複雑な国内外の課題に対して、的確かつ迅速な対応を可能とする政府の改革に早急に取り組むべきである。

質問2: 上記、問い(2)の文章において、「政府の改革」は何を意味するのか。また、そのように考えられる理由は何か。

***

ここに及んで、主人は、以下のように意味を読み取った。

【検討】

1)の文についての分析

○解釈は、質問1と同じく、「日本は、健全な経済社会を構築し、次世代に継承することが課題だ」ということ。

2)の文についての分析

○「したがって」という接続詞があることから、この2)の文は、1)を理由とする主張がなされていることがわかる。

○その主張とは、行政改革をはじめとする財政・税制、社会保障、教育などの「構造改革」をしっかりやれ、というものだと解釈できる。この文章において「行政改革」とは、その他、財政・税制等とならぶ「構造改革の例示」であったということが、明らかに読み取れる。

○「構造改革」が何を意味するのか。これはさっぱりわからない。著者もディベーターも定義していないのであれば、審判/読み手が自己の論理に従って、勝手にイマージュする余地が広大に広がっている。(そもそも小泉某という前総理は、この言葉を定義せずに乱用し、改革イメージを振りまいていた。この言葉の曖昧さの罪は、4代目を世襲させようとする彼にこそ、問われるべきであろう)。

3)の文についての分析

○2)の文を所与として考えると、「特に」という語句は、「構造改革」の要素の中から、何かを特出しするための副詞である、と解釈できる。3)の文章における「国内外の課題」が1)の文章を受けた言及であると読めることから、3)の文の冒頭の「特に」は、2)の文、すなわち「構造改革」に係るものである、と解釈するのが自然だからである。

○ここで、3)の文から、修飾語句を取り除いて読んでみれば、3)の文は、要するに「特に、『政府』の改革に早急に取り組め」という主張であることが明らかになる。

○叙上のごとく、3)の文の「特に」という語句が、2)の文の「構造改革」の特出しという意味で機能すると理解すると、3)の文の言わんとしているところは、「構造改革にもいろいろあるんだけれども、とりわけ『政府』の改革に取り組むべきなんだよねー」と、読める。

○さて、ここで、3)の「政府の改革」における『政府』の意味はなんだろうかと、考え直す。「構造改革」という語句の定義が、資料の著者、ディベーター、さらには小泉純一郎前首相、いずれによっても明らかにされておらず、この語句の意味は、読み手の勝手解釈に委ねられることになる。

○とすると、3)の文において、「構造改革のうち、とりわけ早急に取り組むべき『政府の改革』」もまた、読み手の解釈に委ねられることとなり、結果、狭義の「構造改革としての『行政府』の改革」、広義の「構造改革としての『統治機構』の改革」、いずれの解釈も成立すると考えざるを得ない。


【質問2に係る個人的見解 ~ 主人が、広義の解釈/統治機構の方を選好する理由】

○一見したところ、3)の文の「政府」の改革は、2)で例示された行政改革を含む構造改革の要素の特出しなのだから、行政改革=「行政府」の改革と理解してよいのではないか、と思われた。しかし、それら語句の修飾語句を見ると、そう話は簡単ではなくて・・・

 2)「小さな政府」実現をめざした行政改革 
 3)国内外の課題に対して、的確かつ迅速な対応を可能とする政府の改革

とある以上、2)の行政改革=3の「行政府」の改革とするには、大いに躊躇する。「小さな政府」論が主張するのは政府の規模の縮小であり、的確かつ迅速化という働きは、その範疇に入るとは思えず、それぞれ独立の要素であると思われるからである。

○とすると、3)において、「政府」を「行政府」とする解釈はとりにくい。結局、2)の行政改革は構造改革の例示に過ぎず、かつ、3)の「政府」の改革は、構造改革の中で特に早急に取り組むべきものであるとはいえるものの、それぞれ客観的定義不在の「構造改革」の一要素・一側面であるということが言えるだけであって、両者が等値であると理解しづらい。換言すれば:

 「小さな政府」をめざす行政改革 ⊂ 構造改革
  的確・迅速対応のための政府の改革 ⊂ 構造改革

  が成立していたとしても、

 「小さな政府」を目指す行政改革 = 的確・迅速対応のための政府の改革

  が成立するとは【限らない】ということだ。

○さらに申さば、2)で例示されている行政改革をはじめとする「構造改革」の課題は、いずれも行政府の中で収まる改革とは、とてもではないが思われない。いずれも、まごうことなき統治上の改革問題である。

<行政改革>

○行政改革は実は統治の問題であるということは、政治学徒には容易に知れる。主人は、以前、産経新聞の懸賞論文で「行政改革の遅滞は、本質的に、政党間の競争メカニズムの不全=政治プロセス上の欠陥に起因する」と論じたことがあるくらいであり、行政改革は「行政府を改革するもの」であったとしても、政治プロセスの改革が必然的に付随すると承知している。

○また、日本経済新聞2009年6月4日の経済教室、薬師寺泰蔵先生の「再考ー厚労省分割論議1:政策にもイノベーション」では、厚労行政は単なる組織再編では再生せず、政治のファクターを入れていかなければ上手くいかない、との趣旨の主張がなされている。

<財政・税制>

○財政・税制しかり。消費税の税率引き上げ問題ひとつをとっても、行政府内の利害調整だけでは改革が上手く進まないのは明らか。マニフェスト選挙というのは、国民的合意を調達するための一つの方法であるが、そのような「政策の決め方」において、政治の主導による「決め方上の工夫や革新」が決定的に重要になる。

○政治理論的にも、この問題には根が深いものがあり、政治経済学者のブキャナンやタロックによれば、政府の際限なき財政拡大を抜本的に制御するには、憲法にまでさかのぼって縛りをかけることが必要不可欠になってくる、という議論があるくらいである。

<社会保障、教育>

○社会保障、教育もまた同じ。影響が世代間を越えて及ぶような長期的な政策課題の場合、短期的な争点選択はなじまず、じっくりと国民的合意を形成することが必要になる(この点、現在の与野党とも、アプローチを誤っている、と主人は思う)。年金制度の改革などでは、超党派の協議会を設定することが外国で行なわれているように、この改革を進めるには政策の「決め方」から工夫・改革することが必要になる(事実、我が国でも、年金制度の改革にあたって、与野党間の協議が行なわれようとした・・・党派的対立によって水泡に帰したものの)。教育問題においても、教育基本法の改正が問題になる場合などには、同様の取組みが必要になってくると思われる。

結論

○このように、つらつら考えてくると、狭義の解釈を支持すべき積極的な理由は見当たらず、逆に広義の解釈を支持する根拠が上記のごとく考えられる以上、3)の文における「構造改革の一側面たる『政府』の改革」とは、「行政府」の改革ではなく、「立法や司法をも含む統治機構」の改革であると、解釈したくなるのである。仮に資料の著者が、3)の文において、「政治の改革」が「行政府の改革」を意味しようとしたのであるならば(←これは、直接インタビューでもしない限り、知る由もないが)、主人が為したような「誤読」が生じないよう、端からそう書いておけばよかったのに、と思うくらいである。

***

誤解なきように繰り返しておく。

上記は、資料を眺めた結果として至った、主人なりの解釈にすぎない。これが唯一絶対の解釈などとは死んでも言わないし、「標準解釈である」などと主張するものでも、さらさらない。

人によって解釈/受け取り方が異なるのが普通の姿である。他の方から見れば、主人の受け止め様は、所詮「そう解釈できないこともない」程度のレベルなのかもしれないのであって、皆さんにおかれては、放っておくとこの資料をこのように解釈してしまう政治学徒もいるのだなぁ、とでも思っておいて頂くのがよいと思う。


【さて】

放置しておくと、証拠資料を上記のように勝手に解釈してしまう受け手(審判かもしれないし、主人のような第三者的傍観者かも知らぬ)がいるということが、これまでに明らかになった。

では、ディベーターは、そのような解釈をする人の認識を、自らの議論・説明によって、どのように制御することができたのか。

この点に関して問題となるのは、

☆ 中略「なし」、すなわち証拠資料が原典どおりに引用されていた時と、中略「あり」の時との文意上の「差」が、どのように発生しうるのか、

ということであり、

☆ 否定側、肯定側は、「差あり→文意に変動あり」もしくは「差なし→文意に変動なし」を、それぞれ、どのように説明することが可能であったのか、

ということである。

次回以降、質問3、質問4の検討を通じて、それらについて考えながら、あわせて、どのように議論して欲しかったかという主人の感想も申し述べてみたい。

【解釈に係る雑感1-4】 苦言を少々

2009-06-11 21:39:29 | ディベート
否定側から肯定側の資料改変の可能性が示唆されたのは、否定側質疑の場面であった。

否定側は、以下のように問いかけた

●否定側質疑
「重要性二点目の資料の[中略]部分には、「「小さな政府」実現を目指した*行政改革*をはじめとする…[強調は私がつけました]」という記述がありますが、ここを飛ばした意図は何ですか?」

これに対して、肯定側は、このように答えた。

●肯定側応答
「立論の文字制限上、こちらの都合で中略しました。 中略をしてもしなくても、私達の主張の根拠となることにかわりはないと考えます。」

これを受けて否定側は、立論において、以下のように申し立て、資料改変問題の口火が切られた。

●否定側立論 
「最後に肯定側資料の歪曲について。肯定側立論重要性二枚目の資料では、中略部分で「行政改革をはじめとする…」という文言があります。これを意図的に飛ばすことは、著者の意図を歪曲しています。肯定側は「中略しても意味が変わらない」などと言っていますが、この中略は、行政改革なしに、あたかも立法の改革だけで、理想的な政府ができると見せかけ、否定側の反論機会を奪う、極めて悪質な歪曲であり、甲子園ルール細則C-1-6に基づき肯定側を敗戦とすべきです。 」

*****

中略の有無による意味の変動についての検討は、あとでじっくり考えるとして、ディベートの運びに関して、いくつかコメントしておきたい。少々の苦言を含むので、御容赦被下度。

○不思議なことに、この試合では、当該中略の有無による意味の変動に起因する証拠資料の当否が論点となっているにもかかわらず、否定側、肯定側とも、試合中の議論として、その中略部分を引用していない。第三者としては、否定側の問題提起によって、「中略しても意味が変わらない」かどうかを、検証したいという気になったのである。その検討素材となるデータを示してくれないのは、まったくもって解せない。

○確かに、今回のオンラインディベートは、証拠資料の出典リンクを明らかにするという約束のもとに試合が進行しているので、第三者は、いつでもアクセスして、当該資料の中略部分に何が書かれていたかを、別途確認することはできる。また、ディベート甲子園の通常の試合においても、審判は準備時間あるいは試合終了後に証拠資料を適宜請求して、自ら確認することができる。審判が勝手にチェックすればよい、との考え方は、ありうる。

○しかしながら、試合中の議論の一環として、中略部分を引用・提示したうえで、自説を展開する方がはるかに優る(文字制限がきついのは、よく理解するし、それを承知の上で申し上げている)。審判は、資料を自ら見られるのだから、どうぞ勝手にご確認くださいというのでは、それこそ審判に勝手に解釈されてしまう危険性がある。

そもそも自らの言説で、審判の認識を制御=説得してこそのディベートである。

問題となっている中略部分を試合中に提示した上で、主張を展開しないのは、悪く言えば、説明放棄に近い。

○第三者が自ら中略部分を確認しなかった場合、中略部分に関わる情報として、試合中で提示されている情報は、

(否定側立論) 中略部分で「行政改革をはじめとする・・・・」という文言があります。

(肯定側第1反駁) 中略には”行政改革をはじめとする”という言葉が入っていますが、立法過程の改革は不要だ、ということまでは述べられていません。

(否定側第2反駁) 肯定側資料の中略は、行政に関する話を隠蔽し「行政改革無しには事態が改善しない」という反論の機会を奪う意図があったと取られても仕方のない省略です。

・・・といったところしかない。いずれも中略文の一部のみが言及されているため、自己に都合の良いように、つまみぐいをしているかのような印象を禁じえない。望むらくは、肯定・否定双方とも、中略部分の全文を示した上で:

「【この文】を中略することによって、これこれこのような理由により、文意が変わったといえる⇒ゆえに歪曲である」

もしくは

「【この文】を中略しても、これこれこのような理由により、文意は変わらないといえる⇒ゆえに歪曲にはあたらない」

などと、言葉を尽くして説明して頂きたかった、と強く感じる。

***

さてさて、中略部分には、いったい何が書かれていたのか。

【解釈に係る雑感1- 3】 質問1の検討

2009-06-10 23:30:44 | ディベート
まず、質問1を再掲しておこう。

●問い(1)~「中略あり」バージョンの場合

以下の引用文を読まれたい。

1)グローバリゼーションが拡大・深化するなかで、人口減少や急速な少子・高齢化社会を迎える日本は、健全な経済社会を構築し、次世代に引き継ぐことが不可避の課題となっている。
2)(中略)
3)特に、グローバリゼーションがもたらす多様かつ複雑な国内外の課題に対して、的確かつ迅速な対応を可能とする政府の改革に早急に取り組むべきである。

質問1: 上記、問い(1)の文章において、「政府の改革」は何を意味するのか。また、そのように考えられる理由は何か。

***

【検討】

1)の文については、特にいうべきことはない。「日本は、健全な経済社会を構築し、次世代に継承することが課題だ」というだけである。

3)の文について。

・2)の部分に中略があるため、「特に」という語句が、浮いて見える。1)の文の「不可避の課題」に係るかもしれないし、2)の中略文のどこかに係るかもしれない。

・ただ、いずれにせよ、「国内外の課題に対して、的確かつ迅速な対応を可能とする」ような『政府の改革』とは、課題に対応する主体たる「政府」に関する「改革」を推進すべきだ、と資料は主張しているように読める。

・で、問題となるのが、資料上の「政府」が何を意味するかである。しかし、この時点では、「政府」の定義が与えられているわけではないので、読み手が自らの論理に従って解釈するしかない。

・通常、「政府」は、狭義の解釈である「行政府」、もしくは広義の解釈である「行政の他、立法・司法を含む統治機構」という、2つの意味にとれる。いずれの意味をあてはめても、それなりに論理は通る。ということは、どちらの解釈も合理的に成立していると言ってよい。

【質問1に係る個人的見解、及びその後の展開】

個人的な印象としては、【理由】国内外の課題に対して、立法府の仕事である法制度の導入・変更ぬきに「行政府だけ」が対応するというのはちょっと考えにくいし、我が国は議院内閣制をしいており、政治・行政が一体化しているところに特徴があるという点をも勘案すると、【結論】ここは後者、すなわち「統治機構」を指すものとして、「政府」という語句を解釈した方が良いのではないか、と、この時点では思われた。

ここで、否定側の指摘により、(中略)部分の内容が明らかにされた。

かくして論争が始まった。

【解釈にかかる雑感1-2】 問題の所在

2009-06-09 23:51:40 | ディベート
中略の有無によって、何が、どう問題となったのか。

以下、問題の所在が明らかになるよう、関連する情報を問いかけの形で再構成してみよう。

●問い(1)~「中略あり」バージョンの場合

以下の引用文を読まれたい。

1)グローバリゼーションが拡大・深化するなかで、人口減少や急速な少子・高齢化社会を迎える日本は、健全な経済社会を構築し、次世代に引き継ぐことが不可避の課題となっている。
2)(中略)
3)特に、グローバリゼーションがもたらす多様かつ複雑な国内外の課題に対して、的確かつ迅速な対応を可能とする政府の改革に早急に取り組むべきである。

質問1: 上記、問い(1)の文章において、「政府の改革」は何を意味するのか。また、そのように考えられる理由は何か。

●問い(2)~「中略なし」バージョンの場合

同様に、以下の引用文を読まれたい。

1)グローバリゼーションが拡大・深化するなかで、人口減少や急速な少子・高齢化社会を迎える日本は、健全な経済社会を構築し、次世代に引き継ぐことが不可避の課題となっている。
2)したがって、「小さな政府」実現をめざした行政改革をはじめとする財政・税制、社会保障、教育などの構造改革への手綱を緩めてはならない。
3)特に、グローバリゼーションがもたらす多様かつ複雑な国内外の課題に対して、的確かつ迅速な対応を可能とする政府の改革に早急に取り組むべきである。

質問2: 上記、問い(2)の文章において、「政府の改革」は何を意味するのか。また、そのように考えられる理由は何か。

●問い(3)~中略により文意が変化したとする主張について

上記、問い(1)および問い(2)の文章をあわせて見て、以下の主張がなされた。

肯定側は「中略しても意味が変わらない」などと言っていますが、この中略は、行政改革なしに、あたかも立法の改革だけで、理想的な政府ができると見せかけ、否定側の反論機会を奪う、極めて悪質な歪曲であり・・・(後略!)

質問3: この主張の背後には、中略の有無によって文意が変化するという認識が主張者にあることが伺える。このとき、問い(1)から問い(2)にかけて、文意におけるどの部分が、どのように変化したと考えられるか。その理由は何か。特に、文中の「政府の改革」という語句について、どのような意味上の変化が生じたと考えられるか。その理由は何か。

質問4: 質問3に対して、問い(1)から問い(2)にかけて文意は概ね変化していないと主張することは可能か。可能である場合、どのような説明・理由付けが考えられるか。

さて、検討の土台は整った。順番に考えていくことにしよう。

【解釈にかかる雑感1】 その1・発端はオンライン・ディベート

2009-06-09 21:48:25 | ディベート
平成21年度のディベート甲子園論題によるオンラインディベートが終了し、審判による講評・判定までが公表されている。(本件、業務繁多により、何もお手伝いできなかった点、運営者の方に、お詫び申し上げる。ごめんなさい>Nako-P先生)。

この試合、ディベート甲子園関連の事例としてはめずらしく、証拠資料の扱いについて、より正確には証拠資料の改変についての議論があった。この不当資料の使用により、肯定側が敗戦と判断される可能性すらあったところ、結果、当該資料は判定材料から削除されるに至った。

この問題については、審判と当事者の方が感想戦を行なっておられるほか、論理学の専門家である審判と、法務博士でもある気鋭のディベーターが、盤外で意見を交換しておられるのも興味深い。

件のオンラインディベートにおける証拠資料改変問題は、以下のような展開を見せた。

・肯定側立論の重要性の箇所において、(中略)を伴った証拠資料が提示された。
・否定側質疑により、当該中略を行なった理由が質された。
・否定側立論および第1反駁の中で、当該中略は、肯定側有利の文意を表出させうる改変であり、ルールに照らして敗戦が相当である旨の主張がなされた。
・肯定側は、第1反駁にかけて、この中略によっても文意の変化は生じない旨を主張した。
・否定側は、第2反駁で、文意の改変がある旨を前提として、肯定側敗戦ないし当該資料の削除を求めた。
・肯定側は、第2反駁では、この問題に対する特段の言及が行なわれなかった。
・試合が終了し、審判の方は、否定側の主張を概ね受け入れ、敗戦には至らないものの、問題となった証拠資料は判定考慮から除外するとの判断をくだした。

この試合、当初より注目していた試合であり、議論の展開を「第4者」として、眺めさせていただいていたのだが、証拠資料の改変問題についての議論は、肯定側・否定側とも、そこはかとなく、説明不足の感が否めなかった。

念のため、申し上げておくが、ここでは、審判の方の裁定を論おうというような意図はまったくない。判定は判定として受け入れられるべきものであり、内容としても妥当な結論であるように思われる。

主人が、以下考えたいのは、「解釈」の面白さと、特定の解釈の妥当性を人に伝えることの難しさについてである。

次回、より詳しくこの証拠資料改変問題を振り返ってみよう。

【予告】 「解釈」にかかる雑感2題

2009-06-05 22:12:31 | ディベート
これは「解釈」の問題である。

解釈とは、「読み手の論理に従って、ある文や語句の意味を読み取ること」である。

意味とは、「文章や語句が示唆する具体的な事柄や概念」である。

最近、とはいっても、先月来、卓越した論客によるディベートに関する議論が、主人の関心をひいた。これらのことについて、本当にいろいろと考えさせられた。この際、この場で考えを申し述べたいのは次の2つの題材である。

雑感① 「政府の改革」に係る狭義及び広義の解釈の件~行政府なのか、統治機構全体なのか。

雑感② 「日本政府」を「うるし塗りの食器棚」へと変換する解釈は、「削り節」が「ひげを剃った魚」になるのと同類であるという件

暫定的な、主人の結論は以下の通り。

A 文脈に照らして明らかな論理の破綻が出来するような解釈は、「誤読」の謗りを受けてもやむをえない。仮に、私益に動かされて確信的に誤読を試みる輩がいるなら、嘲笑を以って報いるのが相当である。

B 一方、ある一つの解釈に対して、別の論理による整合的な解釈が成立することも往々にしてある。その際、自らが適切と考える解釈の妥当性を第三者に説得的に伝達するのは、実は相当に骨の折れる仕事となる。

「特定の解釈の第三者への説得の大変さ」という問題は、雑感①で扱う。

「誤読の謗り」についての問題は、雑感②で扱う。

以下、項をあらためて論ずる。