いちごT・うるしT問題は、もともとは、先にJDA(日本ディベート協会)のメーリングリストで話題になったものである。何が問題なのかについては、愚留米氏が、当たるを幸いなぎ倒さんばかりに力強い論旨をもって論陣を張っておられるので、詳しくはそちらをご参照いただくとして。
Tとは、Topicalityの頭文字で、トピカリティ(論題充当性もしくは命題性)の議論の通称である。
いちごTとは、英文の論題の特定の「一語」の定義を論ずるようなTの議論であるが、揶揄の意味を込めて「苺」の含みがにじむよう(要は洒落です)、ひらがなで表記されることが多い(と理解している。誤解があればご指摘頂ければ幸甚)。
うるしTとは、いちごTの一種であるが、できの悪い方に分類されるもので、論題上の「Japan」を「うるし」と曲解するような(その解説は後日に譲るが)トンデモナイ議論である。
愚留米氏の論考によれば、主に英語会系のディベーターは、以下のようなスタンスを持っていると整理されている。
>これに対するJDA-MLの英語ディベーター(ほとんどは年長のOB)の反応は概ね2種に分かれており、第一の見解は「議論を出すのは自由であり、制限すべきでない」という方向、第二の見解は「馬鹿げた議論ではあるが、母国語ではないので限界もあるのではないか(後段の点については論者により濃淡があります)」という方向でした。
主人の立ち位置が、どちらに類型化されるのか良くわからないが、まずは、いちごT/うるしTに対する主人の見解を表明しておきたいと思う。
●いちごTにも妥当なものがありうるので、一概には否定しない。
●ただし、うるしTに代表されるような「妥当ではない、出来の悪いいちごT」は採用できない。うるしTは、論題解釈の議論=論題充当性の議論として、そもそも成立していないからである。
●主人、ディベーターが愚かな議論を展開することそのものは否定しない。試合において展開する議論の取捨選択はディベーターの自由に属する事項だからである。
●しかし、もしうるしTを主人に対して提出するならば、それを採用しない(成立していない議論など、採用できる訳がない)のみならず、「爆笑」して差し上げたいと思う。そうして、規制によらずして、うるしTを駆逐していくのが常道だと思う。
●一方、本来うるしTを投票事由とすることはできないにもかかわらず、もしうるしTを投票事由とする審判がいるなら、それは大問題だといわねばならない。
愚留米氏の類型の用語に沿う形で換言すれば、こういう風になろう。
1)馬鹿げた議論であっても、議論を出すのは自由。制限すべきではない。
2)馬鹿げた議論は、馬鹿げた議論だということを、きちんとディベーターに認識させてあげればよいだけの話。具体的には「鬚を剃った魚」並みの恥ずかしい議論なのだという旨を、ジャッジは嘲笑あるいは爆笑とともにフィードバックするのが良いだろう。
3)日本語だろうが、英語だろうが、ディベートにおいて、かりそめにも成立していない馬鹿げた議論を投票事由にするなどは論外。ジャッジとしての見識が問われる。
根本的には、3の点が重要である。本来あってはならないが、馬鹿げた議論で勝たせてしまうジャッジがいるがゆえに、ディベーターはその馬鹿げた議論をやめないというのが、病巣の中核であるように思う。淘汰されるべき議論が淘汰されないのは、その任に当たる人の職務怠慢だということだ。
次回以降、より詳しく、主人の所感を申し述べる。
Tとは、Topicalityの頭文字で、トピカリティ(論題充当性もしくは命題性)の議論の通称である。
いちごTとは、英文の論題の特定の「一語」の定義を論ずるようなTの議論であるが、揶揄の意味を込めて「苺」の含みがにじむよう(要は洒落です)、ひらがなで表記されることが多い(と理解している。誤解があればご指摘頂ければ幸甚)。
うるしTとは、いちごTの一種であるが、できの悪い方に分類されるもので、論題上の「Japan」を「うるし」と曲解するような(その解説は後日に譲るが)トンデモナイ議論である。
愚留米氏の論考によれば、主に英語会系のディベーターは、以下のようなスタンスを持っていると整理されている。
>これに対するJDA-MLの英語ディベーター(ほとんどは年長のOB)の反応は概ね2種に分かれており、第一の見解は「議論を出すのは自由であり、制限すべきでない」という方向、第二の見解は「馬鹿げた議論ではあるが、母国語ではないので限界もあるのではないか(後段の点については論者により濃淡があります)」という方向でした。
主人の立ち位置が、どちらに類型化されるのか良くわからないが、まずは、いちごT/うるしTに対する主人の見解を表明しておきたいと思う。
●いちごTにも妥当なものがありうるので、一概には否定しない。
●ただし、うるしTに代表されるような「妥当ではない、出来の悪いいちごT」は採用できない。うるしTは、論題解釈の議論=論題充当性の議論として、そもそも成立していないからである。
●主人、ディベーターが愚かな議論を展開することそのものは否定しない。試合において展開する議論の取捨選択はディベーターの自由に属する事項だからである。
●しかし、もしうるしTを主人に対して提出するならば、それを採用しない(成立していない議論など、採用できる訳がない)のみならず、「爆笑」して差し上げたいと思う。そうして、規制によらずして、うるしTを駆逐していくのが常道だと思う。
●一方、本来うるしTを投票事由とすることはできないにもかかわらず、もしうるしTを投票事由とする審判がいるなら、それは大問題だといわねばならない。
愚留米氏の類型の用語に沿う形で換言すれば、こういう風になろう。
1)馬鹿げた議論であっても、議論を出すのは自由。制限すべきではない。
2)馬鹿げた議論は、馬鹿げた議論だということを、きちんとディベーターに認識させてあげればよいだけの話。具体的には「鬚を剃った魚」並みの恥ずかしい議論なのだという旨を、ジャッジは嘲笑あるいは爆笑とともにフィードバックするのが良いだろう。
3)日本語だろうが、英語だろうが、ディベートにおいて、かりそめにも成立していない馬鹿げた議論を投票事由にするなどは論外。ジャッジとしての見識が問われる。
根本的には、3の点が重要である。本来あってはならないが、馬鹿げた議論で勝たせてしまうジャッジがいるがゆえに、ディベーターはその馬鹿げた議論をやめないというのが、病巣の中核であるように思う。淘汰されるべき議論が淘汰されないのは、その任に当たる人の職務怠慢だということだ。
次回以降、より詳しく、主人の所感を申し述べる。