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ひつじ飼いのキノコ岩との日常

家庭の事情から、トルコ国内のすったもんだまでw

久しぶりに、オテント様~♪

2015年02月21日 21時16分13秒 | ペット
今日は~!
久しぶりに、晴れっ!!!

きゃ~!
晴れだ~♪
気持ちいい~♪


やっぱ、人間。
オテントウ様を
拝むと

気分が
違うってもんだよね~♪


表は、相変わらず
雪がてんこ盛りでw

どこのスキー場かと
思ってしまうけどww

でも。
晴れで見る雪は
気持ちいい♪

キレイ、と
感じる余裕が出る、ってもんよ~w


現金なもんでw
天気がいいと、

スズメさん達も、
あんまり来ない、とみえるww

い~の。
い~の。

食べ物が見つかるなら
それに越したこたあ、ないってw

お日様ぽかぽか
なので。

久しぶりに
おかめさんずも、日光浴ww


フサーメッティンは
すぐに、こんもり、丸くなったw

ジミーは
野生生活が長かったからか?


結構、平気な顔して
ケージの中を、ウロついてるw

とにかく、
毛が抜けるからw

たまには、表で
どっさり、抜いてもらってww

もう。
抜け毛掃除にも、そろそろ

嫌気がさしてきたんで
ござんすよ~(泣)

そういえば。
冬眠中の、亀さんずは

最近、様子を
見てなかったけど、どうしたかな?


おお、なんとw
2匹とも、

ちっこいおメメを
開けておられるぞ~。

しかも。
微妙に、動き回ってる。

そろそろ
冬眠から、覚める時期かな?

やっぱ。
人間でも、動物でも。

暖かくなってくると
体でわかるもんなんだよね~。


ココロモチ。
2匹とも、冬眠前よりも

体がひとまわり
大きくなってるような気がするw
結構、結構~。

って。
何か、微妙に

ずこー、ずこーって
音が聞こえる???

体が大きくなると
呼吸音まで、大きくなるもんなのか???

…と思ったら。
隣のソファで昼寝してる

次男のイビキだったw
がくw





本日も、お付き合いいただいて
ありがとうございます。

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あ~あ。またも、溜め息…(爆)

2015年02月21日 07時55分29秒 | 子ひつじ~ずの事
どうも、昨日は
後味の悪い事件が
起こりやした。

午後9時頃
でしょうか。

我が家の側に住んでる
義兄3号から、
電話がきやした。

「いちごを買ったから
子ひつじ1号に、取りに来させにおいで」
と。

子ひつじ1号に
電話を渡すと

「はい、もしもし…ごにょごにょ…」
と。

何か、
喋っておりやした。

わしは、そのまま
居間に戻って、テレビを見ていたのだけど。

30分もたって
コマーシャルになってから。

長男のところに言って
「おじさん、何って言ったの?」
と、聞きやした。

さっきは、問題集を
解いていた長男は

すでに、布団にくるまって
もぞもぞしているww

「う~ん。うちの分も、イチゴ買ったから
取りに来いって、いうんだけどさ~。
俺、もう、眠いし、行きたくないよ~。
外は、雪も降ってるしさ~」

窓の外に目をやると
確かに、また雪がちらほら。

雪の中、行かせるのも
カワイソウになって

「う~ん。まあ、それなら、もう寝たって
言っとくから。明日、行きな」

「はいはい。わかったわかった。」

耳にイヤホンを
つっこむと

長男は、くるり、と
背中をむけて

もぞもぞと、また
布団の中に潜ったのどす。

案の定、それから
30分もすると。

またまた、
義兄から電話。

「取りに来ないの?」

「いや。お義兄さん。申し訳ないんですが、長男、眠いって
寝ちゃったんですよ。明日にでも、取りに行きますから」

「ああ、そう。それは、カワイソウだね。寝かしてあげて」

こう言って
義兄は電話を切りやした。

ところが。
それから、30分もたたないうちに

今度は、長男が
むっくり起きてきたんすよ。

「俺、ちょっと、表に行って来るから」

「はあ?何言ってんの?あんた?もう、11時近いじゃん。
しかも、外はガンガン、雪降ってるし!外出なんて、やめなさい!」

「どうしても、友達に、お金を渡さなきゃいけない
用事があるんだよ!何が何でも、行くよ!

「ダメです!」

「行くよ!」

「ダメ!」

「行く!!」

しばらく
押し問答をした後に

「うるせ~な~!お母さんの言うことなんか
聞いたってしょうがねーよ!!」

と。
長男、乱暴にドアを開けると

ばたばたと、
表に出て行っちまいました。

わざと、ひつじ飼いに
反抗して

こういう言動を
取っているのは、わかっていながら。

やっぱり。
むっか~…と、

ふつふつ、
怒りがこみ上げてきて。

帰ってきたら
ど~してくれよう、と考えていると。

突然、
家の電話が。

何と。またまた
義兄から。

「もしもし。子ひつじ1号、今、家に居る?」

「…いえ。私とケンカした後、出て行きました」

「どんな上着、着てたの?」

「ええっと…茶色っぽい、ジャケットかな?」

何で、そんな
変なことを聞くんだろう?と
思いつつ

問われるままに
答えていると。

「多分ね。僕、さっき、子ひつじ1号を
見たんだよ。」

「はあ?」

「しかも、タバコ、ぷかぷか、ふかしてるところを!!」

「………(爆爆爆爆爆)…」

「おい!子ひつじ1号!って、声かけたんだけど
聞こえないフリして、逃げて行ったよ。
今、家に帰ってくると思うけど」

「大体、寝てたんじゃなかったの?何でそんな
ウソつくわけ?」

「あ、いえ!ウソじゃなかったんですよ!
さっきは、本当に、寝てたんですけど…。
何か、友達から電話がかかってきたみたいで
私とケンカして、家から飛び出して行って…」

と。
言い逃れ?をしてみたものの。

義兄、非常に怒っていて
人の言う事なんか、聞いちゃいない(爆)

「こんな年から、平気でぺらぺらウソついてる
なんて、先が思いやられるよね!」

「…(うっ…。と、ココロの声)」

なんか。
わしまで、ウソついたと
思われてるかも…。

とか言ってる間に
がちゃがちゃと、

表から、鍵を開けて
長男、登場。

「あんた、ちょっと!!おじさんが
アンタが外で、タバコ吸ってるの、見たって言ってるよ!」

「はあ?何のことだよ?!俺、
タバコなんて、吸ってないし!」

「本当の事、言いな!おじさん、見たって言ってるよ!」

「冗談じゃね~よ~!また、俺のこと
悪者よばわりかよ!俺は、吸ってねえってば!!」

と。
押し問答していると。

電話の向こうから
「もう、いいから。とりあえず、僕は切るよ!


義兄の声がして
がちゃ、つーつーつー…と

電話は
切れてしまった。

何か~。
わしが悪い事したわけじゃあ
ないのに~。

恥ずかしいやら、
悔しいやら。

当の本人は
さも、自分がいいことしたみたいに

えらそうぶって
ぶ~ぶ~、言ってるし。

「何だ、お前はーーーーー!!!」
って。

さすがに、
爆発したがな。わし。

「大体、おじさん所に
いちごも取りに行かなかったくせに

友達から電話来ると
表、ふらふら、出歩いて!!

あんた、おじさんに
どんなに失礼な態度、取ったと思ってんの!!

しかも、タバコ吸ってたって、
どういうことなのーーー!!!!!」

なんで、こう
へらへらしてるんだろ。この子供。

親戚、とはいえ。
義兄に、

そんな事言われるなんて。
そんな風に思われるなんて。

もう、何か。
超、感情が高ぶって

お前の顔なんか
もう、見たくないから、

さっさと自分の部屋でも何でも
行きなさいーーーー!!!

と。
ドエライ剣幕で、
怒鳴り飛ばしたなり。

さすがの長男も
わしが、本気で怒ってるのを見て。

これは、まずいと
思ったのか。

今度は、
ごろにゃん、ごろにゃん、
言いながら

「お母さん~。ごめんね~ってば。
もうしません~」
とか言って。

懐柔作戦に
打って出た。

わしにね~。
謝られてもね~。

あんたのせいで。
義兄に何を思われたか…(爆)

落ち着いて
話を聞いてみると

飛び出して
友達と会ったものの

タバコなんて
吸わなかった、とのこと…。

義兄を信じるべきか。
自分の子供を、信じるべきか…。

ああ、もう。
どうでもよくなっちゃって。

頭も痛くなったし。
そのまま、

布団かぶって
寝てしまったのでしたよ。

そのまま、おとなしく
寝ていりゃあ。

タバコ吸った疑惑を
かけられる事もなく

ウソついてまで
いちご、取りに来なかった、と

思われることも
なく

すべて、丸く
収まってたのに…。

何でこう、トラブルメーカーなんだろうね~!
この坊主わああああああ!!!


それ以降。
義兄から、電話は来ないし。

こっちも
連絡してない。

自分のダンナでも
ないし。

妙な言い訳したって
ますます、泥沼にはまるだけ、だから。

ここは、知らん振りして
黙っておくのが、上策とふんだ。

大体。
事件の張本人の
長男が

こんな、へ~らへら
してる状態で

わしが、何か言ったって
屁の役にも、たたんよ。

あ~あ~。
もう、そういう

子供じみた甘えが
通用しない年なんだ、って

いつになったら
わかるように、なるんだろうねえ~…。

なんか。
母ちゃん、ため息ばっかり。

いちご、
食べたかったなあ~www←どこまでも、イヤシイw



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バグダディは、いかに「バグダディ」になったのか。

2015年02月21日 01時35分40秒 | 事件・事故・宗教・政治


世界は、「新聞記者たちの斬首」と「女性の、奴隷市場での売買」で、
初めて、ISISの名前を耳にした。ISISで、虐殺命令を出しているのは、「見えない指導者」と
言われた。情報機関でさえ、1枚の証明写真でしか、見たことのない、この男は、2014年6月29日に、民衆の前に現れて、カリフ(イスラム教の指導者)であることを、宣言した。

2009年。イラクの、石油都市「バスラ」内の、海沿いの村「Um Kasr」にあった
アメリカの拘置所、「キャンプ・ブッカ」。刑務所を閉鎖して、イラク政府に、囚人たちを
受け渡す際に、「無罪放免」になった、一人のイラクの囚人が、キャンプ・ブッカの司令官、
ケネス・キング大佐に、「次は、ニューヨークで、お会いしましょう」と言った。
イラクのフセイン政権を転覆する、一端を担ったケネス・キング大佐は、この言葉の意味を
知るために、2014年6月29日まで、待たねばならなかった。

イラク内の、2番目に大きな都市「モスル」を制圧したISISは、モスクで、金曜日の礼拝を行っていた。説教のために、説教台にあがった、黒いターバンに、法衣をまとった男は、
「私に、重い責任と、聖なる任務が下された」という言葉で、カリフであることを、宣言した。
「アッラーの神は、我々に、敵と戦うことを、その名において、ジハード(聖戦)を行うことを、ご命令になられた」
と、言葉を続ける男の顔を、テレビカメラが至近距離から、とらえた時に、ケネス・キング大佐は、4年前に、理解できなかった、あの言葉を思い出したのだ。

イラクとシリア内の、大部分を支配下におき、2国間に、約3万の戦闘員を持つISISは、
石油埋蔵量が豊富であることで知られる、イラクで、2番目に大きい都市をも、手中にした。
モスルを制圧したISISは、中央銀行の金庫を襲い、1日にして、5億ドルの資金を手に入れた。
ISISはまた、イラク陸軍司令官を含めて、逃げ出した兵士たちが置き去りにした、すべての装備も、手に入れた。西側の報道陣は、3万人の戦闘員を抱え、世界のエネルギー需要に、重要な役割を果たすこの街を、一発の銃弾も撃たずに手に入れた組織のリーダーは誰なのか、興味を持って見守っていた。

*ズボンの代わりに、ブルカ

リーダーをよく知る者はいなかったが、ISISの敷いた規則や、その残虐な行為は、世に知られ始めた。モスル以前に、シリア北部の「ラッカ」も、ISISの手に落ちていた。シリア内でも、有数の美しい街として知られる「ラッカ」を、首都に定めたISISは、すべての女性に「ブルカ」(イスラム教の女性が着る、頭から足の先までを覆う、シーツのような衣服)着用を強制し、ズボンを禁止した。

市民は、姦通罪を言い渡された女性を、投石で処刑することに、協力させられた。
泥棒の手は切られ、ISISに反抗するものは、斬首されるか、磔に処せられた。捕虜にされた、西欧諸国の記者達は斬首され、その映像は、インターネットで、世界中に配信された。

*一人の男、三つの名前

世界は、モスルを手中に収めたのち、2014年6月29日の金曜礼拝で、「イスラム国」を建国したこと、カリフになったことを、知らしめた男とも、対面した。
自身を「カリフ・イブラヒム」と、紹介した男は、「エブー・ベキル・エル・バグダディ」と、呼ばれていた。本名は、「イブラヒム・アウワド・イブラヒム・アリ・エル・ベドリ・サマライ」であり、この男は、たった1枚の写真でしか、知られていなかった。この写真は、ケネス・キング大佐が指揮をとった、キャンプ・ブッカで撮影されたものだった。

世界が、たった1枚の、証明写真で見知った男、アメリカのケネス・キング大佐が、「次は、ニューヨークで、お会いしましょう」といった言葉で思い出した、「イブラヒム・アウワド・イブラヒム・アリ・エル・ベドリ・サマライ(イブラヒム・アリ・エル・ベドリ)は、イラク内の、スンニ派の多数居住する、「サマラ」の町で、1971年に生まれた。
バグダディとしての、人格が形成された、と思われる時期は、イラクの首都、バグダットの
「トブチ市」に住んでいた。大学に通うために、首都にやってきた、イブラヒム・アリ・エル・ベドリは、イスラム大学で、宗教学を学んだ。


*一間の家に、住んでいた

イスラム大学で、博士号を取得し、一時は、講師としても働いていた、イブラヒム・アリ・エル・ベドリの、バグダットでの生活は、その時期、親友であった「エブー・アリ・インリズ」氏が、テレグラフ新聞に、話している。
「大学生だった、イブラヒム・アリ・エル・ベドリは、バグダッドの、スンニ派、シーア派が共存する、トブチ市の、あるモスクに併設して建てられた、一間の建物で、暮らしていた。
イブラヒム・アリ・エル・ベドリは借家人で、モスクのホジャ(お坊さん)が、大家だった。
2004年まで、10年以上も、トブチ市で、住んでいたイブラヒム・アリ・エル・ベドリは、周囲には、恥ずかしがりやで、あまり目立たない、宗教関係人として、知られていた。お坊さんが不在の時には、モスクで、お坊さんの代わりも務めた、イブラヒム・アリ・エル・ベドリに関して、一番有名だったことは、市のサッカーチームの花形だったこと、だった。

*我がチームの「メッシ」だった

当時のチームメイトでもあった、エブー・アリ氏は「彼は、我がチームの、メッシだった」と、
話している。アマチュアトーナメント戦で、遠征した時の試合で、イブラヒム・アリ・エル・ベドリが、チーム内で、一番いい選手だったと、話すエブー・アリ氏は、「同時に、彼は、大変、博識な宗教学者だった、と言っても、誰にも信じてもらえないかも、しれないけど」と、付け加えている。

*人生を転換させた、ケンカ

将来、モスルで、自身を「カリフ・イブラヒム」と、宣言することになる、イブラヒム・アリ・エル・ベドリの、トブチ市での生活は、ある争いによって、終わりを告げた。モスクのお坊さんは、モスクへ礼拝に来る人々からも好かれる、イブラヒム・アリ・エル・ベドリを、自分が所属する、イスラム系政党の、党員へと勧誘した。
この時期、「自分たちがコーランの唯一の正しい解釈者であると信じ、穏健なイスラム教徒が不信心者であると考える過激派スンニ派組織」と、出会ったとされる、イブラヒム・アリ・エル・ベドリは、アッラーの神の教えに反する、として、この申し出を断った。
これに怒ったモスクの導師は、イブラヒム・アリ・エル・ベドリを、追い出してしまった。

エブー・アリ氏によれば、地域の、恥ずかしがりやで、博識な宗教学者でもあった、イブラヒム・アリ・エル・ベドリが、聖戦(ジハード)士たちと知り合ったのも、この事件がきっかけであった。後に、エブー・ベキル・エル・バグダディという名で、ISISのトップに立つことになる、イブラヒム・アリ・エル・ベドリが、自身に復讐することを恐れて、モスクの導師は、後に、家族と共に、国外脱出して、二度と戻ることは、なかった、という。

*温厚でおとなしい性格

テレグラフ新聞に、ISISリーダー、バグダディに関する情報を提供した、もう一人の人物は、大学の学友であった「アフメット・エル・ダバシュ」氏である。
アメリカの、2003年のイラク介入後、これに対抗する「イラク・イスラム軍」という組織のリーダーだったアフメット・エル・ダバシュ氏は、イスラム大学で知り合った、バグダディを、
こう紹介している。
「バグダディとは、バグダッドの、イスラム大学時代に知り合った。親友ではなかったが、同じ授業を、受講していた。温厚で、おとなしい性格だった。ほとんどの時間を、一人きりで、過ごしていた。(当時、自分は)ほとんどの、反抗勢力のリーダーたちと、知り合いだった。ザルカイ(イラクの、アルカイダ勢力の、故リーダー)などは、兄弟のようなものだった」

*4年間の拘留

バグダディが、聖戦(ジハード)士たちと、どうやって、コンタクトをとっていたのかは、よくわかっていない。一番、信用できそうなのは、イラクのテロリスト専門家「ヒシャム・エル・ハシーミ」の話だ。ハシーミによれば、バグダディが、ジハード戦士たちとの交流を持つきっかけは、アメリカが作った、という。2005~2009年の間、「Um Kasr」村にあった、アメリカの刑務所「キャンプ・ブッカ」に囚人として、拘留されていた、エブー・ベキル・エル・バグダディは、2万6千人の、他の囚人同様、拷問を受けた。バグダディは、アメリカ支配に対抗した罪で、刑務所に収容された。ただし、この4年間の拘留期間では、反乱分子としての、様相を見せなかった。というわけで、2009年に、刑務所が閉鎖される時に、釈放されたのだ。

*CIAとモサドの、生産物

丁度、この時点で、バグダディに関する、もう一つの「陰謀説」が、出現する。
アメリカ、欧州、イラン、クルド人、更に、シリア大統領、アサドまでも、一同に集める
この陰謀説は、イランの、英語放送をするテレビ局、「プレスTV」のインターネットサイトで放送された。
「エブー・ベキル・エル・バグダディは、誰か?」というタイトルの番組には、西側出身と思われる、ドクター・ケビン・バレッテ、という人物の協力がある、という。
イスラムや、アラブ世界に関する研究で知られる、バレッテ氏によれば、ISISと、リーダーのエブー・ベキル・エル・バグダディは、アメリカ情報局「CIA」とイスラエル情報局「モサド」の、共同プロジェクトである、というのだ。

*洗脳プログラム

バレッテ氏によると、アメリカ中央情報局「CIA」は、キャンプ・ブッカで、4年間に渡って、ISISリーダーの「エブー・ベキル・エル・バグダディ」に、特別な待遇をした。バグダディは、4年間、CIAの「洗脳プログラム」を受けた。1950年以降、CIAで「MK ウルトラ」という名称を持つ、「洗脳プログラム」を、適用された、と指摘する、ケイン・ベレッテ氏は、1960年以降、アメリカでは、時々、このプログラムが使われてきた、と主張する。
バレッテ氏によれば、CIAは、1968年に、洗脳した「サーハン・サーハン」という名前の男に、ロバート・F・ケネディを暗殺させた。ケイン・バレッテ博士は、他にも、900人以上の信者とともに、集団自殺した、ジム・ジョーンズの「人民寺院」というカルト集団も、CIAの洗脳プログラムが作り出したものだ、と指摘している。

*イスラム・バージョン

「プレスTV」の番組で、ケイン・ベレッテ博士は、「人民寺院」に酷似した、ある洗脳プログラムを、CIAは、ISISと「エブー・ベキル・エル・バグダディ」にも、適用した、と主張する。
ベレッテ氏は、自身を「イスラム教の指導者、カリフ」として宣言した、エブー・ベキル・エル・バグダディは、1978年に、ジョーンズ・タウンで911人の信者とともに、自殺した、ジム・ジョーンズの、イスラム・バージョンである、と言う。

*ザルカウィを、見本にしている

バグダディが誰なのか、ジハード戦士たちと、どうやって、交流をもつようになったのか、という話題で、もう一つ、別の主張を「al-monitor.com」というサイトで、「Bruce Riedel」という人物が、発表している。リーデル氏によれば、ISISの基礎を成した、イラクのアルカイダ組織を作った、ヨルダン人過激派イスラム組織の「エブー・ムサーブ・エル・ザルカウィ」と「エブー・ベキル・エル・バグダディは、親密な関係にあった。ザルカウィとバグダディは、アフガニスタンに行って、アルカイダの一員として、戦闘に参加した。二人は、ここで、アフガニスタン・タリバーンとも、良い関係を作った。
ただし、9月11日の攻撃後、アメリカのアフガニスタンの侵攻により、ザルカウィとバグダディは、イラクに逃げ帰った。

*2度の攻撃の後、リーダーへ

諸説が、何と言おうと、エブー・ベキル・エル・バグダディの、ISIS内での、急速な浮上は、2度のアメリカの攻撃が、原因となった。アメリカ占領時代に、イラクで行なった虐殺は、アルカイダリーダーの、ウサマ・ビン・ラディンからさえも、非難されたと言われる、ヨルダン人「エブー・ムサーブ・エル・ザルカウィ」は、2006年の、アメリカによる空爆で殺害された。イラク・アルカイダの、リーダーとして、ザルカウィの代わりに、「エブー・オメル・エル・バグダディ」が就任した。
ザルカウィの殺害後、深刻な勢力減退に陥ったイラク・アルカイダは、2010年まで、エブー・オメル・エル・バグダディが指導した。が、この男も、ザルカウィのように、アメリカの空爆により、殺害された。空爆後、新リーダーを選ぶために、イラク北部の「ニノヤ」で会合を開いた、イラク・アルカイダメンバーは、「エブー・ベキル・エル・バグダディ」を、新リーダーに選んだ。会合前には、あまり有力視されていなかったバグダディは、11人中、9人の票を獲得したのだ。

*ビン・ラディンの後継者

イラク・アルカイダ・リーダーになった、「エブー・ベキル・エル・バグダディ」は、アメリカの作戦により殺害された、アルカイダのリーダー、ウサマ・ビン・ラディンや、その後継者として選ばれた、「エイマル・エル・ゼワーヒリ」とは、違った戦術を、とるようになった。
バグダディは、アルカイダ・リーダー、ビン・ラディンや、ゼワーヒリのように、ビデオ・メッセージを、公表したりせず、写真を撮らせない。
会合にも、そのほとんどは、顔を隠した状態で、参加していた。こういう行動のお陰で、バグダディは「姿の見えない指導者」と呼ばれ、敵側からさえも、称賛されていた。
アメリカのワシントン・ポスト新聞の、コラムニスト「デビッド・イグナチウス」は、「アルカイダ・リーダー、ウサマ・ビン・ラディンの、真の後継者は、ISISリーダー、エブー・ベキル・エル・バグダディである」という文章を、書こうとしたほどだ。

*ISISが、シリア内戦を拡大させた

ISISが、アルカイダよりも、より大きな脅威になるにあたり、シリア内戦でも、大きな役割を演じるようになった。ザルカウィの殺害後、イラクで勢力を失った組織は、2011年に、シリアで内戦が起こると、そちらを注視するようになった。2011年夏に、8人の武装戦士が秘密作戦の任務を帯びて、イラクから、シリアへ入り込んだ。グループのリーダーは、エブー・ムハンメット・エル・クラー二であった。バグダディは、クラーニへ、シリア・アルカイダ・グループを作ることを、命じたのだった。

*ヌスラ戦線を創設

シリアで、アルカイダに所属する、「ヌスラ戦線」を創設した、イスラム過激派、エブー・ムハンメット・エル・クラーニは、組織の、イラクでの作戦は、ひとつも、シリアで実行しなかった。暴力からは、距離を置いた戦士たちは、人道支援活動を開始した。
「自由シリア軍」のような、反体制派が、アサド政権に対抗して、戦争を続ける中、エル・ヌスラ戦闘員たちは、戦争には参加せず、シリア国内の豊富な資源を手に入れるべく、作戦を開始していた。

*アルカイダとの意見の不一致

ただし、エブー・ベキル・エル・バグダディは、2013年4月に、シリアのエル・ヌスラ戦線の主導権を手中にすべく、アルカイダ・リーダーのエイマン・エル・ゼワーヒリを、激怒させる、発表を行った。
自身を、イラクとシリアの、アルカイダのリーダーである、と主張した、エブー・ベキル・エル・バグダディは、「イラク・シャム・イスラム国家」、すなわち、ISISの建国を宣言した。
バグダディの主導体制を拒否した、エル・ヌスラ戦線のリーダー、エル・クラーニは、ゼワーヒリの支援を受けた。この事件の後、ISISとアルカイダは袂を分かち、エル・ヌスラ戦線は、2派に分裂した。

*「国家」という約束

一部の戦闘員たちが、エル・クラーニに忠誠を誓う一方、サウジアラビア、リビア、ヨルダン、チュニジア、トルコ、そして西欧諸国から流れ込んだ、外国人戦闘員たちは、バグダディを選んだ。なぜなら、バグダディは、彼らに、一組織、ではなくて、「一国家」を約束していたのだ。
2013年5月に、シリアの油田都市「ラッカ」を、エル・ヌスラ戦線から、力づくで奪ったISISは、ここを、首都に制定した。インターネット上で、プロパガンダ活動をする、ISISへ、世界中から、ジハード戦士が、集まってきた。ISISは、ジハード戦士たちに、家族とともに、ラッカへやってくるように、よびかけていたのだ。

*外国人戦闘員という要素

シリアで、対アサド政権戦争から、距離を置いていたISISへ、欧州からだけでも、3000人の、外国人戦闘員が、参加した。短期間で、シリアで、8000人の武装勢力に成長したISISは、イラクにいる、1万5千人の戦闘員と合わせて、中ぐらいの軍事勢力になった。シリアで、
闇市場で売りさばいた石油により、1日、100万ドルの収入がある、と言われるISISは、湾岸諸国から提供された物質援助に助けられて、その勢力を、拡大していった。

*女性のための、奴隷市場

2014年2月に、イラクの、スンニ派勢力の要地、「ファルージャ」を制圧したISISは、6月には、1発の銃弾も撃たないまま、「モスル」も、手中に収めた。モスルのあとに、ケルクークと、その周辺の町や村へ攻撃を加えるISISは、イェジディ派の人間を、虐殺した。イェジディ派の男性を虐殺し、女性たちを、市場で奴隷として、売りさばくISISに対して、アメリカを筆頭にした、西欧諸国は、対抗勢力を編成せざるをえなくなった。

イラクの「モスル」を、いまだに手中に収めるISISは、急速に作戦を変更し、シリアの「コバニ」に住む、クルド人達に、攻撃を仕掛けてきた。ISISの攻撃後、およそ2万人のコバニ難民は、トルコへの避難を、余儀なくされた。
ISISリーダー、エブー・ベキル・エル・バグダディは、シリアで、反体制勢力を統一して、アサド政権に対抗する、一大勢力を作ろうとしている、と言われている。

バグダディの、この作戦に対して、アルカイダに所属する、エル・ヌスラ戦線が、共同戦線を張るために、ISISと、秘密裡に会合を持った。バグダディは、シリアで、アサド政権を転覆させてから、次のステップを踏み出すことを、目標としている。ISISの、イラクとシリアにおける、作戦行動に同調した、アラブ諸国の、他のイスラム過激派組織も、急速に、アルカイダから、離れて、バグダディに乗り換えを、すすめている。

*アフリカへも、広がっている

「アラブの春」の影響により、政権交代が実現したエジプト、チュニジア、リビアなどの国で、武装作戦を展開するイスラム過激派組織は、ISISリーダー、バグダディの傘下に入ることを、表明した。これらの国や、イスラム教徒の多い、スーダン、ナイジェリア、エリトリアなどの、アフリカ諸国で、アルカイダの影響力が衰える一方、ISIS勢力は、勢いをましてきた。一番最近では、リビアの湾岸都市「デルネ」を、手中に収めた、イスラム過激派組織が、ISISを侮辱するもの、および、アメリカに対して、1千万ドルの賞金をかけたバグダディを、「本物のリーダー」として認めるむねの、声明を出している。


2014年12月20日付
「NTV」インターネットサイトより。

本文を読みたい方は、こちらから。(ただし、トルコ語)
→→→http://www.ntv.com.tr/dunya/bagdadi-nasil-bagdadi-oldu,DQprNd9IekK4AKfy-ybYGw

少々、意訳・誤訳があるかもしれまへんが
ごカンベンを~ww




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