こんな本を読んでいる

日々出版される本の洪水。翻弄されながらも気ままに楽しむ。あんな本。こんな本。
新しい出会いをありがとう。

生き方~宇宙の流れと調和する

2007年08月14日 | 稲盛和夫の『生き方』に学ぶ
生き方―人間として一番大切なこと
稲盛 和夫
サンマーク出版

このアイテムの詳細を見る


blog Ranking   ガイダンス(目次)へ

 「運命と因果律。その二つの大きな原理がだれの人生も支配している。運命を縦糸,因果応報の法則を横糸として,私たちの人生という布は織られている。(P210)」

 「ここで大事なのは,因果応報の法則のほうが運命よりも若干強いということことです。人生を律するこれらの二つの力の間にも力学があって,因果律の持つ力のほうが運命のもつ力を僅かに上回っている。そのため私たちは,もって生まれた運命でさえもー因果応報の法則を使うことでー変えていくことができるのです。
 したがって,善きことを思い,善きことを行うことによって,運命の流れを善き方向に変えることができる。人間は運命に支配される一方で,自らの善思善行によって,運命をかえていける存在でもあるのです。(P211)」

 なぜ,因果律の方が運命よりも,僅かに上回っているのか。その理由を安岡正篤が紹介する『陰隲録』(いんしつろく。中国の明代にまとめられた書)のエピソードに求める。それは,運命のなすがままに生きようとする,ある地方政府の長官を名高い老子が一喝する場面。「若くして悟達の境地を得た人物かと思えば,実はオオバカ物であったか。ただ,運命に従順であるのが貴方の人生か。運命は天与のものであるが,けっして人為によって変えられないものではない。善きことを思い,善きことをなしていけば,あなたの人生は運命を超えて,さらにすばらしい方向へ変わっていくはずだ(P213)」

 『陰隲録』の挿話が,果たして,因果律の方が運命よりも上回ることの証明になっているかどうか。怪しいというのが率直な感想。だが,すんなりと納得はいかないものの,「天が決めた運命もおのれの力で変えられる」なら,随分,勇気付けられる。
 しかも,「運命と因果応報の法則は互いに綾をおりな」し,「原因と結果がピシッと等号で結ばれている。」そして,「短期的にはともかく,長期的には必ず善因は善果に通じ,悪因は悪果を呼んで,因果のつじつまはしっかりできているようにできている。(P216)」
 さらに,「長い目で見れば,やっぱり「因果はめぐる」のだと。善行が悪果で終わることはない。」「因果が応報するには時間がかかる。このことを心して,結果をあせらず,日ごろから倦まず弛まず,地道に善行を積み重ねることが大切なのです。(P218)」信じると救われる気がするがどうだろうか。

 最後に,「生命は偶然の重なりではなく,宇宙の意思による必然の所産」とみる。筑波大学名誉教授の村上和雄氏は,これを「サムシング・グレート」ととらえる。短絡に”神”,”神なるもの”といわないところが,おしゃれである。
 般若心経においても,「実は,あなたのいのちとは,宇宙大河の一滴のことなのだ。わずかの一滴ではあるけれど,その一滴がなければ宇宙大河はついに成り立たない。あなたのいのちの一滴は,宇宙大河を成し,宇宙大河はあなたのいのちの一滴に,依存している。(P32~33)」(新井満『自由訳 般若心経』)と,個と宇宙を,連綿としたつながりのあるものと捉えている。「サムシング・グレート」との一体化だ。

 「宇宙には創造主の手になる生命エネルギーが偏在していてあらゆるものに絶えず,”命”を吹き込んでいる。それはすべての存在を生かそうとする宇宙の愛と力の表れでもある(P224)」それでは,「宇宙の意思,創造主は何を望んで,私たちをこの世に生み出したのか。」「何度か述べてきたことですが,生まれてきたときよりも少しでも善き心,美しい心になって死んでいくこと。生と死のはざまで善き思い,善き行いに勤め,怠らず人格の陶冶に励み,そのことによって生の起点よりも終点における魂の品格を僅かなりとも高めること。それ以外に。自然や宇宙が私たちに生を授けた目的はない(P226)」
 結語は,少し,強引な気もするが,連綿と連なる「個と宇宙」の関係を思うと,我々とサムシング・グレートと絆は強いと想像できるし,静かに,かつ,力強く,生命のエネルギーが,我々を誘っているようにも思える。

 稲盛和夫著『生きる』は,いかがだったでしょうか。これで,この抜書きシリーズはおしまいです。

blog Ranking へ  ガイダンス(目次)へ

最新の画像もっと見る