生き方―人間として一番大切なこと 稲盛 和夫 サンマーク出版 このアイテムの詳細を見る |
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「第3章 心を磨き,高める」から。少し長いので,今日は,前編ということで。
「どんな人間の,どんな才能も天からの授かり物,いや借り物でしかない。(中略)おのれの才を「公」に向けて使うことを第一義とし,「私」のために使うのは第二儀とする。私は,謙虚という美徳の本質はそこにあると考えています。(P128~129)」
そして,人並みすぐれた能力を持つ,企業や官僚のトップや幹部に,汚職や不祥事が絶えないのは,「それは,才を私物化してしまったからにほかなりません。自分に備わる能力を点からの借り物ではなく私有物と考えて,功の利でなく,私利私欲のために発揮したからなのです。(P129)」
借り物だからこそ,より高い才を授かった人は,逆に,その才を社会に還元しなければならない。才に恵まれ,社会のリーダーたらん人には,高い徳が求められる。納得のいく話である。
さらに,現在の日本のリーダーの選び方の誤りに言及され,本来あるべき選び方が示唆される。私の尊敬するクロネコヤマトの小倉昌男氏(故人) の主張とも,軌を一にする考え方である。伊藤忠の丹羽さんもこれに近い立ち位置か?尊敬を集める偉大な経営者は,生き方・哲学のベースは同じということなのだろう。
「現在の日本社会についていえば,リーダー個人の資質というよりも,リーダーの選び方それ自体に問題があると考えられます。というのも私たちは,組織のリーダーというものを,人格よりも才覚や能力を基準に選ぶことを繰り返してきたからです。人間性よりも能力,それも試験の結果でしか表せない学業を重視して,人材配置を行ってきたといってもいい。(中略)戦後の日本を覆いつくしてきた経済至上主義が背景にあるのでしょう。人格というあいまいなものより,才覚という,成果に直結しやすい要素を重視して,自分たちのリーダーを選ぶ傾向が強かったのです。(P130~131)」
そして,西郷隆盛の「徳高きものには高き位を,功績多きものには褒賞を」と,明の思想家,呂新吾の「深沈厚重なるは,これ第一等の資質。磊落豪雄なるは,第二等の資質。聡明才弁なるは,これ第三等の資質。」(『伸吟語』一が人格,二が勇気,三が能力)を引用し,
「人の上に立つ者は才覚よりも人格が問われるのです。人並みはずれた才覚の持ち主であればあるほど,その才におぼれないよう,つまり,余人にはない力が誤った方向に使われないようコントロールするものが必要になる。それが,徳であり,人格なのです。(P131~132)」と説く。
さらに,「人の上に立つリーダーにこそ際や弁でなく,明確な哲学を機軸とした「深沈厚重」の人格が求められます。謙虚な気持ち,内省する心。「私」を抑制する克己心,正義を重んじる勇気。或いは自分を磨き続ける慈悲の心・・・一言でいえば,「人間として正しい「生き方」を心がける人でなくてはならないのです。(中略)そうした高潔な生き方を己に課すこと。それが人の上に立つものの義務,つまりノーブレス・オブリュージュというものでしょう。(P134)」
このことは,人並みはずれた才のある人だけに通用する話ではなく,大なり小なり,すべてのサラリーマンに当てはまる教えである。係長,課長,部長。役職の上下はともかくも,人の上に立つポジションにある人に共通の基準である。
しかし,現実には,人格高潔な先輩・上司が冷遇され,上に取り入ることのうまい輩が出世する事例がごまんとあり,そんな考えは甘い,それでは実社会は戦えないという主張もあるだろう。「ポジションを得なければ,そもそも地位も権限も伴わない。僕は,冷遇されているが人格は高潔ですといって通用するのか。それで誰がついてくる。」というのも一面,真理である。
が,己が生き様,内なる心の充実・充足という観点でとらえたら,どうだろう。地位が高くても尊敬されない人間が良いのだろうか。自分と真摯に向き合い,対話に対話を重ねたとき,浮かび上がる結論を尊重したいものである。