詐欺? 不信な内容のメールが増加

2024年08月26日 03時13分43秒 | 沼田利根の言いたい放題

1日、多い日で8回も、変なメールが送信されてくるのだ。

待ち合わせ場所の確認や、返信しないことへの相手の苛立ち!

そんなメールに対して、自分が返信しない当事者なら、送信相手への軽視、侮辱であるだろう。

だが、送信相手は全く未知の存在。

当然、無視する。

だが、女性からの「至急連絡してね!」と再度のメールがきたのだ。

最たる不信メールは、5億円が当たったとの、「おめでとうございます!」のメール。

応募したこともない、メールの空間での「宝くじ」なのだ。

思えば、カナダのある富豪の遺族の娘からの手紙も郵便で送られてきた。

その遺族の遺産の相続先に、何故か当方が選ばれのだ。

そんなことは、到底、ありえるはずがない。

「あなたは、幸運にもママから選ばれたのです!カナダで待ちしています」

その遺産は、何と日本でのレートで20億円!

とてもあり得ない高額だった。

「カナダまで、来てください。お待ちしています」遺族の娘からの2度目の手紙もきたのだ。

当然、当方は無視したのである。

「ママの願いなのに、なぜ?カナダまで、来られないのですか?とても残念です」娘さんからの3度目の手紙だった。

それは、20年前のことだった。

 


利根競太郎の競輪人間学 パソコンの誤操作

2024年08月25日 15時13分15秒 | 未来予測研究会の掲示板

先日、せっかく入力したのに、3万字以下にくださいの表示が出た。

「何で?」と確認したら、余計なデーターも、コビーされていたのだ。

その余計な箇所を削除していた、何と!全データまで削除され、再現できなくなる。

入力した内容は、裏目で4レースも続けて車券を外したレースの反省というか愚痴であった。

思えば、愚痴を並べても、読む人にとっては、つまらない内容だったので、時間をかけてまで再入力しての掲載はやめた。


人間が知恵を絞って問に向き合う過程こそが大事

2024年08月25日 11時25分31秒 | その気になる言葉

▼若い人から学ぶ姿勢が大切。

思考の柔軟性が失われがちな中高年者への教訓として使われる言葉だ。

だが、世代を超えて学び合うことができれば、個人の成長だけでなく、社会全体の活力アップにつながるだろう。

▼人間は、温かく接していくことが大事だ。温かく接すれば、必ず温かい組織、地域となるだろう。

▼人間が知恵を絞って問に向き合う過程こそが大事になってくる。

人生もしかり。

悩み、苦しみながら進む一歩一歩が、遠回りのようで結果的に真の成長につながる。

いかなる困難も不屈の信念で真っ向から挑みたい。


帯ちゃんねるず 【競艇・ボートレース】

2024年08月25日 04時24分20秒 | 未来予測研究会の掲示板
 
こんな、動画配信があったのか!利根競太郎は驚く。
伝説のギャンブラーの西剛のことが思いだされた。
彼は、元は自衛官で退職時点で2佐。
日本の戦前の軍隊なら中佐であろうか。
その彼は、麻雀の腕はプロ級。
さらに、カラオケもプロ並みのうまさであったのだ。
当時の大井競馬では、最高で2000万円をゲット!
また、平和島競艇では最高で700万円をゲットし、我々ギャンブル仲間を3人を連れて、
平和島からタクシーに乗り銀座の寿司屋へ向かう。
その後は、銀座のカラオケクラブへ。
店のホステスは全員元宝塚の人たちで、歌が誰もが並み外れた声量だった。
その後は、赤坂のナイトクラブへ向かったのだ。
 

川崎競輪S級決勝で34万4880円車券が飛び出す 人気の新田祐大は失格に

2024年08月24日 00時40分36秒 | 未来予測研究会の掲示板

8/23(金) 10:20配信 3連単は⑦-④-⑥で344,880円という配当で、186番人気の組み合わせ

役者が違う新田の完全V。焦点は相手探しとなるが、決勝で須永のスジは嫌う。単騎で動ける岩谷との力車券だ。

 

天候 曇/風速 1.5m




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 7 須永 優太   11.3    
× 2 4 柿澤 大貴 3/4車身 11.2    
  3 6 岸澤 賢太 3/4車輪 11.0      
4 2 岩谷 拓磨 2車身 10.9      
5 3 大矢 崇弘 1/2車身 11.3      
6 5 菊池 岳仁 1/2車輪 11.6   S  
1 新田 祐大       B  
 
2

未発売
2

4=7
1万500円(17)
3

4=6=7
3万2,610円(33)


4=6
2,590円(18)
4=7
650円(6)
6=7
2,760円(19)
未発売
7-4
3万2,420円(36)
7-4-6
34万4,880円(186)

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利根競太郎の競輪人間学  疫病神の存在

2024年08月24日 00時01分16秒 | 未来予測研究会の掲示板

「お父さんと、相性がよさそうだね」その男と利根競太郎が最初に出会ったのは、取手駅西口の駅ビルの入口であった。

それは、今年の初めで1月末のことだった。

ある時は、へりくだった態度で「先生」と声をかけてくるのだ。

生活保護を受けていることや刑務所を出て、保護観察の身であることを自ら明かす。

利根競太郎が、その男に酒をご馳走したことが、悪縁となる。

パチンコと競輪で、生活保護費を失うばかりの男は、常に利根競太郎を競輪場で待つ身となる。

「金を貸してくれ1000円でいい」と男からせがまれても利根競太郎は無視する。

だが、酒代だけは、男に度々与えたのだ。

当然、金に窮している男は、酒を欲して利根競太郎を待つ身となる。

男は、電車賃に余裕がある日は、取手競輪場ではなく、松戸競輪場まで足を向けて利根競太郎にまとわりつくのだ。

そこで、利根競太郎は、その男を避けて、特別観覧席をへ向かう。

当然、金に余裕がない相手の男は特別観覧席までは来ない。

その男が、平塚競輪まで行ったことを明かすのだ。

最近、まったく出会うことがない、利根競太郎の姿を探しにあの男が?平塚競輪までも行ったのか?と思いたくもなったのだ。

その男は、今日も取手競輪場にいたが、利根競太郎は男を避けて、特別観覧席に居たのだ。

 

 

 

 

 

 

 


自分にしか描けない人生の物語がある

2024年08月23日 10時50分10秒 | その気になる言葉

▼人生は強気でいくのである。

▼人を励ませば、自分も励まされる。

人を照らせば、未来が明るくなる。

▼地域のつながりを強くする。

そのことは、防災・減災にもつながっている。

▼人と人とを結び、温かい人情を通わせあっていく。

▼指導者を中心とする会合形式ではなく、車座形式の座談会は、誰もが気軽に発言ができ地域の「共助」の絆を強める。

▼国籍、人種、民族、性別、文化、経済、言語、教育などの全ての枠を取り払う会合での対話が期待される。

▼自分を変えたいとの気持ちは、自己を向上させる原動力になる。

変革とは特別な人になるわけではない。

「個性」とは、内から外へと、にじみ出てくるものだ。

自身が既に持っている個性を見出していく視点が大切だろう。

▼悩みや苦悩はが全て生かされ、気付かなかった個性、魅力が見えてくる。

自分にしか描けない人生の物語がある―と確信するのである。

▼人と比べて落ち込む必要はない。

使命がない人などいないのだ。

それぞれの個性を尊重し、その奮闘をたたえるもである。

そして一人一人の挑戦を応援することだ。

 

 

 


豪雨に濡れる

2024年08月23日 09時50分44秒 | 日記・断片

友人の寺川さんに久しぶり会う。

2か月ぶりであろうか?

毎日のように会っていたのだから、「しばらく」と声かけると「いゃあ」と相手は顔をあげる。

相手は座席でスポーツ新聞を読んでいたのだ。

近況を聞く時間があったのに、バスの時間を気にしていたので、「用事があるの、また」と立ち去る。

2時30分のバスは10分後に出た。

思えが会合は4時なので、3時のバスでものかったのだ。

駅前でバスを降りて、会合の友人宅へ向かう。

徒歩20分あまりであるが、その間に豪雨となる。

傘は持っていない。

雨宿りをすればよかったのに、歩く。

当然、全身がずぶ濡れだ。

仕方なく自宅に寄り着替える。

会合の4時まで20分もあったのだ。

急ぐことはなかったのだ。

バッグの中まで、雨水が染みていた。

ずぶ濡れの靴は履けなくなる。

会合は7時からなのに、2二人が10分ほど遅れてきた。

その間は、雑談となる。

遅れてきた友人は、何度もスマートフォンに電話をかけても出ない友人である。

電源を切っているのである。

何のためのスマートフォンなのか?と文句も言いたいが、「変な電話が増えて」と弁解を言うのだ。


文字は私たちの心を全て表すわけではない

2024年08月22日 08時41分17秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼弛むことのない人は決して年をとらない。

生涯学び、活動するのである。

▼幼児期の運動習慣は内面の成長に影響するそうである。

▼言葉は本来、使う人の心の結晶である。

文字は私たちの心を全て表すわけではない。

顔が見えない相手にも伝わる、言葉の使い方が求められる。

▼結局、言葉は関係性と使い方―歌人・俵万智さん

こんな時代(SNSなどの情報発信)だからこそ私たちは言葉とは何かを立ち止まって考えて、言葉を使う技術を磨かないといけない。

言葉の重みを知り、言葉を使う技術を磨きたいものだ。


ソルフェリーーノの思い出

2024年08月22日 08時40分13秒 | その気になる言葉

ソルフェリーノの思い出』(ソルフェリーノのおもいで、フランス語Un souvenir de Solférino)は、赤十字国際委員会創設の契機となった、スイス慈善活動家アンリ・デュナンの著作。

日本語では『ソルフェリーノの記念』と称されることもある

オリジナル版『ソルフェリーノの思い出』の表紙(1862).
原稿の第1ページ

歴史的背

1859年6月、商用で旅行中であったアンリ・デュナンは、ソルフェリーノというイタリアの町の近くで、サルデーニャ王国フランス帝国(第二帝政)の連合軍が、オーストリア帝国軍と戦ったソルフェリーノの戦いに遭遇した。戦闘が終わった直後に戦場を横切ったデュナンは、戦死体が散乱する中に、負傷者が倒れたまま、誰にも助けられないまま放置されている、という惨状に深い衝撃を受け、負傷者の救護にも加わった

デュナンは、この経験を『ソルフェリーノの思い出』と題する著書にまとめた

戦いについて経験したことを長大な文章で描写したこの本で、デュナンは、

を提言した

デュナンは、この本を1862年に自費出版し、ヨーロッパ各国の主だった政治家や軍人たちに贈った。その後、数年のうちに、この本は11カ国語に翻訳された。

その後

『ソルフェリーノの思い出』を契機として、1863年に負傷兵救済国際委員会(5人委員会)が組織され、1876年にはこれが赤十字国際委員会へと発展した

1864年には、デュナンの著書で提言された内容に沿う形で、「傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約」(1864年8月22日ジュネーヴ条約)が締結された。

日本語への翻訳

[編集]

『ソルフェリーノの思い出』の最初の日本語での翻訳出版は、1894年の『朔爾弗里諾之紀念』で、訳者は桃源仙史(本名:寺家村和助)であった

第二次世界大戦後に普及したのは、木内利三郎による日本語への翻訳『ソルフェリーノの思い出』であり、1948年白水社から出版され、その後、日赤出版普及会日本障害者リハビリテーション協会と出版元が変わりながら、長く出版が継続された

赤十字誕生のきっかけ【ソルフェリーノの思い出・初版】

1859年6月24日朝、北イタリアのソルフェリーノの地でフランス・サルジニア連合軍とオーストリア軍が激突。同日の夕刻には、4万人の死傷者が戦場を埋め尽くしました。近くの町カスティリオーネを訪れていたスイスの実業家アンリー・デュナンは、住民らとともに救護に当たります。
負傷者を運び、水を飲ませ、麻酔無しの手足切断に泣き叫ぶ兵士を押さえるなど、不眠不休の活動でした。
その後、デュナンは長い間、無力感にさいなまれますが、1862年に渾身の1冊を書き上げます。
「ソルフェリーノの思い出」です。
この本で「篤志家たちの手で、戦争の時に敵味方の区別なく負傷兵を看護する救護団体を、平和で穏やかな時代に組織しておく方法がないものか」と訴えました。
初版1600部はデュナンが自費出版し、ヨーロッパの地位のある人々に献本しました。このうちの1冊を赤十字情報プラザで展示しています。
  • アンリー・デュナン

「戦場での負傷者を介護する救済組織を平時から組織できないか」

「負傷者を保護する国際的な取り決めはできないものか」とアンリー・デュナンは提案した。

前者は赤十字国際委員会の創設に、後者はジュネーブ条約の締結につながった。

ジュネーブ原条約は、陸戦負傷病兵のみが保護対象だったが、その後、海戦負傷病兵、捕虜、一般文民や民用物へと対象を拡大。

現在はジュネーブ諸条約追加議定書(2005年発効)として国際人道法の重要な原則となっている。

しかしながら世界の紛争地域で病院や学校などへの攻撃はやまず、文民が犠牲をなる悲劇が繰り返されている。

「人間は歴史から学ばない」ヘーゲル

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、ドイツの哲学者である。

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、フリードリヒ・シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である。

18世紀後半から19世紀初頭の時代を生き、領邦分立の状態からナポレオンの侵攻を受けてドイツ統一へと向かい始める転換期を歩んだ。

人間は歴史から何を学ぶべきか?

民間人―子どもたちを戦禍から守る規範の強化が急がれる。

 

 


ソルフェリーーノの思い出

2024年08月22日 07時54分48秒 | その気になる言葉

ソルフェリーノの思い出』(ソルフェリーノのおもいで、フランス語Un souvenir de Solférino)は、赤十字国際委員会創設の契機となった、スイス慈善活動家アンリ・デュナンの著作。

日本語では『ソルフェリーノの記念』と称されることもある[1]

オリジナル版『ソルフェリーノの思い出』の表紙(1862).
原稿の第1ページ

歴史的背

1859年6月、商用で旅行中であったアンリ・デュナンは、ソルフェリーノというイタリアの町の近くで、サルデーニャ王国フランス帝国(第二帝政)の連合軍が、オーストリア帝国軍と戦ったソルフェリーノの戦いに遭遇した。戦闘が終わった直後に戦場を横切ったデュナンは、戦死体が散乱する中に、負傷者が倒れたまま、誰にも助けられないまま放置されている、という惨状に深い衝撃を受け、負傷者の救護にも加わった

デュナンは、この経験を『ソルフェリーノの思い出』と題する著書にまとめた

戦いについて経験したことを長大な文章で描写したこの本で、デュナンは、

を提言した

デュナンは、この本を1862年に自費出版し、ヨーロッパ各国の主だった政治家や軍人たちに贈った。その後、数年のうちに、この本は11カ国語に翻訳された。

その後

『ソルフェリーノの思い出』を契機として、1863年に負傷兵救済国際委員会(5人委員会)が組織され、1876年にはこれが赤十字国際委員会へと発展した

1864年には、デュナンの著書で提言された内容に沿う形で、「傷病者の状態改善に関する第1回赤十字条約」(1864年8月22日ジュネーヴ条約)が締結された。

日本語への翻訳

[編集]

『ソルフェリーノの思い出』の最初の日本語での翻訳出版は、1894年の『朔爾弗里諾之紀念』で、訳者は桃源仙史(本名:寺家村和助)であった

第二次世界大戦後に普及したのは、木内利三郎による日本語への翻訳『ソルフェリーノの思い出』であり、1948年白水社から出版され、その後、日赤出版普及会日本障害者リハビリテーション協会と出版元が変わりながら、長く出版が継続された

赤十字誕生のきっかけ【ソルフェリーノの思い出・初版】

1859年6月24日朝、北イタリアのソルフェリーノの地でフランス・サルジニア連合軍とオーストリア軍が激突。同日の夕刻には、4万人の死傷者が戦場を埋め尽くしました。近くの町カスティリオーネを訪れていたスイスの実業家アンリー・デュナンは、住民らとともに救護に当たります。
負傷者を運び、水を飲ませ、麻酔無しの手足切断に泣き叫ぶ兵士を押さえるなど、不眠不休の活動でした。
その後、デュナンは長い間、無力感にさいなまれますが、1862年に渾身の1冊を書き上げます。
「ソルフェリーノの思い出」です。
この本で「篤志家たちの手で、戦争の時に敵味方の区別なく負傷兵を看護する救護団体を、平和で穏やかな時代に組織しておく方法がないものか」と訴えました。
初版1600部はデュナンが自費出版し、ヨーロッパの地位のある人々に献本しました。このうちの1冊を赤十字情報プラザで展示しています。
  • アンリー・デュナン

「戦場での負傷者を介護する救済組織を平時から組織できないか」

「負傷者を保護する国際的な取り決めはできないものか」とアンリー・デュナンは提案した。

前者は赤十字国際委員会の創設に、後者はジュネーブ条約の締結につながった。

ジュネーブ原条約は、陸戦負傷病兵のみが保護対象だったが、その後、海戦負傷病兵、捕虜、一般文民や民用物へと対象を拡大。

現在はジュネーブ諸条約追加議定書(2005年発効)として国際人道法の重要な原則となっている。

しかしながら世界の紛争地域で病院や学校などへの攻撃はやまず、文民が犠牲をなる悲劇が繰り返されている。

「人間は歴史から学ばない」ヘーゲル

ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、ドイツの哲学者である。

ヨハン・ゴットリープ・フィヒテ、フリードリヒ・シェリングと並んで、ドイツ観念論を代表する思想家である。

18世紀後半から19世紀初頭の時代を生き、領邦分立の状態からナポレオンの侵攻を受けてドイツ統一へと向かい始める転換期を歩んだ。

人間は歴史から何を学ぶべきか?

民間人―子どもたちを戦禍から守る規範の強化が急がれる。

 

 


阿弥陀仏とは?

2024年08月22日 06時38分18秒 | 社会・文化・政治・経済
朝の散歩の途次、取手の本願寺へ寄ってみた。
猫が3匹も居て、1匹ほ仏像の脇に座っていたので、カメラを向けた。
その大きな灰色の猫は瞬時に姿をくらませた。
探しても、その姿は見つからない。
この前も見かけた猫だった。
また、小型の2匹の猫は互いを睨み合っていた。
それにしても、猫は可愛いものだ。
帰り道で、阿弥陀仏とは、そもそも何であるのか?と想ってみた。
 
阿弥陀仏(あみだぶつ)は、極楽浄土にいて衆生を救済するとされる仏で、弥陀とも略称されます。サンスクリット語のアミターバ(Amitabha)またはアミターユス(Amitayus)の音写で、「無量光仏」「無量寿仏」とも訳されます。無限の光やいのちのはたらきを備えた仏様とされ、南無阿弥陀仏と唱えることで、阿弥陀如来を称え、救ってもらえることへの感謝の気持ちを伝えることができます。
 
 
阿弥陀仏信仰を主題とする経典には「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」の浄土三部経があり、これらにもとづいて浄土教が成立しました。鎌倉時代に法然上人が浄土宗を開き、その教えを発展させた親鸞聖人が浄土真宗(真宗・一向宗)を開いたことで、一般庶民にも広く信仰されるようになりました。