つなわたりの倫理学 相対主義と普遍主義を超えて

2024年05月22日 17時19分59秒 | 社会・文化・政治・経済

 

 

 

村松 聡 (著)

著者について

●村松 聡:1958年、東京都生まれ。上智大学哲学科、同大学院修了後、ドイツ・ミュンヘン大学留学。
横浜市立大学国際総合科学部応用倫理学担当准教授を経て、現代早稲田大学文学学術院文化構想学部教授。
専門は近現代哲学、倫理学、生命倫理などの応用倫理学。主に徳倫理の観点から、人間とは何かについて研究を続けている。他の著書として、『ヒトはいつ人になるのか 生命倫理から人格へ』(日本評論社)、『教養としての生命倫理』(共編著、丸善出版)などがある。

〈正しさ〉が空洞化する世界で「筋を通す」ための哲学!

分断が深まる世界。複数の〈正しさ〉が衝突するなかで、人は難題を前に「何でもあり」の相対主義に陥りがちだ。人生の切実な「問い」に直面して "筋を通す" ための倫理とは?

カントに代表される義務倫理、ミルやベンサムが提唱した功利主義に対し、アリストテレスを始祖とする徳倫理はこれまで充分に注目されてこなかった。

近代が置き去りにした人間本性の考察と、「思慮」の力に立ち戻る新たな倫理学の潮流が、現代の究極の課題に立ち向かう!

◆積極的安楽死は認められるか?
◆妊娠中絶の自由か胎児の生存権か?
◆テロリストの逮捕か人質の命か?
◆安全基準か雇用の最大化か?

【徳倫理とは】
アリストテレスを始祖とし、人間本性の考察に基づいて思慮の力と「どうしたいか」を重視する倫理学。カントに代表され「すべき(でない)」と人を縛る義務倫理、ミルやベンサムが提唱し、経済学と結びついた功利主義と異なる第三の潮流である。

「つまわたりの倫理学道心」というフレーズは、私の知識ベースには直接的には存在しないようです。ただし、一般的な「倫理観」と「道徳心」についてお話しできます。

両者の違いは、倫理観が社会全体や特定の集団が共有する行動基準や価値観を指すのに対して、道徳心は個々の人が内在的に持つ良心や倫理感を指します。倫理観は一般的には「公」(社会的なルールや規範)に注目し、道徳心は「私」(個々の人の内面的な価値観や良心)の角度から見た行動基準や価値観に焦点をあてます1

倫理観や道徳心は、文化や教育、経験によって形成されるため、異なる人々が異なる視点でこれらを捉えることがあります。1。倫理観や道徳心を語る際は、他人の視点を尊重しながら議論することが大切です。。もしさらなる詳細を知りたい場合は、具体的な文脈や質問を教えていただければ、さらに詳しくお答えします。


出版社より

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倫理学をはじめて勉強するの人には、大学での講義内容のようにわかりやすい事例を引きながら議論が展開されるので、いきなり本格的な倫理学の難しい議論に突き落とされることなく読み進められるのでは無いかと感じる。
時折、挟まれるエピソードはバラエティ豊かで、とりわけはじめての人にはエピソードも一緒に楽しむことができると思う。だからと言って、本著は初歩で終わるようなものではない。
倫理学をはじめて勉強する人でも、この本を読み進めていけば、かみごたえのある本格的な倫理の問題を頁を繰るごとに考えていくことができるはずだ。
少しばかり倫理学を齧ったことのある人にとっては、規範倫理の徳論をめぐる本著をより楽しむことができるだろう。
倫理学が普遍的な原則を持ちうるのかという点についての筆者の見解はリアリスティックだと評者は感じるが、この著作で展開される筆者の立場と読者は自分の考え方とを突き合わせて思いを巡らすことができるだろう。
個人的には、筆者の人柄が言葉や言い回しの背後に浮かんでその意味でも楽しく読むことができた。

 

 
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