渡辺名人、佐藤九段も分析ツイート 竜王戦、豊島「潮目の一手」

2021年11月15日 21時59分24秒 | 社会・文化・政治・経済

11/15(月) 21:18配信 毎日新聞

「昇龍」と揮毫した色紙を手に笑顔を見せる藤井聡太新竜王=山口県宇部市で2021年11月14日、新土居仁昌撮影

 藤井聡太竜王(19)が豊島将之九段(31)を降し、史上最年少で4冠を達成した竜王戦七番勝負第4局は、終盤まで形勢不明の難解な一戦となった。勝敗を分けた局面で豊島にもチャンスの一手があったが、抜群の終盤力を誇る藤井の猛攻を耐える手順でもあり、豊島は結果的にこの手を見送った。読みの深さと精度が問われた熱戦に、渡辺明名人(37)=王将、棋王=や名人3期の佐藤天彦九段(33)ら棋士がツイッターで分析するなど、対局後もネット上で盛り上がりを見せた。

【写真で振り返る】藤井聡太王位の歩み

 「結果的には109手目▲5五同銀として下駄(げた)を預けるのが正解だったようですが、カド番で相手が詰みの名手である藤井さんという状況でそういう手(相手に委ねる)が指しにくかったんだろな、と想像します」

 豊島が99分を費やし、角を取らずに桂馬を打って王手をかける手順を選んだ局面について、渡辺はこうツイートした。この局面で、ネット中継のAI(人工知能)も「5五同銀」を推奨し、豊島の優勢を予想していた。佐藤も渡辺のツイートに呼応する形で、「後手(の藤井)からは意外と攻防手がなくて先手勝ちそうということですか。(中略)しかし追われてる途中の景色が怖いし手順も長いし、1時間半考えてもちゃんと整理できるかというと……」と、豊島が大長考を余儀なくされ、それでも勝ちを読み切れないほど難しい局面だったと解説した。

 対局後、藤井が「負けの変化が多い」と語るなど自身の不利を感じていた場面。豊島はこの手を選ばずにAIの評価は逆転し、そのまま藤井が押し切った。

 加藤一二三九段(81)はツイッターで「破竹の進撃で将棋史を塗り替える藤井聡太新竜王には心躍り感動するばかりだ。(中略)芸術性溢(あふ)れる棋風で更なる高みを極め、将棋の真髄を伝えてほしい」とエールを送った。【武内亮、丸山進】

 

 
 

 

 


競輪人間学 スタートが取れず本命ラインが敗退

2021年11月15日 21時23分58秒 | 未来予測研究会の掲示板

F1 福井競輪 中日スポーツ杯ブルーサンダー賞

8レースが荒れたので、9レースは本命サイドで決まると思い込む。

我孫子の勝負師は、「9レースも危ないぞ」と言うのだ。

だが、5-1で決まると期待する。

並び 2-6-4 1-5 3-7

レース評
パワー上位の竹内が勢い良くロングスパート。番手の久米がチョイ差し中四国ワンツーとみたが、数的優位な東矢の台頭十分。

2車単

5-1(2・1倍)
1-5(2・3倍)

3連単で車券は以下のように買う。

5ー1ー2(5・6倍)3000円

5-1-7(8・4倍)2000円

誤算は8レース同様に、1番がスタートを取れずに、2番に取られる。

しかも、勝負どころで1-5ライは3-7ラインに抑え込まれて、捲りが不発になる。

捲りでは1-5ライは5-1にならず、1は車券に絡むが番手選手の5番は車券の圏外に去るのだ。

2車単

5-1(2・1倍)
1-5(2・3倍)

3連単と以下のように買う

5ー1ー2(5・6倍)3000円

5-1-7(8.4倍)2000円

結果

2-1 8,120円(16番人気)

2-1-6 3万4,990円(61番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 2 東矢 昇太   11.7 SB ペース駆け
2 1 竹内 翼 1/2車身 11.4   後方捲届ず
3 6 加倉 正義 1/2車身 11.6     番手仕事し
  4 4 坂本 晃輝 3/4車輪 11.5     先行3番手
5 5 久米 良 タイヤ差 11.4     前だけ2着
6 7 中野 彰人 2車身 11.5     捲り追え

 


競輪人間学 番手と番手で決まる これが、競輪である

2021年11月15日 20時14分32秒 | 未来予測研究会の掲示板

 FⅠ 福井競輪 中日スポーツ杯ブルーサンダー賞

9レース

並び 2-6-4 1-5 3-7

レース評
パワー上位の竹内が勢い良くロングスパート。番手の久米がチョイ差し中四国ワンツーとみたが、数的優位な東矢の台頭十分。

競輪場へ出向いたのは11月4日以来だった。
利根輪太郎は、自宅でスピードチャンネルの競輪中継を観ていて、車券を買っていない。
今日(11月15日)は、勝負のつもりで8レースを買うが、まさかの7-6-3で負ける。
3-5(4・0倍)
5-3(4・6倍)

買った車券は以下

3連単

3-5-7(7・9倍) 2000円
5-3-7(10.7倍)2000円

2車単

3-7(13・8倍 1000円
7-3(12・2倍)1000円

これで十分と思い込む。

だが、車券を買ったあとに、我孫子の勝負師が「福井は400バンク、直線が長いので、捲り、追い込みも来るぞ。危ないよ、勝負するなら33バンクの富山だ」と指摘する。
案の状、1番選手がスタートが取れず2番選手に取られてしまう。
その点、内枠有利の1番選手の油断だったのだ。
スタートを取った2番選手の気迫が勝っていたのだろう。
誤算

結果は、捲った1番選手が5番選手に外の張られて後退する。
2-6の3ラインの出番となり、2番の捲りに乗って6番選手が2着に伸びる。
7-3ではなく、まさかの7-6になり、期待の3番は3着になる。

7-6 9,230円(21番人気)

7-6-3 5万8,830円(101番人気)

 

 FⅠ 福井競輪 中日スポーツ杯ブルーサンダー賞

9レース

並び 2-6-4 1-5 3-7

レース評
パワー上位の竹内が勢い良くロングスパート。番手の久米がチョイ差し中四国ワンツーとみたが、数的優位な東矢の台頭十分。

競輪場へ出向いたのは11月4日以来だった。
利根輪太郎は、自宅でスピードチャンネルの競輪中継を観ていて、車券を買っていない。
今日(11月15日)は、勝負のつもりで8レースを買うが、まさかの7-6-3で負ける。
3-5(4・0倍)
5-3(4・6倍)

買った車券は以下

3連単

3-5-7(7・9倍) 2000円
5-3-7(10.7倍)2000円

2車単

3-7(13・8倍 1000円
7-3(12・2倍)1000円

これで十分と思い込む。

だが、車券を買ったあとに、我孫子の勝負師が「福井は400バンク、直線が長いので、捲り、追い込みも来るぞ。危ないよ、勝負するなら33バンクの富山だ」と指摘する。
案の状、1番選手がスタートが取れず2番選手に取られてしまう。
その点、内枠有利の1番選手の油断だったのだ。
スタートを取った2番選手の気迫が勝っていたのだろう。
誤算

結果は、捲った1番選手が5番選手に外の張られて後退する。
2-6の3ラインの出番となり、2番の捲りに乗って6番選手が2着に伸びる。
7-3ではなく、まさかの7-6になり、期待の3番は3着になる。

7-6 9,230円(21番人気)

7-6-3 5万8,830円(101番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 7 山口 敦也   11.4   切替内掬い
  2 6 大庭 正紀 1車身1/2 11.5   コース探し
3 3 山本 直 1/4車輪 11.8   B もつれ逃粘
4 4 中村 雅仁 3/4車身 11.5     混戦追えず
5 5 北村 信明 1車身1/2 11.9     張り掬われ
6 2 西浦 仙哉 1/2車輪 11.9     捲り張られ
7 1 橋本 瑠偉 大差 13.3   S 捲り張られ

 

 

 




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
× 1 7 山口 敦也   11.4   切替内掬い
  2 6 大庭 正紀 1車身1/2 11.5   コース探し
3 3 山本 直 1/4車輪 11.8   B もつれ逃粘
4 4 中村 雅仁 3/4車身 11.5     混戦追えず
5 5 北村 信明 1車身1/2 11.9     張り掬われ
6 2 西浦 仙哉 1/2車輪 11.9     捲り張られ
7 1 橋本 瑠偉 大差 13.3   S 捲り張られ

取手の・ふれあい通り銀杏並木

2021年11月15日 15時33分22秒 | 日記・断片

佐々田さんと11月2日に、取手・ふれあい通りを車で通った時は、銀杏はほとんど色づいていなかった。

今日(11月15日)新町辺りの銀杏並木は色づき、歩道に散ってもいた。

秋の深まりを実感した。

この銀杏並木は江戸川学園に向かって1㎞以上続いている。

動画リンク

https://youtu.be/3Uuy7xHUjqk

 

動画リンク

https://youtu.be/g0BrlrGrSbg

 
動画リンク

https://youtu.be/ZK0AdwwKjsE


脇本雄太がG1競輪祭を欠場 グランプリ出場は絶望的に

2021年11月15日 11時56分37秒 | 未来予測研究会の掲示板

11/12(金) 18:00配信

netkeirin

小倉競輪場で行われる「朝日新聞社杯競輪祭(G1)」を欠場する脇本雄太(撮影:島尻譲)

 JKAは12日、脇本雄太(32歳・福井=94期)が18~23日に小倉競輪場で開催される「朝日新聞社杯競輪祭(G1)」を病気のため欠場することを発表した。

 脇本は東京五輪出場後、いわき平競輪場にて開催された「オールスター競輪(G1)」で決勝2着、向日町競輪場で行われた「平安賞(G3)」で完全優勝を果たした。
 しかし9月に「共同通信社杯(G2)」を腰痛で欠場。10月の久留米競輪「火の国杯争奪戦(G3)」は2日目から欠場し、「寛仁親王牌・世界選手権記念トーナメント(G1)」も欠場していた。

 これにより、12月28日から静岡競輪場で行われる「KEIRINグランプリ2021(GP)」への出場は絶望的となった。

 

【関連記事】


16歳の姉や(お手伝いさん)の裸体

2021年11月15日 11時41分34秒 | 創作欄
2015-07-05 02:15:37 | 創作欄
 
一郎は親友の浅野賢治君に誘われ、2年生の時に絵画教室に通うこことなった。
一郎の姉は母から大正琴を習っていたが、やがてピアノを習い出していた。
「一郎も何か習う?」と母親に問われた時、「絵画教室がいい。賢治君も一緒だといいね、と言うんだよ」気持ちを伝えた。
「そうなの。賢治君のおじいさんは、フランス帰りの絵描きさんなのよ。賢治君はおじいさんに習えばいいのにね」母の信枝は怪訝な顔をした。
西洋画壇の重鎮であった浅野陸乃は東京芸術大学の講師の立場でもあった。
一郎が通っていた絵画教室は、浅野陸乃の教え子の一人である大村美智子が主宰していた。
田園調布の駅から5分ほどの閑静な住宅街の一角の屋敷1階のアトリエで、美智子の父親は貿易商であり、彼女はお嬢さん育ち。
生徒は小学生ばかりで、常時6人であった。
毎日、デッサンでモデルは美智子の家のお手伝いさんが務めた。
時には生徒の一人が指名されモデルとなった。
一郎はモデルとなるのが苦痛であった。
ほとんど不動のまま座っていることが耐え難かったのだ。
一郎が絵画を止めたことを記す。
賢治君の家の16歳の姉やが浅野画伯の裸体画のモデルとなったのである。
一郎は賢治君のおじいさんのアトリエが気になり覗きに行ったのだ。
その日、賢治君は歯医者へ行っていた。
窓越しでの有様であった16歳になった姉やの裸体に一郎は大きな衝撃を受けた。
画筆を握り裸体の姉やを凝視する賢治君のおじいさんは、獲物に挑む野獣のように映じたのである。
「イヤラシイ!」と裸体画を描くことすら小学校2年生の一郎には汚らわしく想われたのだ。
「見てはいけないものを見た」という後ろめたさを感じた。
姉やは足を開いており、黒々とした陰毛も明からさまになっていた。
一郎は絵画教室に通うのを止めた。
「どうして?なぜなの?」と賢治君に何度も問われたが一郎は沈黙を貫いた。




















コメント

一郎の従弟幸雄の恋

2021年11月15日 11時24分57秒 | 創作欄
2015-07-06 20:13:06 | 創作欄

牛田一郎と従弟の幸雄は誕生日が1日違いであった。
歌人であった叔父の影響であろうか、高校生になってから2人は競うように短歌を作りだした。
短歌のレベルは残念ながら初心者のレベルの域に留まっていた。
師と仰ぐ人が身近にいたわけではないし、歌壇に残されている優れた歌人の歌集を読んでもいなかった。
ただ、指をおりながら5、7、5、7、7と言葉を並べて満足していた。
 
○ 夕闇の金木犀の香に想う君が面影文にどどめん―幸雄
 
幸雄が下校途中の彼女と出会ったのは、材木町の街角であった。
秋は恋心が芽生えるような予感をさせる季節であった。
 
「一郎、俺、恋をした。一度、彼女のこと見てくれや」幸雄は高揚した気持ちを打ち明けた。
一郎は未だ恋いらしい恋の機会には巡り合っていなかったので、「羨ましいな、ユキが恋をしたんか。本気か」と確認した。
「出逢って、不思議な気持ちになった。俺、彼女と結婚するよ」一郎の目は常になく真剣である。
「結婚、まだ早すぎるよ」一郎は呆れた。
「早くなんか、ないよ。姉やんは15歳で結婚した。俺は17歳、来年は18歳なるよ」一郎は語気を強めた。
「そうか、それではその彼女に1度会ってみよう」一郎は半信半疑であったが、どのような相手なのか興味も湧いてきた。
翌日、材木町で下校する沼田女子高等学校の生徒たちを2人は待っていた。
2人は沼田農業高校に通学していて、母親たちの母校の生徒に多少は親近感を抱いていた。
伯母の松子は沼田女子高等学校1期生、一郎の母は7期生、幸雄の母は5期生であった。
「おい、彼女が来たよ。3人連れの真ん中が彼女だよ」幸雄の声が高くなっていた。
一郎は幸雄が恋をした女子高生を認めた。
彼女の視線が幸雄に注がれていた。
彼女は笑顔になっていた。
だが、一郎は両側の女子高生と比べ彼女が見劣りすると思ったのだ。
面食いの一郎は右端の子を見て「何て可愛いのだ」と視線が釘付けとなっていた。
「一郎、彼女どうだ。可愛いだろう。気持ちも好きになれそうなんだ」
「あれが惚れた彼女か。そうなんだ」一郎は頷いたが美人ではないので拍子抜けがした。
幸雄は歌を添えて恋文を彼女に手渡した。
「これ、読んでくれや」幸雄は気持ちが高揚していた。
「ありがとう」彼女は恥じらいと多少の戸惑い期待感から笑顔を赤らめた。
彼女に気持ちが通じて幸雄は有頂天になった。
「こんなに、うまくいくんか」と幸雄は恋の勝利者の気分に染まっていく。
「後で読むからね」
姫木典子は渡された封筒を鞄に収めた。
2人は初めてのデートを楽しむように沼田城址へ向かって肩を並べ歩いて行く。

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実はこの創作は、午前11時ころ入力したが、何の間違いか消えてしまった。
さらに、パソコンがフリーズして復帰したのが午後6時である。
同じような文を再現した。
再現してからアップの段階でまたパソコンがフリーズする。
その間、囲碁、将棋で時間を潰す。













ヤマユリ

2021年11月15日 11時13分52秒 | 創作欄
2015-07-12 00:13:47 | 創作欄
 
恋愛らしい恋愛の体験がないまま一郎は見合い結婚した。
「恋愛と結婚は違いますよ」一郎は弁護士夫人の遠山紀子に言われたことを長く胸にとどめていた。
一郎は小学生向け学習辞典の販売で、世田谷・等々力の遠山宅を訪問した。
お手伝いさんが玄関の応対に出た。
何時ものとおり「学校の方から来ました」のセールストークで訪問の主旨を伝えた。
それで一郎は応接間まで案内されたのだ。
約半年の短い営業活動の期間で、応接間まで通されたのは初めてだった。
「ご苦労さまです」と柔かに笑顔で応対する夫人は、30代と想われたがお嬢様さんタイプで世間ずれしてはいないように想われた。
一郎は多少の後ろめたさを感じたが、黒革の鞄から学習辞典の1冊を取り出して説明した。
「とても良い学習辞典ですね。いただきますわ」とすんなり売れたのである。
娘さんは、いわゆる私立のお嬢さん学校へ通学していて、夫人から学友の数人を紹介されたのだ。
一郎は夫人が本棚から出しきた学年名簿を夫人の指で示されたので、手帳に住所と名前を記入した。
「わたくしが電話をしておきますわ。是非訪問してください」と親切に言うのだ。
思わぬ収穫であった。
応接間にはヤマユリが大きな紫色の花瓶に飾られていた。
豪華で華麗な花で、直径は20数センチ、「ユリの王様」とも呼ばれている。
応接間に漂う香りは甘く濃厚であった。
「美しい花ですね」と一郎は目に留めた。
「わたくしの誕生日が昨日でして、主人から贈られましたの」と夫人は微笑む。
一郎は夫人にすすめられてイチゴのショートケーキを食べた。
「学校の方から来ました」というセールストークを信じ込んでいる人のよい夫人であった。
本棚には吉屋信子の小説の他に堀辰雄、太宰治、三島由紀夫、川端康成、立原正秋などの箱入の書籍が並んでいた。
「小説がお好きなのですね?」と聞いてみた。
「女子大学時代に恋いで真剣に悩みましてね、本に解决を求めた時期もありました」夫人は醒めたような瞳をしていた。
一郎はどのような恋であったのかと想ってみた。
「でも、恋愛と結婚は別です。違いますよ」と夫人はきっぱりとした口調で言う。
一郎にその夫人の言葉が深く残ったのだ。
一郎は高校時代、大学時代の青春の真ん中にあっても恋愛らしい恋愛の体験がなかった。
「結婚するなら恋愛に限る」と思い込んでいたのだが、そのような縁には巡り合わなかった。
ヤマユリは弁護士夫人だった遠山紀子の華麗な姿を彷彿させた。
その2年後、傷害罪で新宿署に逮捕された一郎は遠山紀子の夫の幸吉に弁護を依頼したのだった。





記事:7月11日毎日新聞

トランポリンで床へ落下

2021年11月15日 10時52分28秒 | 新聞を読もう
2015-07-12 02:00:20 | 創作欄
 
沼田一郎は努力もしないで、高望みばかりしていた。
だが、現実は甘くはなかった。
母の期待で公務員か教師を目指していたが、それも挫折した。
教師は楽だろと体育教師の道を選び、単位も取っていた。
だが、それも中途半端に終わった。
体育科ではなく国文科を選んだのだ。
さらに未練もあったので応用化学などの授業も受けていた。
毎日、体育館で過ごしていたので、先輩や講師などから体育館の清掃なども命じられた。
講師の一人は憧れのオリンピック金メダリストである。
その講師から「バーベル片付けろ」と指摘された。
体育科の生徒たちがバーベルを放置して、何処かへ行っていた。
「モップをかけておけ、床が汚れているぞ」と命じた先輩の体操選手もオリンピック銀メダリストの一人だった。
大学から体操を始めたのだから一郎は進歩しない。
つり輪、鉄棒、平行棒も全くダメで、トランポリンで遊んでいる状態だった。
剣道の授業だけは高校時代にやっていたので、体育科の学生とは互角以上であった。
一郎が毎日体育館へ通ったのは、美しい女子学生の一人に心惹かれたからだ。
だが邪念が災いもした。
その女子学生の平均台演技をトランポリンの上で見ていた。
そして一郎自身、回転不足で背中から落下し、さらに弾んで床にも落ちたのだ。
一郎の身を心配したのだろう?女子学生の悲鳴が体育館に響き渡ったことが、屈辱でもあり複雑な気持ちとなる。
その後、「才能がない」とトランポリンは止めたのだ。
ある日の体育科の授業のことだ。
教授が何時ものとおり、出欠を名簿に従って確認する。
教授が名前を読み上げると「国体へ行っています」と同期生が答える。
「そうか、国体かどうりで欠席者が多いはずだ。残った君たちも来年は国体へ行くように頑張りなさい」諭すように言う。
一郎はレベルが違うので聞き流したが、教室に残っていることを「屈辱」と感じている学生も多数いただろう。



市議会議員の話

2021年11月15日 10時40分11秒 | 創作欄

市議会議員の話

2015-07-13 08:52:59 | 創作欄

先日、若い頃の町内会仲間が「共産党、創価学会、朝日新聞が大嫌い」と吐き捨てるように言っていた。
彼は町内会の仲間たちに推されて、取手市議会議員に立候補して当選し、7期務めた。

一郎は「男と男の話があるんだ」と約30年前に地域の長老の方に声をかけていただいた。
それは、「市議会議員に立候補しないか」と言う打診であったのだ。
「とても、そんな柄ではありせん」と当然、お断りした。
地域には優れた人材は他にたくさんいたからである。
しかし人生には岐路があるものだ。
あのころは町内会の仲間と麻雀に明け暮れ、自堕落な生活を送っていたのだ。
一郎は母親の遺産(600万円)が入ってから狂いだして地元取手のフィリピンパブや東京・浅草橋、駒込のフィリピンパブへも行っていた。
さらに新宿、池袋、湯島の韓国パブや中国人との交際もあって、政治とは対局にあった。
「センセイ、なぜ、結婚していること隠していましたか」
京王プラザホテルホテルのレストランで中国人のロウロウが言う。
30数階のレストランから秋空に富士山がクッキリ見えた。
「私、明日、北京へ帰ります」別れが来たことを一郎は感じ、内心安堵した


10年やれば専門家 20年やれば大家に

2021年11月15日 10時28分19秒 | 創作欄
2015-07-14 01:54:54 | 創作欄
 
人は使命を自覚した時に、急激に伸びる。
先人の言葉に一郎は納得した。

「文学をやりなさい」と崇拝する病理学者の吉田富三先生に諭されていたが、大学の恩師の森脇教授の言葉にも拘り続けていた。

就職は一流の新聞社には到底及ばなかったが、日本工業新聞社に入社した時に、国文科の主任教授であった森脇教授に報告に行く。
「そうなのか。就職したのか。4月から出勤だね。頑張りなさい。君には短歌の才能があるのだから、続けなさい。どの道を進もうと10年やれば専門家だ。20年やれば大家になるはずだ」
一郎は「どの道に進もうと」に背中を押された気持ちとなる。
森脇教授は萬葉集の研究では大家と評されていた。
4月1日から出勤するものとばかり想っていたが、3月1日からの出勤であった。
まだ、卒業式前である。
一郎は学生気分が抜けきれず、日本工業新聞社の仕事に身を入れることが出来ないでいた。
偶然、大学の先輩の一人が社内に居て、昼飯に誘ってくれた。
産経新聞の姉妹纸であった日本工業新聞社は産経会館の6階にあった。
大手町地下街の食堂に先輩の木嶋哲郎が一郎を誘った。
「編集を希望したが、2年間も営業だ。営業の仕事はつまらん。沼田も営業だろう。長く続ける仕事じゃないよ。今、俺は就職活動中だ」木嶋は冷笑を浮かべながらカレーライスを口に運んだ。
一郎もカレーライスを食べていた。
社内に先輩がいたことで気強く思っていた一郎は拍子抜けがした気分となる。
「広告が取れないので、上司に嫌味を言われてな、腹が立つ!」木嶋は怒りを露にし、スプンで皿を叩く。
一郎は1週間の研修期間であったが、前途に不安を覚えていた。
そして、研修期間を終えてから出勤しなくなる。
当然、会社の方から何らかの連絡があると思ったが、その連絡もなかったのだ。
つまり社員が定着しない企業と一郎には想われたのだ。
日本工業新聞社にとっては一郎はどうでもいい人材であったようだ。

根本は『信義』の二字

2021年11月15日 09時49分43秒 | 沼田利根の言いたい放題

歯科医師の丸山茂さんに「一度、中国へ一緒に行きましょう」と強く誘われたことがあった。
昭和50年代のころである。
歯科医師として、丸山さんほど中国に対して深い思い入れがある人に出会ったことがない。
「先生は、なぜ中国に強く思い入れがあるのですか?」
東京・錦糸町の中華料理店で丸山さんに聞いてみた。
「中国は、恩を知る国です。先人たちは若き日に日本で学んでいるのです。日中戦争の悲しい歴史、不幸な歴史があるのですが、中国の人は懐が広いですよ。日本の戦災孤児などを育ていますね。特に尊敬に値するのは『信義』を重んじている国だからです」
丸山さんは日中国交平和条約の過程や条約の根本に『信義』があることを認識していた。
丸山さんは誰よりも「人道」を重んじる人であった。
沼田利根

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中日平和友好条約締結の根本に「信義」

2015-07-08 02:51:11 | 受けとめる力

中国と日本の平和友好条約締結、その軸の根本は『信義』の二字である。
信義の柱があってこそ、平和の橋が架かる。信義がなければ、和友好条約締結は砂上の楼閣となる。
21世紀、期待されるのは?
先人が切り開いた「道」「橋」を改めて見つめなければならない。原点には、先人たちの強い願いと尽力があった。
それを忘れたところに綻びも生じる。
中国、日本の指導者たちに期待されるのは?
中日平和友好条約締結の根本に「信義」があったことを付け止めることだ。