「わたくし、倒れそうなの。抱いてね」まさかの電車への女性の投身自殺の目撃にあけみは、身を震わせ昏倒しそうな状態となり、元水に身を委ねる。
思わず抱き寄せたあけみは痩身であったが、元水の飼い猫の<ミケ>のようにとても温かく柔らかだった。
電車の乗客は、長い時間車内にとじ込まれたいたので、外の状況は全く分からないが、ホームにいる乗客たちが事態を深刻受け止めたようで騒然としていた。
茫然としている人々の姿や好奇心から線路をホームと緊急停車した電車間から覗き込む人の姿などを元水は注視していた。
ホームでは駅員たちが血相を変えて走り回り、鉄道警察隊なども駆けつけて来ていた。
電車の轢死死体の無残さを元水は想ってみた。
骨が砕ける音もしただろう。
肉体は体形をとどめずに車体に絡み付いただろう。
「この世に、このように残酷な人身事故はあるだろうか」と改めて元水は想った。
轢死した遺体(肉片まで)が回収され、元水たちが乗っていた電車から上野駅ホームに下車できたのは、どのくらいの時間だっただろうか。
残酷な初の体験のショックで、繊細な神経のあけみはほとんど言葉を失っていた。
元水は突然のように自殺した高校の同期生のことを思い出していた。
彼が通っていたのは定時制高校でクラスは17人だった。
21歳の中野弥生は、性格が暗い感じでクラスの誰とも話さない人だった。
クラスのおねいさんのような存在の弥生は、なぜか元水にとっては気になる人だった。
休み時間に、彼女は太宰治の小説を読んでいた。
当時、元水は夏目漱石に心酔していて、倫理思考が強かった。
太宰は漱石と対極にある作家と元水には想われた。
弥生が京王線電車に投身自殺したのは、3年生の秋の時節だった。
ショックを受けた元水は、新聞に掲載された1段の死亡記事を切り抜き日記に収めた。
個人的に話をしたことがなかったので、どのように育ち、どのように生活をしてきたかは定かではない。
東北訛りで素朴で、化粧もせず衣服などからも地味な人と思われた。
彼女も痩身であった。
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マグロ (鉄道事故)
マグロとは、鉄道職員の間で、触車事故による轢死体を指す俗語(業界用語、隠語)。
語源は、轢死体が頭や尾を切られて魚市場の床に転がるマグロを連想させる、もしくは轢死体の切断面がマグロの身を連想させるということからであるが、五体が付いていても鉄道による人身事故の遺体は「マグロ」といわれる。
他に、水揚げされたマグロが血を吐く様子が瀕死の被害者を連想させる、あるいは瀕死の状態で痙攣する被害者の様子が水揚げされて痙攣するマグロに似ているため、という説もある。
また、原形をとどめないまでにバラバラの状態となった轢死体を「タタキ」あるいは「ミンチ」と呼ぶこともある。
いずれも部内での業界用語、隠語であるとされる。死者に対する礼を失することから、どの鉄道会社においてもこの用語の使用を公には認めていない。
飛び込み自殺が発生したとしても、電車はそのまま問題なく運行し続けることができるのです。
バラバラになった遺体を回収することは、電車の運行上、必須とはいえないのです*。
1車両に8個の車輪を有する電車は、人体を何度も何度も轢断し続けます。
一方、レールの間に残された肉体は、電車の底部にある車軸やブレーキ用のポール ―― 電車の底の凶器たち ―― に、何度も何度も突き飛ばされ、転がされ続けます。
電車の底で回転を繰り返しながら、電車にドリブルされ続け、バラバラになってレール周辺に散らばってしまうのです。
自殺か他殺かの現場検証が必要ですし、飛び跳ねた肉体が、電車の底の機器を壊している可能性がありますので、停車して点検を行うことは避けられないと思いますが。
す。
また、全ての電車(新幹線と一部の在来線を除く)は、原則として、時速130km以上で走行しません。
そこまでスピードを出してしまうと、「急ブレーキをかけて600m以内に停止することが可能な状態」にできないからです(かつて鉄道運転規則に定められていた、いわゆる「600m条項」。現在は廃止されているが、現在も運用は続けられている)。その理由は、運転手が目視できる限界が600mだったからだそうです。
運転手は、「飛び込み」を目視で確認すると、当然急ブレーキをかけます。この急ブレーキは、1秒間当たり時速4~5kmくらいの減速とされています。これを加速度で計算すると、0.13~0.14Gくらいになりますが、正直、乗車している乗客にとっては、シャレにならない程の急停車になります。
リの急ブレーキで、空走距離等も加えて、実際の制動距離をざっくり計算すると、時速100kmでは、約300m、時速50kmでも80mになります。
電車の1車両の長さが20mくらいなので、もしあなたが、電車のど真ん前の飛び込みに成功すれば、体は16回から40回ほど切り刻まれることになります。
「飛び込み自殺」は、数秒から10秒程度の間で、何十回にも及ぶような超高速の肉体の轢断を引き起こすことになります。