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新型コロナ、自殺した職員らに帰国者から寄せられた苛烈怒号

2020年02月06日 21時47分39秒 | 事件・事故

 埼玉県和光市の緑豊かな一帯にある国立保健医療科学院。保健、医療、福祉に従事する職員の人材育成などを行う同科学院には、7階建ての受講生用寄宿舎がある。

【別写真】厳戒態勢で武漢からの帰国者を受け入れる様子をキャッチ!

 通常は研修中の地方自治体職員などが宿泊する施設だが、現在は新型コロナウイルスが猛威を振るう中国・武漢からの帰国者が、一時的に身を寄せている。2月1日午前10時15分頃、同科学院周辺に救急車のサイレンが鳴り響いた。

「ドサッという音を聞いた施設関係者が、寄宿舎近くで倒れている血だらけの男性を発見。すぐに119番通報しましたが、男性は搬送先の病院で死亡が確認されました。遺書は見つかっていませんが、遺体の状況から寄宿舎の上階から飛び降りたとみられています」(全国紙社会部記者)

 死亡したのは、内閣官房の男性職員A氏(37才)。

「警視庁から内閣官房に出向していた男性で、帰国者の滞在受け入れ要員に抜擢されていました。本人はまさか新型コロナウイルスの最前線に立つとは思っておらず、ここ数日は動揺もあり、心ここにあらず、という様子だったそうです」(前出・全国紙社会部記者)

 A氏が自殺した当時、この科学院には政府が派遣した第三便のチャーター機で1月31日に帰国した149人のうち、98人が滞在していた。

「A氏は1月31日から施設に泊まり込み、過酷な勤務状況が続いていたようです。自殺と受け入れ業務の因果関係は不明ですが、混乱を極める現場で大きなストレスを抱えていたのは間違いないようです」(前出・全国紙社会部記者)

 帰国者のメンタルも限界に。怒号が飛び交い、恐怖さえ感じる現場だったという。

 武漢からのチャーター機が帰国を始めたのは1月29日。第一便で206人が帰国して、ウイルス検査後に191人が千葉県勝浦市にある勝浦ホテル三日月に滞在した。

「ところが部屋は140室しか用意されておらず、2人1部屋を強いられた帰国者もいた。そのうち2人に新型コロナウイルスの陽性反応が出て、『感染者と非感染者を相部屋にするなんておかしい!』と、怒鳴り声も聞こえました」(前出・全国紙社会部記者)

制約の多さに帰国者から不満が途絶えることなく続く。

「帰国者はホテルの居室で終日過ごすよう伝えられ、部屋のカギを受け取れませんでした。“軟禁状態”といえるかもしれません。また、衣服は客室内の洗面所で洗うよう求められ、食事は弁当支給でした。こうした対応に不満を抱きクレームが噴出して、受け入れ現場は殺伐としていました。責めるほこ先は全て職員に向かってしまった」(前出・全国紙社会部記者)

◆「人権無視か!」

 世間の視線も厳しかった。最初のチャーター機では、思いもよらぬ「主張」をする帰国者も現れた。2人の帰国者が帰国後のウイルス検査を拒否し、強引に自宅に戻ったのだ。

「2人は、『自分には症状がない』『早く家に帰りたい』と訴えたそう。また厚労省の職員が『ご自身のために検査を受けるべきです』と説得すると、怒り出して動画を撮影し始めた。その後、SNSなどで『彼らが自由に動くのはバイオテロだ』など役所の対応のまずさが批判されました」(前出・全国紙社会部記者)

 大々的に報じられていないが、実は第二便、第三便でも軋轢が生じていた。

「受け入れ先で、『テレビがない』と不満を言ったり、『こっそり逃げ出すぞ』と脅しのように凄む帰国者がいたそう。相部屋が不満で、『こんな狭いところに閉じ込めるな!』『人権無視か!』などの怒鳴り声もあったとか」(政府関係者)

 そんなクレームを一身に受けるのがA氏のような公務員たちだ。

「有名国立大学を卒業し警視庁に採用された彼は、企画課と公安総務課などを経て内閣官房に。大学時代はボート部に所属したスポーツマン。仕事ができ出世も早かった。ただ、真面目すぎる面もあった。A氏は危機管理を担当していた関係で、帰国者対応を命じられました。仕事は“相談窓口業務”という名のクレーム処理係だったようです。真面目な彼は帰国者の怒りのハケ口となり、サンドバッグ状態。2日間、寝ずに相当なプレッシャーを受け続けた。急激なストレス過多と、自殺に何らかの関係があるかもしれません」(警視庁関係者)


武漢で見た「肺炎患者」のあまりにも悲惨な現実

2020年02月06日 21時42分19秒 | 社会・文化・政治・経済

独立系メディア・財新の記者は武漢をはじめ中国各地で新型肺炎のリポートを継続中だ。彼らは取材の第一線で得た情報を日々「肺炎日記」としてアップデートしている。
 新型コロナウイルスの患者は中国全土で増え続けている。 2月3日の午前0時時点で累計1万7205人だ。新たに確認された症例の70%超が武漢市のある湖北省に集中している。感染の疑われる症例が全土で累計2万1558例あるほか、感染者と濃厚接触した可能性のある人物も18万9583人いる。

【写真】武漢の新型肺炎専門病院「建設10日間」の軌跡

 武漢郊外では、2月2日に「火神山医院」が引き渡され、翌3日から患者を受け入れ始めた。軍部から選出された1400人の医療スタッフが治療にあたる。武漢市は、新型コロナウイルスの①患者、②感染の疑いがある人、③発熱した人、④患者と濃厚接触した可能性のある人の「4類人員」を、2月2日の昼12時までに集中治療および隔離することを要求する緊急通知を出していた。

 それ以前は、武漢にいる、感染が疑われる大勢の人々がすぐに治療を受けられず、世間の注目が集まっていたのだ。

 2月1日、「武漢120救急センター」のあるスタッフを取材すると、肺炎患者のベッドは不足しており、スタッフは毎日、一日中働いているという。 「一部の患者は病院を何軒も探し、3、4軒回っても受け入れてもらえるとは限らない」。

■軽症患者は入院できない

 上述の通知では、重症患者は入院して隔離しなければならないが、軽症患者は入院によって隔離することができず、ホテルを臨時の隔離区域にするとしている。また、家庭内での感染を防ぐため、自宅での隔離は禁止だ。

 ある感染の疑いのある人物の親族は「疑いのある患者の隔離について、ようやく重要かつ意義のある一歩が踏み出された。少しほっとした」と語る。 2月2日夜に「武漢市赤十字会病院」などの様子を見る限り、診断プロセスを加速し、隔離して集中治療する能力を高める措置は実を結び始めているようだ。

 一方、家庭内での感染は頻繁に発生している。楊さんの家族は武漢の漢陽区に住んでおり、父親は1月29日に呼吸不全で亡くなった。楊さんと母親も数日間にわたって38度以上の高熱と激しい咳にさいなまれている。だが、何度病院に行っても門前払い。楊さんはとうとう記者と会話することさえできなくなり、ショートメッセージでやりとりせざるをえなかった。楊さんと母親の診断結果はまだ出ておらず、入院できていない。

国家衛生健康委員会の高級専門家グループのメンバーである李蘭娟氏は、2月3日に中国国営テレビのインタビューで、「武漢は検査試薬の量が依然として不足しており、検査を受けられない人がいる」と述べた。

 漢口在住の、感染が疑われる男性は「妻は感染者数が急増した1月中旬に発症したが、1月の終わりまで指定外の病院で隔離され、検査を受けられなかった。問診や画像診断などの指標は新型コロナウイルスの感染を示唆しているが、今でも正式に診断されていない。政府はいつだって動きが遅い」と力なく話す。

■集団感染を減らす取り組みが重要

 感染の急速な拡大を防ぐためには、家庭内などでの集団感染を減らす取り組みが重要だ。「北京市疾病センター」によると集団感染とは、14日以内に小さな範囲内(家庭や職場など)で2人以上が感染し、濃厚接触による人から人への感染の可能性があるなどのケースを指す。

 北京市では、集団感染が多発しており、重大かつ難しい課題となっている。北京市政府の2月3日の発表によると、同日0時までに北京の新型コロナウイルスの患者は累計212人だが、その半数以上の124人が集団感染に関与している。その内9人は、「首都医科大学附属復興医院」内での集団感染で、5人は医療スタッフ、4人は入院患者だ。

 2月3日、「広州市疾病センター」によると、患者の(自宅の)ドアノブから新型コロナウイルスの痕跡が発見された。このことは飛沫感染だけでなく、接触感染のリスクも示している。感染力の強い新型コロナウイルスに対抗するには、手洗いを励行し、家庭を清潔に保ち、換気をよくするだけでなく、日常的によく触れる物を消毒することも必要だ。

 (財新記者:丁捷、黄姝伦、宿慧娴)

財新編集部


「上級会社員」と「下級会社員」で年収格差が広がってるワケ

2020年02月06日 21時29分32秒 | 社会・文化・政治・経済

■社内転職で上級会社員に

 2019年は上級国民、下級国民という言葉が流行りました。上級と下級があるのはサラリーマンも同じ。年功序列でみんな一律という時代は終わり、上級か下級かで給料に差がつき始めています。

 まず最新の給料をデータで確認してみましょう。国税庁の「民間給与実態統計調査」(平成30年)によると、給与の分布は図の通りです。また、民間の給与総額は前年比で3.6%増。一人当たりの平均給与も2.0%増えています(女性の就労者が増えた影響で増加幅が縮小)。ところが、一方で所得税額も10.2%増えています。給与に占める所得税の割合も4.95%と、過去10年でもっとも高くなっています。これでは給与が増えた実感を持てない人が多いというのも納得です。

 昔から高給取りはごく一部にすぎませんでしたが、以前とは中身が違います。若手でも高給を取る人たちが現れ始めたのです。NECは難関学会の論文採用など高い評価実績のある研究職志望の新卒に、年収1000万円以上を提示すると発表しました。IT系だけではありません。くら寿司やオンデーズといった飲食や小売りでも、優秀な新卒を特別に処遇する制度を取り入れています。初任給が横並びだった昔と違い、いまはスタート時点から上級組が存在します。

■インターンが普及したことも見逃せません

 この背景は2つあります。まずIT系では、イノベーション重視で企業が大学の研究室とのパイプを構築したがっているから。例えば、卒業生を優遇することでAIの研究室を丸ごと抱えようという戦略です。もう1つ、インターンが普及したことも見逃せません。入社前に社員以上の働きを見せるインターン生がいたら、他社に流出させたくないと考えるのは当然です。

 もっとも、新卒1000万円の真の“上級”はレアな存在です。その他大勢は以前と同じで初任給横並びです。ただ、以前は緩やかだったペースを上げて昇給をさせる会社が増えてきたのです。インターンの普及で入社前に教育されていること、20代は転職が容易で、ある程度の給料がないと離職されることなどが理由です。

 そして賃金カーブが立って20代の給与が増えた影響で、40~50代で変化についていけない社員は逆に給与を下げられています。実際、役職定年で給料が下がったり、早期退職が常時募集になって、それとなく退職を促される人が続出しています。上級が役員になり、その後も余禄として他社の社外取締役などを務めて稼ぎまくるのとは対照的です。

 この状況の中で、どうすれば給料を増やすことができるのか。おすすめは社内転職。いま、あるいはこれから会社が力を入れるであろう事業部に異動するのです。儲かる事業部は賞与が多く出ます。結果を出せば目立つので、次のチャンスにつながって長期的にも昇給が期待できますよ。

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平康 慶浩(ひらやす・よしひろ)人事コンサルタント
1969年、大阪生まれ。早稲田大学大学院ファイナンス研究科MBA取得。日本総合研究所などを経て、2012年よりセレクションアンドバリエーション代表取締役就任。150社以上の人事評価制度改革に従事。『逆転出世する人の意外な法則』など著書多数。

人事コンサルタント 平康 慶浩 構成=村上 敬

 




切断された手足「学生さーん、それ煮てくれよ」 動員された17歳少女

2020年02月06日 21時15分14秒 | 事件・事故

■戦世生きて くらしの記録(2) 島袋淑子さん(下)

 沖縄師範学校女子部の生徒だった島袋淑子(よしこ)さん(92)=本部町出身、当時17歳=は1945年3月23日、看護要員として沖縄陸軍病院壕(南風原町)に動員された。「すぐに学校に戻れる」。そう思っていた。

【写真】空襲を受けた日本海軍の機雷敷設艦「常磐」

 ◆手足の切断手術を手伝う

 4月1日に米軍が沖縄本島に上陸。戦闘が激化するにつれ、瀕死(ひんし)の兵士が続々と運ばれてきた。米軍を一網打尽にしているはずなのに、敵の攻撃はますます激しくなる。想像していた戦争と「違う」と感じ始めた。

 負傷兵の看護や食料運搬、死体埋葬に駆けずりまわる日々になった。命令を受けて移動した糸数壕(南城市)では、手足の切断手術を手伝った。麻酔注射が不足すると、患者に薬品を嗅がせて失神状態のまま手術が始まった。

 精神を病んだのか、切り落とされた手足がかごに入っているのを見て「学生さーん、それを煮てくれよ」と言う人もいた。

 友達も次々と犠牲になった。撤退命令を受けて移った伊原第一外科壕(糸満市)では6月17日、壕の入り口近くに大型爆弾が落とされた。がたがた震えながら淑子さんが駆け付けると、水くみも伝令もいつも一緒だった仲良しのウタ子さんのおなかから内臓が飛び出していた。

 「しっかりして。今軍医が見てくれるからね、大丈夫だよ」。そう励ますと、ウタ子さんは苦しみながら「私はもう助からないから、他の人を先にして」。最後の言葉は「天皇陛下万歳」だった。

 ◆「殺してください」と懇願

 翌18日の晩、淑子さんたち学徒隊に解散命令が下り、米軍が包囲する戦場に放り出された。死ぬなら「即死で」と願った。動員の日にリュックに入れた辞典と日記帳は、手元にもうなかった。

 逃げ惑う中、米軍の機銃掃射の弾が当たり、歩けなくなった。敵に捕まれば、恐ろしい目に遭う。「自決」を望み、そばにいた日本兵に「殺してください」と頼みもした。それでも、生き延びた。

 淑子さんら「ひめゆり学徒隊」240人のうち、犠牲者は136人に上る。重傷で歩けない友達を壕に残してしまったこと。行方が分からないままの友達のこと。考えると申し訳なくて、戦後も長らく体験を語れなかった。

 まさか、友達や先生が死んでいくなんて。まさか勉強ができなくなるなんて。「ただラジオから流れるものを信じていました。戦争は遠い所にあるものだと思っていました」。気付いた時には、日常全てが奪われていた。(社会部・榮門琴音)

<島袋淑子さん(上)>に戻る

 




2百人以上の女性“わいせつ動画配信”逮捕

2020年02月06日 21時11分51秒 | 事件・事故
<article class="article">

2/6(木) 日本テレビ系(NNN)

200人以上の女性とわいせつな行為をする動画を配信したとして、34歳の男が逮捕された。

警視庁によると、山下量平容疑者は去年12月、女性とわいせつな行為をする映像を動画販売サイトで配信した疑いが持たれている。

山下容疑者はマッチングアプリで知り合った女性に「顔や声は出さない」「売り上げの半分を渡す」と約束して、200人以上を出演させていたという。しかし、動画は実際には加工されず、女性らに金はほとんど支払われていなかった。

調べに対し、山下容疑者は「無修正での販売が法律に触れるか考えたことがなかった」と容疑を一部否認している。
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石牟礼道子の草文 作家・渡辺京二さん

2020年02月06日 16時43分08秒 | 事件・事故

彼女のノートを見て感じるのは、書くことが苦にならないというか、もう書かずにおれないという衝動ですね。
「言葉に憑かれた」という感じです。
完全に言葉に乗り移られています。
そして、描写本能。
普通であれば、1、2行で終わるところを何ページもつづっています。
そこで最近、気付いたのは、彼女は手仕事に非常に関心が強かったということです。
彼女は幼児時代、鍛冶屋の前に座って一日中トンテンカンするのを見ていたり、髪結いの家に上がり込んで、日本髪を結うのをずっと見ていまいた。
小さい時からそうした手ざわりへの関心がありました。
手わざというのは、人間が万象に対して働き掛けることです。
そして、彼女には、古来以来、人間がこの世界に働きかけるなかで感じてきた、その全部を取り込みたいという要求があったのでしょう。
こういう壮大なことは普通の人は考えませんけどね。
そうして磨かれた彼女の感性には、狩猟集民から農耕民、そして近代の人々までの記憶が詰まっていたんでしょうね。
彼女のつくる物語の中で、現在の出来事と過去の出来事が混じり合いながら同時進行していくのも、そうした感性によるものです。
彼女の小説には過去は全て現在に存在します。
それは矢のように直線的に流れる近代人の時間意識とは違います。
かつて人類が感じていた循環する時間意識に近いのかもしれません。
作家・渡辺京二さん

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88歳の思想史家・渡辺京二が語る「作家・石牟礼道子の自宅に通った40年」

文藝春秋 2019年3月号

作家・石牟礼道子さんが、2018年2月10日未明3時過ぎに亡くなってから1年が経つ。

『椿の海の記』『西南役伝説』『春の城』『天湖』など、数多くの作品があるが、なかでも『苦海浄土 わが水俣病』は、1969年の刊行時から反響を呼び、2011年には池澤夏樹さん責任編集の「世界文学全集」に日本人作家の長編として唯一収録された。

 当初『海と空のあいだに』と題されたこの小説の原稿を郷土文化雑誌の編集者として受け取ったのが、評論家・思想史家の渡辺京二さんだ。
「調子が狂ってしまいました」

 その後、半世紀以上続いた、ふたりの関係。それは、単なる「作家」と「編集者」という関係に留まらなかった。

「私は、長年、彼女の仕事の手伝いをしてきました。手伝いとは、要するに、彼女が執筆する環境を整えること。原稿の清書から、机上の片付けや部屋の掃除、通信物も自分で開ける人ではないからその処理まで、とにかく一人でほったらかしておくわけにいかない人でした」

「彼女の原稿は、いつも大量の書き損じが出るんです。スッとはいかない。一度清書しても、またそれをメチャクチャに直すから、また清書し、またメチャクチャにするから、また清書し……。だから、その清書を誰かがやらなければいけない」

石牟礼さんがパーキンソン病を発病してからの約15年間は、食事をつくるために、ほぼ毎日、彼女のもとに通ったという。それだけ石牟礼さんは、渡辺さんの日常から切り離せないものとして存在したのだ。

「石牟礼さんが逝かれてからというもの、調子が狂ってしまいました。生活のリズムがすっかり変わり、体調までおかしくなったのです。彼女の心配をするようになってから約40年。40年ぶりに1日が全部自分のものになって、かえって戸惑ってしまったのです。私はもう88です。この歳なので、彼女の心配をすることが、気持ちの張りになっていたのでしょう。彼女が亡くなってから急に体力が落ち、生活のリズムも変わり、慣れるのが大変でした。今はもう慣れたのか、まだ慣れていないのかよく分かりません」

「多くを教わりました」

 渡辺さん自身も、代表作『逝きし世の面影』を始め、多くのファンを持つ評論家・思想史家だ。最近では、『バテレンの世紀』で読売文学賞(評論・伝記賞)を受賞している。渡辺さんが書き手として石牟礼さんから学んだものは大きかったという。
「多くを教わりました。彼女が私から学んだものはない。損得勘定では、私が一方的に儲かっているんです(笑)。実務的な手伝いをやったことの元はきちんと取りました」

「僕は、都会で育った学校秀才タイプ。小市民の生活しか知らない。日本の庶民の精神世界については、柳田国男や折口信夫を読んで自分なりに学びはしたけれども、本当に教えてもらったのは、石牟礼さんからです。『西南役伝説』がそもそもそういう作品。『苦海浄土』も単に水俣病のことを書いたのではない。日本の近代化と取り残された前近代的な民衆の精神世界が作品のモチーフです。『椿の海の記』はとくにそうで、僕はこれを全部清書したわけだから、そこで教わったものは大きかった」

「文藝春秋」2019年3月号
 渡辺さんが、現在の心境と石牟礼さんとの思い出を語った「作家・石牟礼道子に捧げた我が半生」の全文は、「文藝春秋」3月号に掲載されている。

 

 

 

 


石牟礼道子の草文

2020年02月06日 15時46分57秒 | 社会・文化・政治・経済
道子の草文

『花びら供養』『綾蝶の記』に続く渡辺京二編集の遺文集完結篇。未発表短篇小説を含む散文を10代から晩年まで年代順に収録。

『花びら供養』『綾蝶の記』に続く渡辺京二編集の遺文集。石牟礼道子資料保存会提供の未発表短篇小説を含む散文を10代から晩年まで年代順に収録。三回忌に合わせて刊行。

関連書籍残夢童女

地元の追憶から、独立した石牟礼道子論まで

 
新版 死を想う

新版 死を想う

作家と詩人が語る死についての対話、新装版

 
綾蝶の記

綾蝶の記

随筆『花びら供養』の続編にして追悼の書

 
花びら供養

花びら供養

全集未収録のエッセイを編む待望の1冊

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ジェラシー 2

2020年02月06日 14時02分10秒 | 創作欄

職場の人間関係の軋轢は、元水が勤務する小さな専門新聞社内でもあった。
二人の女性記者がそのターゲットにされた。
内勤の編集者と事務、経理の女性同士が組んで、何かと女性記者をいじめのターゲットにしていた。
それは男性記者たちが取材に出ている間のことだった。
「美人は何時も得するのね。特別扱いされて」と姉御肌の田村和子が当てがましく嫌みを言う。
大阪本社の編集局長がやってきて、「よう二人は頑張っている。美味しいもの食べに行こうか」満面の笑みで二人の女性記者を食事に誘う。
3階の窓から中央通りで3人がタクシーに乗り込むを、和子が忌々しそうに見てながら、「いいわね記者さんたち、銀座へ行きいい思いをするんだな!」と吐き捨てるように言う。
元水はあけみを本町の喫茶店に誘う。
喫茶「小窓」は、昼間はアルコール類を出さないが、午後6時以降はスナックの形態となり、店員も入れ代わる。
「元ちゃん、珍しい!女連れなのね」オシボリをカウンターに出しながら奈々が言う。
客はまだ一人も来ていない。
ボックス席は三つ。
元水はカウンターに座りかけたが、奥のボックスに向かう。
背後にゴーギャンの模造画が掲げてあった。
有線放送から奈々が好むムード歌謡が流れていた。
「ビールでも飲みますか?」
俯きかげんのあけみは首を振る。
「コーヒーですね」
あけみは黙ってうなずく。
ストレートの長い黒髪を元水は好ましく思う。
でもミニスカートの細い脚は好まない。
3年前まえのことである。
電車に投身自殺した若い女性の切断された脚を線路脇で見たのは、悪夢以外のなにものでもなかった。
その細い脚の白さが焼き付いて脳裏から離れなれない。
轢死ほど惨い死に様はあるだろうか?
その日、同じ電車に3度も投身した人がいたことを元水は新聞で知る。
その不運な電車は、呪われた電車として、車庫入れとなったのだ。元水は、運転手の悲惨な思いも推し量ってみた。

元水はビールを一口飲みながら、「なぜ、急に辞めることになったのですか?」改めてあけみに問いかけた。
「無気力な人たちの間で働くと、わかくしまで無気力になってくるの。やり切れない。特に源太は仕事をぼってばかりで、30分に1回くらい店の外でタバコを飲んでいるのに、社長は息子を注意もしない。そでいて私の体にわざとタッチして、ホント!いやらしいの」
あけみの瞳はまた潤んできた。
23歳のあけみは女子薬科大学出身で、高校も女子高だったので、ほとんど生身の男性を身近に感じていなかったのであろう、と元水は想ってみた。
「わたくし、4人姉妹の長女で一番、しっかりしなけばいけないのだけれど、一番、弱虫なの」あけみは小さなバックから花柄もようにハンケチを取り出し涙を拭う。
彼は奈々の視線が気になったが、奈々はムード歌謡のリズムに合わせながら手鏡で付けまつげを確認するような仕草をしていた。


第35回全日本選抜競輪 豊橋競輪場で2月8日~11日

2020年02月06日 13時42分07秒 | 未来予測研究会の掲示板

第35回全日本選抜競輪

 いよいよ20年のG1戦線の幕が開く。第35回全日本選抜競輪が豊橋競輪場において2月8日~11日の日程で開催される。

トラック自転車競技シーズンのため脇本雄太、新田祐大は不在ながら、新S班が今年初めて一堂に会する。

他にも浅井康太、諸橋愛、太田竜馬、原田研太朗らの強豪が参戦。新年の流れを占う意味でも目が離せないシリーズだ。KEIRINグランプリ2020の出場権を真っ先に獲得するのは果たして誰なのか。

20年G1戦線の開幕戦

松浦 悠士
清水 裕友
佐藤 慎太郎

 今年の記念開催は1月26日までに4開催が行われた。

優勝者は立川=清水裕友、和歌山=松浦悠士、大宮=平原康多、いわき平=山崎芳仁。S班が3開催を制しており、昨年のベストナインが貫禄を示している状況だ。今年も勢いを持続しているのなら、地力上位のS班を重視するのが自然だろう。
 中四国勢の充実ぶりは目を見張る。

競輪祭の決勝でワンツーを決めた松浦、清水はともに今年は記念Vと最高のスタートを切った。さらに太田竜馬、原田研太朗ら強力な自力型がそろっていて、勝ち上がり戦から有利にレースを進められそうだ。松浦は1月和歌山記念では豪快なまくりで優勝したように、自力攻撃の破壊力には素晴らしいものがある。自力でも強い松浦が頼りになる目標に付けるとなれば、優位に立つのは間違いない

。昨年の競輪祭に続きG1連覇は十分だ。1月平記念はやや動きが重く、決勝を外した清水だが、最終日は接触して大きくバランスを崩す不利がありながら、態勢を立て直すと上がり11秒3の快速まくりで前団を飲み込んだ。やはり2年連続でS班を張っているのは伊達ではない。念願のG1初Vを達成するか。太田竜馬は、今年は1月向日町から始動して516着。

1カ月半ぶりの実戦だったためか、好調と言えるような動きではなかったが、この開催の前に高松記念を走るので調子の上積みは期待できる。昨年は輪界トップの記念4Vを達成した機動力は一級品で、G1で主役を演じても不思議ではない。スピードの切れには素晴らしいものがある原田研太朗も怖い。今年は1月小松島で完全V、同月和歌山記念1191着と勝ち星を量産している。
 平原康多は輪界を代表するオールラウンダーらしく今年も安定プレーを演じている。

1月立川記念4212着、同月大宮記念5111着と連対率は75%と高い。全日本選抜は2013年、2017年と2Vを飾っている相性のいい大会。今の調子なら3V目を達成する場面も大いにありそうだ。
 昨年はグランプリを制覇して賞金王に輝いた佐藤慎太郎は、今年も相変わらず堅実な走りを披露している。1月和歌山記念5325着、同月平記念4112着と成績をまとめている。好位置キープに成功すれば連食い込みも。
 中部勢は地元の吉田敏洋、S班常連だった実力者の浅井康太らに期待がかかる。昨年12月以降はF1戦ばかりとは言え、ここ2カ月間の吉田の連対率は8割超。地元のG1に向けて仕上げに抜かりはない。浅井は1月平の準決で落車したが、再乗したので軽傷で済んだか。
 昨年の覇者・中川誠一郎は今年初戦の1月大宮記念7169着。まだエンジンがかかり切っていない印象だった。連覇を達成するためにはもう少し調子を上げておきたい。 
 初のS班となった郡司浩平は、1月立川記念の準決で落車し鎖骨を骨折。多難なスタートとなったが、練習は再開していて全日本選抜から復帰の予定。どこまで調子を戻せるかが浮沈の鍵だ。


児童虐待通告、過去最高 サイバー犯罪摘発も最多

2020年02月06日 13時39分26秒 | 事件・事故

刑法犯数は5年連続最少・警察庁

2/6(木) 時事通信

警察庁は6日、昨年の犯罪情勢統計(暫定値)を公表した。

全国の警察が把握(認知)した刑法犯は74万8623件で、5年連続で戦後最少を更新した。一方、虐待の疑いで児童相談所(児相)に通告した子どもの数やサイバー犯罪の摘発件数は過去最高となり、同庁は「予断を許さない状況にある」と分析した。

 児相に通告した18歳未満の子どもは9万7842人で、前年より21.9%増加。言葉による脅しや無視、目の前で家族に暴力を振るうなどの「心理的虐待」が7万441人で約7割を占め、「身体的虐待」が1万8219人、「育児放棄(ネグレクト)」が8920人、「性的虐待」が262人となった。

 警察が虐待を事件として摘発した件数も1957件(前年比41.8%増)で最多を更新した。配偶者などパートナーからの暴力(DV)も相談(8万2201件)、摘発(9083件)ともに過去最多となった。

 サイバー犯罪の摘発件数は9542件で前年比5.6%増。インターネット交流サイト(SNS)を通じて犯罪被害に遭った子どもは2095人で最多となった。

 サイバー攻撃も増加している。警察が検知した不審なアクセスは一つのIPアドレス(インターネット上の住所)当たり1日平均4192.0件で、前年の2752.8件から急増した。

 一方、刑法犯全体の件数は17年連続で減少した。自治体やボランティアによる防犯活動や防犯カメラの普及などで窃盗事件が減ったことが主な要因。特殊詐欺の被害件数は1万6836件で前年比5.6%減だったが、電話で資産状況を調べた上で家に押し入る「アポ電強盗」が発生するなど深刻な状況が続く。 

 




宍戸錠さん 死の前日もコンビニ弁当…家賃12万円の孤独な晩年

2020年02月06日 10時19分38秒 | 事件・事故

1/31(金) 女性自身

 

「宍戸さんは会うといつも『今日はこれから撮影なんだよ』と、気さくに話しかけてくれました。いつも笑顔を絶やさない素敵なおじいさまでした」

【写真】13年2月に全焼した豪邸は今も更地のままだ

目を細めながらこう語るのは、近隣住民。宍戸錠さん(享年86)が、1月18日に虚血性心疾患で亡くなった。

「21日未明、東京都世田谷区の自宅で宍戸さんが倒れているところを親族が発見。救急隊が駆け付けたときにはすでに亡くなっていたといいます。宍戸さんは晩年、単身で暮らしていたため気づくのが遅れたようです」(社会部記者)

日活黄金時代のスターとして名をはせ、これまで500本近くもの映画に出演した宍戸さん。“エースのジョー”の愛称で親しまれた昭和を代表する名優の生きざまは豪快そのものだった。

「宍戸さんは'55年に銀幕デビューし、小林旭さん(81)や故・石原裕次郎さん(享年52)の敵役として活躍しました。俳優業以外にも『くいしん坊!万才』(フジテレビ系)のレポーターとしても、多くの人から愛されました。ブレーク後は、銀座や六本木のクラブで夜な夜な遊びまわり、女性関係もど派手で、『寝た女は1千300人以上』と豪語していたそうです」(映画会社関係者)

宍戸さんは地元の東京・仙川では“庶民派な素顔”も見せていた。宍戸さんが30年以上通った和食店の女将はこう語る。

「ジーンズ姿で商店街を闊歩する宍戸さんの姿はまるで“仙川のチャールズ・ブロンソン”と評判でした。ある晩、近くで酔ったサラリーマン同士のケンカがあったのですが、偶然通りかかった宍戸さんがわざわざ仲裁に入っていったんです。『ケンカしてもケガするだけでつまらねえよ。やめろやめろ!』と、その場を収めていました」

地元住民からどこまでも愛された宍戸さんだが、人知れず孤独も抱えていた。

「宍戸さんは'10年に約50年連れ添った妻・游子さん(享年77)を亡くしています。さらに、その翌年にはとても大切にしていた愛犬のシェパードも亡くなり、それ以来、2階建ての豪邸で一人暮らしをしていました」(前出・映画会社関係者)

そして、最愛の“家族”に先立たれた宍戸さんに追い打ちをかける事件が起こる。

「’13年2月に、火事で宍戸さんの自宅が全焼しました。火事の直後はホテル暮らしをしていましたが、しばらくして自宅近くにある家賃12万円の賃貸マンションに移りました。財産を娘さんに渡し、貯金はほとんどなかったそうです。その後はコンビニで買った食品を食べながら、自宅でワイドショーを毎日のように見る生活を続けていたと聞いています」(前出・映画会社関係者)

宍戸さんが頻繁に通っていた地元のコンビニ店員はこう語る。

「宍戸さんは、日に2~3回は買い物にいらしてました。宍戸さんの食事のほとんどはうちの商品だったのではないでしょうか。宍戸さんも冗談交じりに『俺の体はさ、ここの弁当でできているんだよ』とよく言っていました」

“3食コンビニ生活”は亡くなる前日まで続いていたという。宍戸さんのマンション近くにあるバイク販売店のオーナーは語る。

「実は亡くなる前日の17日に、宍戸さんとコンビニでばったり会ったんです。宍戸さんのほうから『よ、元気かい?』と声をかけてくれて、聞き返すと『俺はまあまあだな……』と笑っていました」

孤独と闘いながらも最後まで気さくな姿を見せた宍戸さん。いつまでも愛され続けることだろう――。

「女性自身」2020年2月11日号 掲載

 




昭和のスターと孤独死…梓みちよさんと宍戸錠さんはどんな晩年を

2020年02月06日 09時57分45秒 | 社会・文化・政治・経済

 昭和のスターがまたしても、孤独死だった。大ヒット曲「こんにちは赤ちゃん」などで知られる歌手の梓みちよ(本名・林美千代)さん。1月29日、都内自宅のベッドの上で冷たくなっているところをマネジャーに発見された。享年76。

 1月は18日に俳優の宍戸錠さんが都内マンションでやはり孤独死していた。86歳であった。昭和世代にとってスターの孤独死というと、2009年に62歳で亡くなった女優、大原麗子さんを思い出すかも知れない。梓さんに子どもはなく、ひとり暮らしだった。どんな晩年を過ごしていたのか。

「膝を悪くし、歩くときに杖をつかうようになってはいたものの、仕事は続け、第一発見者のマネジャーが自宅を訪れたのも、レギュラー出演中の通販番組の打ち合わせのためだったそうです。膝のために歌番組やイベント出演は減っていましたが、化粧品のプロデュースをして、保湿クリームで人気を得るなど、変わらずパワフルだったと。歌手も諦めたわけじゃなく、『また新曲出してヒットさせたいね』と話していたそうです」(スポーツ紙芸能デスク)

 大の犬好きだった梓さんは昨年5月に愛犬が亡くなった悲しみを乗り越え、次に飼う犬を探していたという。

「『やんちゃガイ』こと、あの石原裕次郎さんと共に人気だった俳優の和田浩治とスピード離婚した70年代、梓さんは『遊ぶし、飲むし、男の友達もいっぱい』と公言し、歯に衣着せぬ物言いで知られていた。代表曲『こんにちは赤ちゃん』をもらった当初は『ママになったこともないのにどう歌えばいいの?』と悩んだけど、作詞した永六輔から『女性はみんな母性本能があるんだ』とアドバイスされてうなずいたというエピソードがある。母性本能はワンちゃんに注いでいたのかも」と、梓さんを知る芸能関係者は言う。

 俳優の高橋克典は《実は、梓さんとは、2年前ほど前まで、同じマンションに住んでたことがありまして》とブログで明かし、こう続けている。
《低層で、戸数も少ないマンションでしたので、当然ごあいさつする機会も多く、産地直送でいただいた素晴らしい元気な野菜をくださったり、ウチからも地方からのちょっとしたお土産を渡したり、やはりいただきもののお裾分けをしたり、日常のちょっとした飲み物やなんやかや、帰ってくると手紙を添えて玄関のノブにかけてくださっていたり、まるで昭和の頃のご近所のようなあったかいお付き合いをさせていただいてました》

■少子高齢化時代の大問題

 孤独死というと、社会的に孤立し、身寄りのない不幸な高齢者との印象がある。

 また、元スターゆえに周囲にも相談できない家族間の確執、外からはうかがい知れない悩みもあったはずだが、晩年の梓さんには悲愴感は感じられない。

「少子高齢化が進む日本では、ひとり暮らしの高齢者は700万人近くいて、さらに増えていく。子どもや孫に看取られる最期が幸せかのような風潮がある一方で、たとえ子どもや孫が受け入れてくれるとしても、そこにはいかず、あえてひとり暮らしを選ぶケースも少なくない。はたから寂しそうに見られても、本人は誰に気兼ねすることもなく、気ままに自由に余生を送っていたりするものです」と、ある介護スタッフは言う。

 梓さんも晩年まで仕事に恵まれ充実したひとり暮らしを送っていたとすれば、気の合わない伴侶といやいや老後を過ごすよりは精神的に豊かではなかったか。

 

 


逆転の発想

2020年02月06日 07時05分32秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

人間は万能ではない。
にもかかわらず、私たちは物事が常にうまくいくことを期待している。
その結果、うまくいかなかった時に落ち込んだり、腹を立てたりする。
これは努力しても変わることはないだろう。
運もあるし、勝負なら相手が自分以上努力している場合もある。
従って、物事がいかない限り私は<幸せな気分になれない>などと思っていては苦しむことになる。
そこで逆転の発想が必要だ。
うまくいったときには、うれしい気持ちでやったからと思うことだ。
反対にうまくいかなかったときには、うれしい気持ちが欠けていたんだなと思う。
視点を変えてみることで全てを幸福に変えていけるのでは?

ヒントはアランの幸福論にある。


アランの言葉

2020年02月06日 06時26分45秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

「うまくいったからうれしいのではなく、自分がうれしいからうまくいったのだ」といつも考えなければならない

われわれは、
現在だけを耐え忍べばよい。
過去にも未来にも
苦しむ必要はない。
過去はもう存在しないし、
未来はまだ
存在していないのだから。

論戦に勝つことで、
何らかの真理が樹立された例は、いまだかつて無い。
そんなことを信じているのは、子供だけだ。

つまらぬ本を百冊読むよりは、優れた本を百回読む方が、はるかにためになる。

子供を育てると同時に、自分たち自らを進歩させないならば、親は子供を立派に
育てることは出来ない。

男は建設すべきものや、破壊すべきものが無くなってしまうと、不幸を感じる生き物である。

最も深い思想の人たちは、自分にとってよいものを
他人の考えから採取し、それをいっそう前進させる。

いわゆる金儲けの上手な人は、
無一文になったときでも、自分という財産をまだ持っている。

人間には自分自身以外に、敵はほとんどいないものである。
最大の敵はつねに自分自身である。

判断を誤ったり、無駄な心配をしたり、
絶望したり、意気消沈するような言葉を、
自分に聞かせたりすることによって、最大の敵となるのだ。

幸福な人は、
幸福だから笑っているわけではない。
笑っているから、幸福になるのだ。

悲しみというのは病気。
だからあれこれ理屈なんて考えずに、
病気としてがまんしてればいい。

悲しみはいつも、
自分の足元にあるかもしれない。
だけど、目の前にあるわけではないのだ。

哲学者というのは
あらゆる機会に
最も適切で最もひとを
元気づける言説を選ぶ者だ。

幸福になりたいと思ったら
そのために
努力しなければならない。

無関心な傍観者の
態度を決め込んで
ただ扉を開いて
幸福が入ってくるように
しているだけでは
入ってくるのは悲しみでしかない。

 

アラン(Alain/1868年3月3日-1951年6月2日/男性)は、フランス・ノルマンディー出身の哲学者著述家評論家モラリスト。アランというのはペンネームであり、本名は「エミール=オーギュスト・シャルティエ」(Emile-Auguste Chartier)。

フランスの高等師範学校「エコール・ノルマル・シュペリウール」を卒業後、フランスの後期中等教育機関「リセ」(日本の高等学校に相当)の教師となる。

偉大な哲学者達の思想と独自の思想を組み合わせた哲学講義で評判となり、彼の教え子達の中からは女流哲学者「シモーヌ・ヴェイユ」などをはじめとした哲学者を多く輩出。

また、リセの教師時代にアラン名義で「デペーシュ・ド・ルーアン (Depeche de Rouen)」紙にコラムを寄稿し始め、教職を退職した後も亡くなるまで執筆活動を続けた。


日本発達障害ネットワーク

2020年02月06日 06時16分38秒 | 社会・文化・政治・経済

日本発達障害ネットワーク(JDDnet)は、発達障害関係の全国および地方の障害者団体や親の会、学会・研究会、職能団体などを含めた幅広いネットワークです。

我が国における発達障害を代表する全国組織として、従来制度の谷間に置かれ支援の対象となっていなかった、あるいは適切な支援を受けられなかった、自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害等の発達障害のある人およびそのご家族の権利と利益の擁護者として、理解啓発・調査研究・政策提言等を行い、発達障害のある人の自立と社会参加の推進に向けて活動を行っています。

発達障害とは

すべての子どもたちはいろいろな可能性と個性をともに持って生まれてきます。発達障害というのは、そうした生まれながらの可能性や個性のあり方の1つだと私たちは考えています。

それらは、基本的に脳の機能的な問題が原因で生じているものです。障害という言葉は、成長の中で「困ること」が生じる場合につけ加える言葉です。

従って、その人の置かれた場所で「困ること」が全く生じないとしたら、リスクとしては何らかの障害になりうる問題があったとしても、障害ととらえる必要はありません。人々が発達障害の人たちのことを正しく理解し、その人が「困ること」をしっかり把握できることで、よりよく発達障害の人が生きていけることになります。そうやって、他者のことを考えられる世の中は、すべての人にとってもよりよい世の中になるだろうと信じます。
発達障害の代表的なものとして、知的障害、広汎性発達障害(自閉症)、高機能広汎性発達障害(アスペルガー症候群・高機能自閉症)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害などがあります。

発達障害といっても状態像は多様です。また、同じ診断名でも、子どもの個性や、発達の状況や年齢、置かれた環境などによって目に見える症状は異なります。

さらに、発達障害があっても、その人ごとの人がらがあります。障害があるということでひとくくりにするのは間違いでしょう。一人一人のことをしっかり理解しようとすることが大切です。

特に、自閉症を中核とする自閉症スペクトラムとも呼ばれる広汎性発達障害等の場合、その半数ほどは知的障害をもちません。

そうした高機能では今まで一般的にとらえられていた障害というイメージとは一見異なるように見えます。

しかし、幼少時からの一貫した指導がないと二次的な問題が大きくなり、知的な能力は高くとも社会適応は難しくなることがあります。

発達障害の人たちの場合、問題となるリスクを減らしていく意味でも、彼らのよりよい人生を確かなものにする意味でも、早期からの専門的な療育や発達支援が必要です。

日本発達障害者ネットワーク理事長になって

日本発達障害ネットワークは、発達障害のある方々が社会生活を送る上で様々な困難を来すことがないよう、あるいは困難に直面した際に支援をするために活動しています。

現在、当事者団体、職能団体、関連学会・研究会を中心に18の正会員団体と、当事者団体を中心とした43のエリア会員団体を有しており、単純に加盟団体の会員数を加えると15万名に達しています。

平成16年2月から12月まで発達障害者に関する検討会が厚生労働省で開かれ、文部科学省の関係者も同席していました。

当事者団体の関係者、国会議員、学識関係者などが話し合いをもち、先進的に対応をしている団体についても学びました。発達障害者支援法は、超党派の議員による議員立法として、平成16年12月3日に参議院の本会議を通過して成立しました。

この日に、検討会に関係した団体や個人が中心になって、この法律の円滑な運営を見守るためにJDDnet準備会が発足しました。超党派による「発達障害の支援を考える議員連盟」も設立され、現在は尾辻秀久会長を中心に150名の国会議員が参加して発達障害の支援が行われています。

平成17年12月3日にはJDDnet設立フォーラムが成蹊大学で開催され、正式に発足しました。発達障害は社会のさまざまな面で話題になり、“からかい”、“いじめ”、“不登校”、“ひきこもり”、“虐待”、“嗜癖”、“理解できない行為”など発達障害の裾野は拡がっているように思われます。

多くの社会的話題は発達障害への理解が不十分なことに基づいていると思われます。法律が成立して約10年経ち、発達障害は徐々に認知されつつありますが、その本当の理解はまだまだ不十分な面が多いように思います。

各会員団体などが力を合わせて、発達障害の理解啓発に努めるとともに、当事者・家族の立場に立った支援の充実に努めて行きたいと考えています。

市川 宏伸